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満州国を往く(1)



2002年1月、ぼくは中国留学生活の締めとして
中国の北方(東北、と呼称)を訪れることにした。



中国地図。東北地方は、だいたい右上のあたりである(↓拡大)



右上の、遼寧・吉林・黒龍江というのが、
東北三省、いわゆる、中国で東北と呼ばれる地域である。
北はロシア、東は北朝鮮に接し、
西は内モンゴルと隣接している。
緯度は、日本の稚内くらいだ。

なぜ、この旅行記を今、ここに書いているか、
それは、昨今の日中関係について、
どうしても確認しておきたい事に関わるからである。

それは何か。
それは、日本と中国が、60年前まで戦争をしていたという事実。

先日、アジアカップが中国で開催され、
日本と中国が北京で決勝戦を行った。
テレビを通じて聞こえてくる日本に対する
壮絶な中国側のブーイングは、
日本人に驚きをもって迎えられただろう。
私事であるが、決勝戦の日、ぼくの従兄弟から電話がかかってきた。

「今、決勝戦を見ているんだけど、
 なんでこんなにブーイングをされているん?」

従兄弟の質問は、ぼくにとって驚きだった。
なぜなら、従兄弟は世界史を受験生時代に勉強し、
三国志にも興味を持っているくらいだから、
中国と日本の歴史のことはある程度の認識をもっているだろう、
と思っていたからだ。
同様の感想を、ぼくの兄が言っていたのも、また驚きだった。

さて、彼らの反応は、どう思われるだろうか。
ただの、無知と思われるか、
それとも、それが日本人一般の反応なのか。

ぼくは以前にも書いたが、
ある国に行くならば、その国と自国の関係を
ある程度歴史的な部分を含めて知っておくべきである
と、考えている。

なぜなら、無知による不用意な発言で、
現地の人の対日感情を刺激するおそれがあるからだ。
特に、アジアにおいては、その可能性は大きい。
歴史的に、日本が侵略、占領した国々や地域では、
どの発言が、相手を刺激するのか慎重に考える必要がある。
発言を選別するためにも、最低限、歴史の知識は入れて置いた方がよい。

さて、日本と中国の関係の歴史で、
どうしても欠かせない大きな事実。
それは日中戦争であり、
その過程で現れたのが、満州国という存在である。

満州国は、1932年から1945年の間、
現在の中華人民共和国の東北地方に存在した政権である。
中国最後の王朝である清の最後の皇帝、
愛新覚羅溥儀を元首(のちに皇帝)として、
五族協和という美音の下、
民族同士の協和を目指していた。

しかし実状は、日本による傀儡政権。
当時の国際連盟でも、その存在を否定され、
日本が連盟を脱退する要因にもなった。

中国の、満州国(“偽満州国”と呼称)に対する見解はこうである。

“中国東北部に強引に建国され、中国大陸支配の象徴でもある。
その残忍な支配は、今も中国人民の心に深く傷跡を残し、
この地を訪れる日本人で贖罪の意識にかられない者はいないだろう”

さて、その満州国で、日本軍の傀儡として皇帝にまで奉りあげられたのが
愛新覚羅溥儀(あいしんかくら・ふぎ)であった。
彼は、中国最後の王朝、清の最後の皇帝である。
(彼の生涯は、映画『ラストエンペラー』に詳しい)
出身は、女真族の愛新覚羅家。

はるかな昔、溥儀の祖先達は、
中国東北地方を中心とした地で活躍し、
縦横無尽に馬を駆っていた。
17世紀初め、女真族は万里の長城以南に至り、
北京を首都として中国最後の王朝、清を建国した。

20世紀初頭に、辛亥革命により清王朝が終結した後、
溥儀は、あちこちでの流浪生活を続けながら、
日本が東北支配をするための象徴に担ぎ上げられた。
それが、満州国の執政であり、元首であり、皇帝としての溥儀の新たな地位であった。
溥儀は、自らの祖先が住んでいた土地に、里帰りしたのである。
ただし、日本軍の傀儡であるため、凱旋帰還には程遠かったが・・。

歴史を一通り整理した後は、本題に戻ろう。
日中近代史のみならず、ラストエンペラーに並々ならぬ興味を抱くぼくとしては、
東北三省は、必ず訪れなければならない場所であった。
歴史を知るために、そして現場を見るために、
ぼくは、留学生活最後の旅行の目的地に、
中国東北を選んだのである。

旅の出発は、2002年1月。
ところでもう一度、確認して欲しい。
ここの緯度はちょうど日本の稚内と同じであった。

そう。寒いのである。
どれくらい寒いのかと言えば、
外においてあるビール瓶が破裂し、鼻毛とヒゲは凍るくらいである。

ちなみに、ぼくが逝こう行った1月の気温は、
もっとも寒い場所で、マイナス35℃だった。
でも、当地の人に言わせると、
「今年はまあ、あったかいなぁ。」

とりあえず、大きく深呼吸してみた
スゥーッッッと・・・!

!!は、鼻凍った。

written by Bonkora

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