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満州国を往く(2)

李香蘭、
かつて、日中の大スターとして名を馳せた李香蘭は、
実は、日本人である。

ちょうど今、日本経済新聞の「私の履歴書」というコーナーで、
自叙伝が連載されており、
ぼくは、そこで彼女の名前と、その姿を知った。
本名は山口淑子。
山口淑子さんは1920年、
中国の奉天(現在の瀋陽)で生まれた。
1919年に北京で起こった排日デモである「五・四運動」の翌年。
日本の中国支配がいよいよ本格化しようとしている時であった。

生後まもなく、撫順に移り、現地で中国語を学んだ。
幼年時代は、語学と音楽が好きな普通の女の子だったという。

1931年9月18日、彼女が住む撫順に程近い
奉天の郊外で、柳条湖事変が起こった。
いわゆる満州事変の始まりであり、
その後ますます日本は中国東北部に侵攻を進め、
ついには傀儡政権である満州国を強行建国した。

その後、彼女の住む撫順にある炭坑で、
満州事変に反対する武装勢力が、
炭坑の日本人を殺害する事件が起きた。
その際、手引きをしたとして、
付近の中国住民が日本軍が、逮捕、殺害、
さらには油で焼いた上、ダイナマイトにより地中に埋めるという事件が起こる。
これが、今、平頂山事件と呼称される事件であった。

自叙伝によると、
その事件は彼女の家族、生活に影響を及ぼしたという。
中国人に親しいという理由で
彼女の父が日本の取り調べを受け、
撫順を離れざるを得なくなった。
そして、一家は奉天へ。
彼女は、そこで、歌手への途を進み始めることになった・・

--

ぼくは、東北の旅行の目的として三つ挙げた。

一つは、零下がどんなものかを体験すること。
もう一つは、国境を見ること。
そして、最後は、満州国の遺跡を歩くこと。

最後の目的に関して、ぼくが今回訪れたのは、
ハルピン、長春(かつての新京)、瀋陽(奉天)、撫順の四つ。
どこも、日本による支配を受けた都市である。

旅の途中、撫順にある炭坑を訪れた。
撫順は、瀋陽からバスで1時間弱の所にある。
さびれた、すすけた感じのする街。
街の郊外に、今でも巨大な炭坑があり、
炭坑がまるで谷のように大きな穴を開けている。

ここでは日本の統治時代、多くの中国人が労働にかり出され、
日本のために石炭を産出させられたという。
この炭坑から少し離れた所に、平頂山がある。

先ほど述べた、平頂山事件が行われた跡地に、
今は記念館が建てられている。

中国側の記録によると
1932年の3月16日に殺害されたのは、全村で3000人あまり。
日本軍は証拠を隠滅するため、ガソリンで全て焼き、
山を崩して死体を埋めたという。

敷地内にある遺骨館と呼ばれる建物には、
地中に埋まっていた人骨が、
そのままの形で展示されている。
軽く、25メートルプールくらいの長さの建物に、
人骨がズラリ。




ご丁寧に、銃剣で刺された跡や、
妊婦の骨である旨が、説明されている。
この手の展示は、南京にもあるので、
別段驚く事はないが、楽しい気分になれないのは当然だ。

真実は、どこにあるのだろう。

山口淑子さんの記憶が正しければ、
日本がここで虐殺を行ったのは事実であろう。
だが、3000人を全て日本がやったかといえば、
それを証明するものはない。
数字の整合性を言い出すと終わらないので、ここではつっこまない。

現実は一つ、ぼくの目の前に多数の人骨がある、
という事である。
ぼくは霊感がないもので、
死者の語りかけを感じることはできない。

だが、そのうつろな目を見ていると、
彼らが最後に見た光景をなんとなく想像できそうでもある。




また一つ、つまらぬものを書いてしまった。

written by Bonkora

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