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南京好日『満州国を往く』(4)

中国は人種のるつぼである。

五十近くの民族が、ごっちゃ煮のように
一つの、中国という枠の中にひしめいている。

ぼくが今回訪れた中国東北にも、
朝鮮族、蒙古族など、北方固有の民族が多く住んでいる。
古く、国境線が今のように定まっていなかった時代から、
多種多様な民族が、北から西からと、
出入りを繰り返してきたという歴史を持っている。

それは同時に、色々な民族や国の支配を受けてきたという事でもある。
高句麗や、渤海、モンゴルや、満州女真族の支配を経て、
近代には、帝政ロシアの支配を受けた。
そして、日清日露戦争を経て、帝国日本が支配者として君臨した。

1930年代に、東北を支配した日本により樹立された政権が、満州国。
五族協和、というスローガンの元、
満州族や蒙古族らと、日本人の協和が高々と謳われた。

実体はどうだったのだろう。
一部の日本の資本家による、貧民からの搾取というのが実状ではなかったのか。
そしてまた、新天地を求め、
日本から一族郎党を引き連れて意気揚々と、
多くの日本人が海を渡り、大陸に開拓団としてやってきた。
彼らは大陸の奥の奥地まで、土地の開拓のために入っていった。

しかし太平洋戦争の末期、戦況が悪化し、
次第に日本の敗戦色が濃厚になってきた時、
突如ソビエト軍が中国東北に進行してきた。
その時、頼みの綱のはずの日本軍は、
開拓団をどれだけ保護したのか。
開拓団が、ソビエトの侵攻から逃げ、
駐屯地まで来てみたら、まっさきに軍隊が撤退した後だった、
という話もあったという。
彼らは、自分たちを守ってくれるはずの同じ民族、
しかも軍隊に裏切られたのだ。

日本が満州国時代、首都としていた新京(いまの長春)、
中核都市として栄えていた奉天(瀋陽)、北方のハルピンは、
ソビエトの軍隊により、日本の支配から解放されたのである。
ソビエトの中心民族が、ロシア民族だとしよう。
彼らは、ソビエト以前には帝政ロシアを構成する民族だった。
帝政ロシアが、ロシア革命で滅び、一時は中国支配から撤退。
そして、ソビエト連邦が生まれ、
ロシア人が今度は解放者として中国にやってきたというのだから、
歴史の皮肉とでも言えようか。

そういった複雑な支配の歴史を反映してか、
東北の諸都市には、ロシア風の建物のみならず、
昭和初期の日本の建物が混在する風景が見られる。
例えばハルピン。
かつては、ロシアの支配下にあり、
アジアの小パリと呼ばれたこの都市は、
今もロシア風の建築物が数多く残る。
そして、隣の筋には、日本による和洋折衷の建築物がある。
今は、政府の機関になっていたり、大学なり、デパートであったりするが、
数十年前は、厳然たる支配の象徴であったのだ。

そしてまた、東北には、戦争の傷跡が大きく残っている。

1931年9月18日、奉天(瀋陽)郊外の柳条湖付近で、
満州鉄道の線路上で爆発が起き、線路が破壊される事件があった。
日本軍はこれを中国側による破壊工作と断定し、
直ちに中国東北地方の占領行動に移った。
そしてその翌日には、奉天、長春、営口の各都市も占領したのである。
柳条湖事件、中国側では、九・一八事変と呼ばれる事件である。
今、この地には、大きな記念館が建ち、日本支配の残忍さを伝える展示が多く残る。

731部隊、それは日本軍の極悪非道ぶりを代表する名称として挙げられている。
この部隊は、旧日本軍ないの特殊部隊で、
主にハルビンに配備され、ペスト菌・コレラ菌など
強力な菌や有毒ガスを用いた化学兵器の製造に携わっていたとされる部隊である。
多くの中国人民や、捕虜となった他国兵を人体実験の材料とし、
一説には3000人をその毒牙にかけたと伝えられているが、
その実態について詳細は明らかになっていない。

ハルピン郊外にあった研究所は、
日本軍の引き上げとともに破壊され証拠はほとんど抹消されたという。
(もちろん!跡地には、えげつない展示が山ほどされている展示館あり!)
実は、この部隊の中核にいた人物は、戦後、自らの処罰を免除するのと引き替えに、
731部隊の遺した膨大な医学資料を米軍へ渡されたとしており、
戦後に医療機関や、大学等の機関に就職・雇用されているそうだ。
現代医学の発達は、日本とドイツの戦争時代の産物だとも聞くが、さもありなん。

さて、長春。
ここは満州国の首都であり、中枢であった。
あのラストエンペラー溥儀が住んだ館や、
政治を執った(といってもあくまでお飾りだが)建物が数多くあり、
今は、中国政府の機関や、病院となっている。
日本の城のような外観の建物を、中国人が使っているのだから不思議な光景でもある。

このように、ぼくは10日あまりのあいだ、極寒の東北をうろちょろしてきた。
そして、この起伏に富んだ地に立ち、色々と歴史の匂いを感じ取ってきた。
一つの結論は、歴史は一色では決してない、ということ。
いろんな色が混ざり合って、今の歴史書に書かれた歴史がある。
そして、それは、力をもった者により、どうにでも色を塗られてしまう、ということだ

。 はじめてロシア人が中国に入ってきたとき、中国人は憎悪をもって見ただろう。
そして、解放者として、ロシア人を見たとき、彼らは好感をもっていただろう。
日本は、満州を支配する際、良いことも数多くやってきたはず(それが国益のためだとしても)だ。
しかし、そんな善行は、今の中国での歴史の色では、
どす黒い、負の歴史にしか過ぎない。
なぜなら、それが敗北者と、解放者の違いだからだ。

最近、中国東北地方の人民が、731部隊の残した毒ガス弾のせいでどうのこうの、と
日本にいちゃもんを付けて、賠償をせしめようとたくらんでいるらしいが、
歴史は、最後に強い力を持った者によってどんなにも作り上げられる、という好例だろう。

もし、これを見ているあなたが、東北に行くことがあったのならば、
そんな目で見てみれば、意外な発見があるかもしれない。

-完-



旧奉天駅(瀋陽)

日本により建設された駅舎の前には、ソ連による解放を記念した塔が建つ

written by Bonkora

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