■江蘇省遺跡

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徐州(じょしゅう)

項羽戯馬台(こううぎばたい)
場所徐州市内
アクセス駅から徒歩で20分程(要地図)
解説項羽が乗馬を楽しんだとされている所。今のように整備されたのは 明・清の時代。
コメント【NUNO−78】(到達)
大好きな項羽関連遺跡。建物の中には、昔の徐州の概観を示す地図や楚・漢の武将の像がある。徐州市内にはもう彭城の跡は残っていないが、他に戯馬城というのがある。

楚王陵(そおうりょう)
soouryou場所徐州市内
アクセス駅前58路に乗り『楚王陵』下車
解説漢の高祖劉邦の弟劉交の系列の第六代楚王の墓。 墓の主自体は超マニアックだが、出てきた副葬品は超国宝級らしい。 一時は国内外からの注目を浴びたが今はさびれている。
コメント【NUNO−78】(到達)
うーん・・・コメントのしようがない。私には分かりません(^_^;;

徐州兵馬俑(じょしゅうへいばよう)
heibayou場所徐州市内徐州楚王陵左横200M
アクセス上記参照
解説楚王陵から発掘されたミニミニ兵馬俑
コメント【NUNO−78】(到達)
はっきりいって西安のあれと比べてはいけないへぼへぼもの。 よくこれで金がとれたもんだと感心してしまう。昔は世界ツアー にでてたこともあったらしい

范増墓(はんそうぼ)
No Picture場所徐州市内徐州彭城路乾行宮内
アクセス不明
解説項羽の老軍師范増の墓。数々の進言をし、秦を滅ぼすのに 一役買ったが、項羽はかっとなると人の言うことを聞かず、 意見するものがなくなっていった。最後には漢の謀臣陳平 の策により失脚してしまう。失意のうちに故郷に帰る途中病死した。
コメント【NUNO−78】(到達) 消滅
とりあえずまだ何ともいえないのだが、下の華佗同様彭城路でひた すら聞き込むしかないかな。2001年五月徐州博物館をリニューアルした 時におそらく消されたと思われます。(T△T)博物館員さえしらない のには頭にきたなあー

華佗墓(かだぼ)
No Picture場所徐州市内徐州彭城路華佗祖廟内
アクセス不明
解説名医華佗の衣冠墓らしい。情報が多岐に渡っているのでおそらく存在 するのではないだろうかと思われたが・・・・・
コメント【NUNO−78】(到達) 消滅
海雲大厦という ビルを造った時にぶっ壊されたそうです。石碑とかは生き残ったらしいんだけど、 それも今ではどこに行ったか分からないらしいゞ( ̄ー ̄*)

子房祠(しぼうつ)
子房山場所徐州市内徐州站東側子房山内
アクセス站から歩いて2,30分
解説漢・楚の戦いがクライマックスの時、漢の軍師張良がこの山から楚兵に対して威嚇をし、楚の歌を兵に歌わせて楚の兵の気勢を削いだと言われている。その張良を記念して造った廟なのだが、文化大革命で壊されて今は土台を支える石壁だけが残っているらしい。子房は張良の名前である。
コメント【NUNO−78】(情報提供)
山に入るまではよかったが、途中で道に迷い大変なことになって遭難しかけた(゜〇゜;)変な魔方陣みたいなのが地面に書いてるは、刺青のいかついおっちゃんが変な呪文を唱えてるはで大変怪しい山だった。誰か元気のあるかた挑戦してみてください。←心底疲れた・・・・

呂布射戯台(りょふしゃげきだい)
呂布射戯台場所沛県東風路
アクセス徐州から沛県までまずバスで一時間くらい。站横のバスターミナルから6:20〜18:00までほぼ二十分間隔で出ている。何と豪華高速バスがあるのだ!!着いたらバイタク等で移動する。東風路は漢街の北にある通り。漢街の北出口から西に向かってすぐに大そうなそれらしい門がある(沛県文化館てところ)そこの中に入って左手にある。
解説呂布が劉備と袁術軍の間に入り仲介をしたところ。弓で戟を打ち抜いて和解させたあの舞台である。
コメント【NUNO−78】(到達)
石碑は落書きだらけで字が判別不可能だった。落書きなんてすんじゃねーよ馬鹿野郎!!(-_- )凸

大風歌碑(たいふうごひ)
大風歌碑場所沛県漢街
アクセス漢街まで分かれば問題なし。基本は上記参照
解説劉邦が酒飲んで歌ったところ。故郷に錦を飾った心の表れかな。下にある”歌風台”は博物館で項劉関連の遺跡情報を手に入れれる。呂布射戯台の居場所はここの人が教えてくれた。近くには高祖廟もある。
コメント【NUNO−78】(到達)
町全体が劉邦一色。ここのお土産も面白い。樊(0会)狗肉とか・・・・・(-。-;

劉邦・周勃・王陵・灌嬰故里(りゅうほう・しゅうぼつ・おうりょう・かんえいこり)
No Picture場所沛県安国郷
アクセス沛県からバイタク等で北へ向かう
解説それぞれ劉邦店村、周田村、安国村、灌嬰寺が地名である。大体五km圏内にこの四人の故郷があるわけだが、はっきりいってだるい(-_-;)”劉邦故里”という石碑はあるらしいが・・・
コメント【NUNO−78】(到達)
私は安国郷まででダウン。とりあえずここらへんがそうなんだなと感じれれ ばいいのでは?めちゃ農村地帯だし、気がひけるなあ。

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蘇州(そしゅう)

虎丘(こきゅう)
kokyu場所蘇州市内
アクセス5路バス『虎丘』下車
解説春秋時代の呉の王『闔閭』の墓。三国時代呉の孫権が墓の中に名剣がたくさん眠っていることを聞きつけ、ほらせたが結局見つからず地下から水があふれてきて池になってしまったという。蘇州の超観光地のうちの一つだが、 闔閭の墓で人が来るというより、塔の方が目当ての人が多いらしい。 しかし、塔の建立は宋の時代。蘇州人が言うには、ここは中国の 『ピサの斜塔』といいはっている。
コメント【NUNO−78】(到達)
こんな時代の墓が残ってる自体がすごいぞ!!だが、蘇州は孫策の墓を ぶっ壊している。ここ蘇州はほっといても観光客が来るので、マイナー な遺跡は潰される傾向にある。何てことするんだ蘇州!!!

千人石(せんにんいし)
No Picture場所虎丘内
アクセス上記参照
解説呉王夫差が父闔閭の墓を完成させた後、工事に関わった工匠達千人を酔わせておいて 殺した所と言われている。
コメント【NUNO−78】(到達)
かなりな残酷伝説。といってもただの石なんで普通に歩いてたら分からない(^_^;

孫武子亭(そんぶしてい)
No Picture場所虎丘内
アクセス虎丘参照
解説呉の名軍師孫武を記念して作られたあずまや。
コメント【NUNO−78】(到達)
比較的新しいあずまやなんでどうのこうのではないが、なるほどとうなるべし。実際に孫武が闔閭の前で閲兵をし闔閭の愛妃二人を殺したのはここではなく、太湖そばの所(到達)。その二人の墓も訓練跡の近くにある。

観音洞(かんのうどう)
No Picture場所蘇州西15km霊岩山
アクセス私は人民チャリを利用しました。16路、38路、遊4路のバスで霊岩山 まで行くことが出来るので、それに乗るほうが賢いと思われます( ̄▽ ̄ゞ
解説越王勾銭夫妻が呉の夫差に監禁されていた洞窟と言われている。
コメント【NUNO−78】(到達)
事実かどうかは分からないが、ほんとならすごい話だ。暗闇はいやっす。今はその洞窟は観音像が置かれ、民衆が線香をあげる場所になっている。

浣花池(かんかいけ)
No Picture場所霊岩山
アクセス観音洞参照。山頂内の寺の左手
解説一説ではここが夫差と西施が蓮の花をめでた所だということらしい。一応史記には勾銭が夫差に 負けて捕らえられたとき、西施を送ったことは記されていないが、伝説で は夫差が西施をもらい溺愛したことになっている。
コメント【NUNO−78】(到達)
現在は人民 達のごみ捨て場( ̄□ ̄!

玩月池(がんげついけ)
No Picture場所霊岩山
アクセス上記参照
解説西施が月をうつした池
コメント【NUNO−78】(到達)
くれぐれもただの汚い池やんとか言ってはいけない(笑)ここも上同様皆に素通りされてしまっている悲しき遺跡のうちの一つである。

北寺塔(ほくじとう)
hokujitou場所蘇州市内
アクセス1,101路『北寺塔』下車・・というか駅の近くにあり徒歩で10分てとこ。
解説元々は呉の孫権が母親の為に建てものがこの塔の最初で、現存しているのは宋代のものである。
コメント【NUNO−78】(到達)
ここから眺める蘇州の景色はなかなかのもの。孫権のことを抜きにしてもここはおすすめスポット。塔自体の概観も壮観で結構お気に入りの塔のうちの一つでもある。

伍子胥墓(ごししょぼ)
No Picture場所蘇州西南 呉県市胥口鎮西胥王廟内
アクセス自転車、タクシー。太湖近くの街に行くバスならここを通るのでそれにのって途中下車もあり。
解説春秋時代の呉の武将の墓。元楚の武将だったが、謀略により父と兄を殺され、呉に逃亡。 楚王に復讐を誓うが復讐を遂げる前に、楚王が死亡。楚を平定した後、楚王の墓を暴き死 体に鞭を打って復讐を遂げる。呉王こうりょの死後息子の夫差に仕えるが、意見はことごと く対立し、夫差の怒りに触れ自害させられる。遺体は馬革にくるまれ河に投げ込まれた。 呉の百姓は彼を哀れに思い遺体を引き上げ、胥口に埋めたとされる。しかし、文革によっ て破壊されなきものになってしまう。1986年蘇州建城2500年を記念して、墓が再び造ら れた。
コメント【NUNO−78】(情報提供)
あるにはあるみたいなのだが、捜索に二度も失敗している(^-^;難易度極めて高し!! 情報が多岐に渡って存在するくせに何故か見つからない。なんせ胥口までのアクセスが タクシー除いて、自転車しかないのがとても辛い(実は南バスターミナルから胥口まで 行けます。でも帰りのバスがないのです)しかも胥口まで20km以上あるし・・・・ 胥口はつかみどころのないとこなんで、ひたすら聞き込むしかないかな。胥口の西に あるということに念頭に置いて探してみましょう。 2001.3/9 伍子胥墓到着者の中国人に出会った。彼の話によれば胥口鎮政府の近くの橋を 西に渡って〜〜(この間の会話がよく分からん)着く、とのこと。しかし、そこら一帯に突っ込むと 民家の真っ最中であり道が最悪。しかも若い人がいない為『中国語』が通じない!!(T-T)
【youzi】(到達)
ここの場所は胥口胥漁村胥王廟というところです。胥口鎮のバス停から商店街(?)をまっすぐ南にいくと2つ目の4つ角に農業銀行があります。そこをまだ南に少し行くと胥定橋があります。その橋を渡って少し行くと右に入る小道がありますのでそこを入ると低層の家が並んでますのでそこで聞くとわかると思います。 胥王廟は胥定橋からの写真の左の石材工場と手前の白壁の民家の裏手にあります。 この運河は今もまだ毎日運搬船が行きかっていつもラッシュ状態です。

伍相祠(ごそうつ)
No Picture場所蘇州市内盤門の中
アクセス遊2路『盤門』下車すぐ
解説伍子胥を祀る廟で、伍子胥を死なせて後悔した夫差が記念に建てたといわれる。 館内にはどてかい伍子胥の像がある。この盤門内には伍子胥に由来したものが 多く存在する。伍子胥墓や関連遺跡の記述もあるが役に立つものではない。
コメント【NUNO−78】(到達)
やっぱりこの蘇州では彼はナンバーワンに有名人だ。伍子胥の像は笑けるほどでかい!!最近工事も終わり、盤門付近もきれいで便利になった。

孫武公園(そんぶこうえん)
No Picture場所蘇州新区何山花園
アクセス6路バス『何山花園』下車すぐ
解説昔はここらに孫武の屋敷があったといわれるところで、彼を記念して造られたのがこの公園である。公園の中には孫武の像がある。まあ市民の憩いの場かな。
コメント【NUNO−78】(到達)
付近には孫武子橋というのもあり彼の存在を感じることができる。

孫武冢(そんぶづか)
孫子の墓場所蘇州北呉県市陸慕鎮東南
アクセス場所的には高速道路の北側にあたる。はっきり言って難易度は高い。バイクタクシーを使うなら陸慕鎮からが便利。2001年版の地図や本などでも一応確認はできます。
解説世界中に知られている大軍師孫武(孫子)の墓。もと斉の人間だったが呉に来て闔閭に仕 え伍子胥とともに呉を支えた。特に楚を滅亡に追いやった彼の戦術はあっというまに 全国に轟いた。呉王闔閭の死後、後継の夫差との確執を恐れ隠居してかの有名な 『孫子の兵法書』を著した。死後はこの現在の陸慕鎮の河のほとりに埋められた。
コメント【NUNO−78】(到達)
2001.12土山の上や周りにはゴミがぶちまけられまくっておりこの墓の立場が怪しくなって きている。これじゃあそのうち壊されそうだ。ちなみに写真と比べてもらえば分かりますが、黒い 石碑が白くなったのは私の知人のせいです( ̄ ̄ゞ

春申君墓(しゅんしんくんぼ)
No Picture場所蘇州市小真山
アクセス蘇州南汽車站から東渚鎮方面のバスに乗り小真山で下車
解説戦国の四大名君子楚の春申君の墓。
コメント【NUNO−78】(情報提供)
はっきりいってこの墓がどういう意味合いのものなのか分からない。彼のほんとの墓は安徽省にある。

城隍廟(じょうこうびょう)
場所景徳路東
アクセス観前街の西入り口横が景徳路なんで、何でもありかな。観前街までバスで行ってそっから歩き。地図があると楽。【2004年1月】現在この廟付近が完全にきれいに整備され普通にお参りすることが可能になった。
解説ここは周瑜が死ぬ前までの12年間住んでいたところ。一説によるとここには周瑜が 植えた柏の木があるとか。周瑜は安徽省廬江が本籍だが、ここ蘇州は彼にとっての 第二の故郷なのだ。実は墓も蘇州西北にあった。 所在は(門+昌)門外黒松林、現在の交通技校の一帯。墓名”周公(土敦)” 周瑜墓確認行ったけどもうすでに現交通技校の建物の下に埋まってしまった。 2001.12.21存在していた時のことを門番のじいちゃんが知っていた。
コメント【NUNO−78】(情報提供)
どんなに見たくとも今は校舎の地下に眠るお墓。いっそ校舎破壊するか!?(/´д`/


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南京(なんきん)

孫権墓(そんけんぼ)
sonkenbo場所南京市梅花山
アクセス9路バスに乗り『中山陵』下車、そこから明孝陵風景区に行く。明孝陵の参道に近い園内にひっそりたたずむ。
解説三国志の呉の皇帝孫権の墓。
コメント【NUNO−78】(到達)
なんか園内が広くて、結構苦労したけど発見時はとても嬉しかったのをよく覚えている。 しかし、明孝陵にあんなに人が訪れるっていうのに、ここを知ってる人って果たして どれだけいんだろ!?ガイドブック(特に地球の歩き方)に無視され始めてしまっている孫権 墓。頑張れ孫権〜!!

石頭城(せきとうじょう)
場所南京市内
アクセス29路などバスで『漢中門』下車、徒歩ですぐ。 裏路地に入るため結構分かりにくい。下手したらミスる可能性あり
解説孫権が建業に遷都した際、建てた城の跡。城壁らしきものがちょろっと残っている。城壁が鬼の顔に見える為(私には分からん)、又の名を『鬼險城』という。
コメント【NUNO−78】(到達)
普通に見れば(ぼーっとしてたら)城壁なの!?って感じだ。しかしここが呉の軍事拠点であったのである。今も残る城壁はなんか崩れかけ五秒前!?

甘寧墓(かんねいぼ)
No Picture場所幕府山西
アクセス幕府山近くまでバスで行けるけど、その後はバイクタクシーをつか まえるしかなさそう。
解説呉の名将甘寧の墓。
コメント【NUNO−78】(情報提供)
燕子磯に行って聞き込みしたが実はそこにはなく、幕府山西にあるらしい。これは燕子磯の人がどうやってか知らないけど聞き出していたから間違い ないだろう。

駐馬坡(ちゅうまは)
駐馬坡場所清涼山公園出口付近
アクセス公園までは汽車が出ているので簡単に行ける
解説諸葛亮がここに馬を停めて、『ここはまさしく帝王の住むところだ』と感嘆したと言われる。
コメント【NUNO−78】(到達)
確かにこの山から見渡す南京の町並みは壮大だ。ただ実際に諸葛亮がここで馬をとめてそのセリフを言ったとすると少し?な気もする。

阮籍墓(げんせきぼ)
阮籍墓場所南京市花露岡路四十三中学校内
アクセス中華門から近く、集慶路の南側に位置する。結構ばりばりの生活感のあふれるとこに突入する。詳しく言うと北花露岡路になる。
解説竹林の七賢阮籍の墓。
コメント【NUNO−78】(到達)
草がほうぼうに生い茂り、ゴミ捨て場化されていたのはあまりにも憐れだった。この学校ではどういう教育がされているのだろうか?(笑)


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淮陰(わいいん)

韓侯祠(故里)(かんこうつ)
場所淮安市内
アクセス地図に載ってます。淮安と淮陰はバスで2、30分の距離。
解説漢の高祖劉邦の三傑『韓信』を祭る祠。故郷は准陰県の韓信故里である。
コメント【NUNO−78】(到達)
大好き武将の故郷。貧しい身からのしあがり、劉邦に天下をもたらしたのは彼なしではありえなかったのだ。

胯下橋(こかきょう)
場所淮安興文街
アクセス地図に載ってます。
解説韓信が若い頃、ちんぴらの股くぐりをしたといわれている所。
コメント【NUNO−78】(到達)
これは韓信を語る上で重要な場所である。志半ばで命を落とすのは馬鹿馬鹿しいという彼の志の高さが伺える逸話なのだ。天下定まった 後、そのちんぴらに感謝し爵位を授けてるのも興味深い。初め素通りし てしまったくらいの場所。街の風景からはいまいち浮いている感じが・・・・

韓侯釣台(かんこうつりだい)
場所淮安肖湖
アクセス湖の別名観音湖。バス66路『韓侯釣台』下車。66路は街の中心から出てるし、ついでに周恩来の故居・呉承恩の故居もこれに乗って行ける。
解説韓信が若い頃、生計の為魚を釣っていた所。
コメント【NUNO−78】(到達)
魚なんて売っても貧しい身分だったのには違いなく、不運な時をここで過ごした韓信だが、逆にその逆境が彼を強くしたのだろう。

漂母祠(ひょうぼつ)
場所韓侯釣台園内
アクセス66路『韓侯釣台』下車
解説韓信が幼少の貧しい時に飯をめぐんだおばさんを祭る祠。
コメント【NUNO−78】(到達)
人形がちょっとおばけ級でちょっと怖い・・・・。ちなみにこの女性の墓が市内にあるらしい。


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宿遷(しゅくせん)

項羽故里(こううこり)
No Picture場所宿遷市内
アクセス南京・合肥・准陰から宿遷行きのバスが出ているのでそれに乗る。南京からだと大体三・四時間ってとこ。後は地図にのってるので苦労はしない。
解説豪傑項羽の故郷。中華人民共和国初期に項里公園が造られたが、文革で破壊され、1983年から修復され今に至る。
コメント【NUNO−78】(到達)
項羽ファンは必ず押さえておきたい所。


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鎮江(ちんこう)

試剣石(しけんせき)
No Picture場所北固山公園内入り口すぐ
アクセス4路バス『甘露寺』下車
解説劉備と孫権が互いに剣を持って石をきりつけたという。願いがかなうのなら斬れよ!と思い斬ったところ二人とも見事斬ることが出来たという話。
コメント【NUNO−78】(到達)
劉備と孫権が抱き合ってる!?とか一瞬思ってしまったが、なるほど確かに石がきれいに割れている、しかし何故線が一本だけ!?(つーかツッコミ禁止・笑)

甘露寺(かんろじ)
場所鎮江北固山公園内
アクセス駅前の4路バスに乗り、甘露寺下車すぐ
解説かの有名な劉備が孫権母に娘の婿としての品定めを行ったとされる場所。実際には 当時すでに孫権母は死去しているので作り話。孫権時代に建立されたのではなく、 最後の帝孫皓の建立ということからも分かる。
コメント【NUNO−78】(到達)
寺内には、一元コインを入れると目を開けて微笑む大仏様がいるが、決してなんじゃこりゃ!?とかつっこまないように(^_^;;

太史慈(たいしじぼ)
太史慈墓場所北固山公園内
アクセス上記参照
解説呉の将軍太史慈の正真正銘のお墓。
コメント【NUNO−78】(到達)
横に並ぶ魯粛の墓とは対照的に常に人民の物干しの道具として扱われている可哀想なお墓。もうちょっと大切にしてよ。【2004年1月】付近が整備され民家がなくなりきれいになり、公園の外からこの墓が拝めるようになった。

魯粛墓(ろしゅくぼ)
魯粛墓場所北固山公園内
アクセス甘露寺参照
解説何故か中国にはたくさんある魯粛墓のうちの一つ。ここは本物じゃなくて、元々は現在の第一中学の中にあったらしい。
コメント【NUNO−78】(到達)
どうやら文革の影響で移されたっぽいのが悲しい。なんてことをさせたんでしょう毛沢東さんは・・・。上の太史慈墓もそうだけど北固山公園を普通に観光して 出口を出てしまったらまず気づかないぞ(^_^;;だって人民が住んでるもんね( ̄□ ̄!

狠石(へんせき)
狠石場所北固寺公園内
アクセス甘露寺参照
解説曹操を討つ為に孫権と劉備がこの石に座って語り合ったとされる。
コメント【NUNO−78】(到達)
はっきり言って『そんなアホな』の一言。小さいお嬢ちゃんが座ってもう座れない状態である。劉備と孫権はさぞ熱い会談を行ったに違いない(笑)

魯粛墓遺跡(ろしゅくぼいせき)
場所鎮江第一中学校内
アクセス鎮江火車站の前の通りを2,3km南下してぶちあたる中学校にある。結構大きくてきれいな中学校。門をくぐってすぐ右の壁の裏側に存在する。
解説その昔、ここには東呉魯大夫墓として石碑のみが残っていたが、校庭工事で地中に埋もれてしまった。その後市政府によって北固山に墓が移されることとなった。
コメント【NUNO−78】(到達)
ここに魯粛が眠っていたとなると感慨深いものがある。ここの中学生がうらやましいぞ!!土曜日に押しかけたのにも関わらず、管理人はめんどくさそうにだが場所を教えてくれた。


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無錫(むしゃく)

三国城(さんごくじょう)
sangokushijou場所無錫太湖
アクセス820路バス三国城路下車
解説大河ドラマ『三国演義』のロケ地がテーマパーク化されたもの
コメント【NUNO−78】(到達)
値段は高いもののアトラクション的には見てて結構面白いので、一度見に行くくらいなら十分価値があるだろう。


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