済南旅行(8/28-9/5)

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九月五日

今日は安徽省の烏江に行くことにした。南京の下関バスターミナルから廬江行きのバスに乗り込んだ。むかつくことにこのバスは
乗客集めにご丁寧に二時間も南京市内を回り人集めをしてくれた(怒)おかげでやっと南京を出発したときには疲れて寝てしまい、
起きた時には恐怖都市和県に到着していた(T−T)はう〜!!!周りを見渡すと目つきの悪い殺気の溢れた人民がうじゃうじゃ
いるではないか。そそくさ和県を脱出し烏江へ。

烏江へ着いて聞き込みする。あっさり場所判明。門は街の一番南にあって中々のものだ。しかし、そこから覇王祠までが何故か妙に
遠い。日差しの強さもあり体力消耗。20分ほどでやっと到着。金を払い突入!!中々でかい敷地面積である。項羽の自刎したところ
や項羽の墓等見所いっぱいである。感動しまくりのKENはしばらくそこで立ち往生する。項羽はここで最後を遂げたんだなー・・・

抛首石
項羽が自刎した所”抛首石” 項羽の墓概観

九月四日

今日はのんびりと起きて、イタコラが帰ってきた後に三人で昼飯を食いに湖南路へ行き、そこである鍋屋で食べた。それがいけなかったのかそのころから
皆お腹の調子がくるい始める。昼食後は、紫金山のロープウェイに乗ろうという話になってタクシーで入り口まで行く。入場料35元も払い突入。しかし、
このロープウェイくそ長い!!)`ε´( 片道30分もかかって頂上に到着した。周りの景色を見るが何かいまいち。とっとと下山する。

下山後何をするかでKENは明の朱元章の功臣の徐達の墓に行こうと強く主張。二人も折れバスで近くまで行き、聞き込みする。おじいさんに聞くと
あっさり場所判明。しかもめちゃなんだか喜ばれた。どうやら若い人間がそんな墓に行くのが相当珍しかったらしい。

門に到着すると門は閉ざされており入れない。くそっ!!目の前まで来て入れないなんて・・・・墓は恐ろしいくらいにいい墓だ。扱いがすごい

晩飯はまたもや南京師範大近くで韓国料理屋に行くが、そのまえにイタコラの腹に異常発生。KENも食事中にお腹がおかしくなり、ほとんど食べずに
帰宅。薬でなんとか凌ぐことができた。あの昼の鍋さえ食わなければ・・・ちくしょう!!

(左)紫金山、(右)徐達墓


九月三日

今日は徐州からバスで南京まで行くのが目標。最初に宿遷に行こうとするが、ここのバスターミナルからは出てないらしい(南站から)。イタッ!!
ていうことで淮陰へ向かう。二時間で到着。ここで昼飯を食べ、韓候故里に行こうと思いタクに声をかけるが皆『そんな遠いとこなんか行けるかよ
一人でいきな』と拒否られてしまう。仕方なしに南京行きのバスに乗り込む。南京に四時ごろ到着し、イタコラに電話するが誰も出ない。留守か・・・
とりあえず近くのマクドまで行き、コーヒー大杯を飲みながら帰ってくる時間を見計らうことにした。大き目のカバンを背負いみすぼらしい格好をしてる
KENは何故か回りの人民の注目の的になり、横の若いカップルにこそこそ言われつづける。

『あいつなんだよ汚いなー。絶対東北あたりから来た奴だぜ。いやだよなあー』
『そうよねー民工(出稼ぎ労働者)じゃないの?なんか最近多いよね民工。いやになっちゃう』

オイオイ・・・お前ら好き勝手に喋りやがって。いつかぶっとばす(▼д▼)六時ごろになったのでイタコラに電話かけに行こうと思ったら、本人と二年前の
蘇州研修で一緒だった喜多君がマクドに入ってきた。KENはイタコラの住んでるマンションは知っているが何階だったか忘れたために、ここで待って
いたわけであるがまさかここに来るとは思ってなかった。どうやら家の扉に張り紙をして六時ごろマクドで待っててということを書いていたらしい。何とも
奇遇な。しかし、イタコラと喜多君は私の格好をみて中国人と思ったらしい(T−T)

晩は南京師範大の近くで中華料理を食べた。


九月二日

今日は劉邦の故郷沛県へ。バスターミナルで沛県行きの切符を買い(12元)、乗り込む。おおっ!!( ̄□ ̄!すごいきれいなバスだ!!
こんないいバスが沛県まででてるなんて。もしかしたら結構沛県って有名な観光地だったりして。バスはがんがんに飛ばし一時間ほどで
到着。降りるとすぐにバイタクが声をかけてくる。目的地を告げると、ささっと出発して漢街に到着(1元)。街は独特な感じのするとこで江戸の
町並みみたい。

そこからすぐの博物館へ行く。劉邦関連の遺跡情報が満載(しかも写真つき)でかなり満足できた。そこの博物館を上に上ると、劉邦の像が
私を迎えてくれた。おおーこれがいままでよく本で見かけた像やな。その奥に劉邦が酒飲んで歌ったのを記念に残した大風歌碑があった。
なかなか歴史を感じさせてくれる代物だ。

博物館を後にし、横にある高祖廟へ行くが、買ったばかりのカメラのフィルムがつまり再起不能に(+。+)仕方ないのでデジカメだけで撮るしかないか。
そしてうろ覚えな呂布射戯台に行こうと思い、バイタクの人達に聞き込みまくる。が、皆あちこちいい加減な情報ばっかりいうのであきらめ博物館へ
聞き込みに行った。するとすぐに場所が分かった(^_^;;

漢街を北にでてすぐの東風路を西に向かうとすぐ右手に沛県文化会館というのがあり、そこを入ると左手にそれを発見!!『おおっ!!!』と
思わず奇声をあげおっちゃんに不気味がられる( ̄▽ ̄ゞ肝心の呂布射戯台は結構荒れ放題だった。落書きだらけだったし、これほんとに
保護されてるの?

それから急ぎ足で博物館で仕入れた劉邦の生家があるという安国郷へ行く。・・・・・遠すぎ(T−T)疲れ果て、沛県に戻る。
そして徐州へ戻り、今度は徐州博物館で仕入れた張良が祭られている廟があるという子房山へタクシーで向かう。
『あんた子房山に何しに行くん?』
『山登り』
『(笑)そこは登るとこなんてないわよ。山だったら雲龍山に登るべきよ』
運転手のネーチャンに適当なとこで降ろしてもらい、山登り開始!!最初は民間人の墓ばかりに遭遇して、どんどん進むと城壁跡みたいなのに出く
わす。次ぎに地面に魔法陣が書かれているとこに遭遇(-。-;さらに次は謎の怪しいおやじが両手をあわせて目を閉じ意味不明な呪文みたいなのを
唱えている(-_-;)ここは一体・・・・!?(・_・?)歩けども歩けどもそれらしい遺跡は現れない。うーんしかたない、退散するか。・・・・・って、ここどこ?(T-T)
いかん、まさか迷子!?記憶を頼りに戻ろうとする・・・・・あれ?ここって通ったっけ??もしかして遭難?
いやーん、こんなとこで朽ち果てたくないアルよ。太陽も沈み始めたこの時間KENは死に物狂いで下山する。そしてなんとか下山に成功する。
助かった・・・・人生初めての遭難を恐怖を感じた日だった。


九月一日

実は昨日旅行社に頼んでおいた電車のチケットをZI博から帰ってくるのが遅かったので受け取れなかった。←アホ
そのため朝早く起きて済南站まで切符を買いに行く羽目に(T_T)以外にすんなり徐州行きの硬座をゲットできた。時間が10:40発の
なんでホテルにささっと帰ってチェックアウトする。そして10:40の電車に乗り込んだ。相変らずすごい人間の数である。一体おまえらは
どこ行くねん!?前に座るカップルは男が上半身裸、女はゴリラ。つっ・・辛い(T-T)頼むから裸はやめてくれ。見たくないんだよ

特快だったので一時過ぎに徐州に到着。相変らず駅前は混沌としていて雰囲気は悪いなあ。とりあえずホテルさがし・・・あっ、おばちゃんに
連れていかれもう手続き完了( ̄▽ ̄ゞバスターミナル横の旅社である。一泊一番いい部屋90元はやめて50元の空調なしの部屋に決定。

そしてやっと観光開始。手始めに歩いて項羽ゆかりの地”戯馬台”へ。去年来た所だが、まさか今年も来るとは思ってなかった。本の資料を
買いあさり、次は徐州博物館へ情報収集に行く。えらいきれいな博物館やのおー。展示物もかなりいい感じである。徐州近郊には前漢時代や
秦時代の王様系の陵墓がたくさんあるので、それら関連の展示物が多かった。そして最後に博物館員へ質問攻め。

『華佗の墓ってどこにありますか?』
『ああーあれは何かビル建てられた時に壊されてないそうだよ。華佗の廟はここ徐州に4つあるみたいだよ』
華佗墓消滅!!

『あのー范増の墓ってここら辺にあるって書いてるんですけど、しってます?』
『はあー!?誰やそれ??』
『ほら項羽の軍師の范増』
『・・・・知らん』
他の博物館員も促して聞くが全く反応無し。今回范増墓の資料を持ってきてないので何かと難しい。自分の記憶を頼りに、”乾隆行天宮”の中を
探そうとするが乾隆行天宮自体がもう既に存在しておらず、石碑だけが残ってる有様。博物館の中の敷地を駆けずり回るが、それらしい土山も
発見できず断念。ああー范増よ、主はこんなことでは浮かばれんだろう。

失意にくれ雲龍山公園でぼーっとする。そういえばここに蘇東坡のゆかりの廃墟同然の遺跡があった。あんた全国に名前が残りすぎやわ

徐州博物館の展示物の一つ。金銀玉衣


八月三十一日

今日は今回のメインデッシュZI博へ行く。朝七時に駅前のバスターミナルから乗って出発!!(40元)バスは一時間半でZI博に到着。地図を買うと・・・
あるはあるはすごい墓が( ̄▽ ̄ゞ地図を見終わった後猛烈に後悔する。だってこんなけあったら時間日帰りじゃ足らないよ〜(T−T)とりあえず臨ZI行き
のバスを探す。あるにはあったが時間がかかるということと一時間先までないということで、仕方なくタクシーで移動することに決定。

とりあえず臨ZI斉国故城まで行ってもらうことにして、そして到着。愕然( ̄□ ̄!ひっ・・広すぎる。なんだこりゃなんてでかい都市跡なんだ??
見渡す限り畑が広がってるが、それを囲むようにして歴史を感じさせる城壁があるのである。これはすごい!!2000年の歴史の深みをもろに受ける。
さすがに戦国時代においても東方文化の中心地だったところである。それが今ではただの畑だらけ。そのギャップが余計に感動を覚える。

とりあえずタクシーをチャーターするような感じで、行って欲しい所に行ってもらう。古車博物館殉馬坑韓信宅下水道口遺跡
晏嬰墓桓公台臨ZI斉国城垣遺跡歴史博物館管仲墓ニ王冢四王冢姜太公旅遊中心とまわりまくって
もらう。時間の都合上行けなかったところも多いが、かなり満足できた。タクシー代も150元と以外に安く(しかもメーターで計ったのに)、
しかもその運転手のおねーちゃんが『私もよく分からなかったところあったから十元返すわ』とご丁寧に10元を返してくれた。
ありがとうねーちゃん、あんたのことは忘れないよ!!久しぶりに充実した日だった。

ZI博・・・かなり発展した街。済南よりは小さいがコンパクトに街がまとまっておりスーパー、旅行社、デパート、銀行等が駅前にあってとても便利だ。
バスターミナルと火車站が一緒なのも便利。バスがなくなっても電車が使える。旅行社で斉国故城遺跡ツアーもやっている。済南からはバスで
約一時間半。物価もかなり安め。

管仲墓入り口 管仲墓入り口です。ここをくぐって右手すぐの道を曲がり進めば到着。
かなり立派な墓で安心しました。

八月三十日

昨日の夜中から下痢になってしまった。どうやら昨日晩食べたカップ麺があたってしまったらしい。とりあえずいつもの携帯してる薬を
飲む。朝起きるとまだ痛みがあるので大事をとり今日シ博に行くことはやめた。

昼飯を駅前の『天龍快餐』で食べる。それなりにおいしかったが量が多すぎて食べきれなかった。1:40分頃ホテルを出てタクリ博物館へ。
2:15分頃着、またしてもおばちゃんはおらず、警備員に『二時半からっていってんだろ!!』とかいわれまたしても腹が立つ。仕方ないので
すぐ近くの旅行社で徐州行きの電車チケットを頼む。そして二時半頃博物館へ突入!一階の展示物は中々よかった。地下には石碑が
これでもか〜ていうくらいに無造作に並べられ圧巻だった。出る間際に、孫子・孫ピン兵法の木簡レプリカを買う。おばちゃんに広東から来た
學生だと言ったらめちゃ安くしてもらった。V(^0^)

経十一路からK51路バスに乗って站まで帰る。しかし北方の街ってさびしいのお〜可哀相になってくる(T-T)晩飯はまた昼と同じくのとこで、
魚香肉スーときゅうりを。相変らず一人では食べきれない量である。窓の外を眺めていると、どうみても売春婦の女性が集まりだし男に声を
掛けはじめている。警察が近くにいるにもかかわらずだ。食べ終わり外へ出ると、ねーちゃんが声をかけてきた。

『休息バ!!』(休みましょう!!)

へえ〜ここではそお言うんだ。しかし意味を解しておらず真面目に受け答えをしてる中国人もいた。『休息!?なんで?確かに今済南に帰ってきた
ばかりだけど、私は疲れてないぞ!!』←オーーーイ( ̄▽ ̄ゞ


八月二十九日

昨日は結局横のおやじのいびきのせいもあってほとんど寝れなかった。9:50に済南到着。站を出ると・・・・誰も寄ってこない(・_・")?
地図さえも売ってくれる人がおらず、地図を探すはめに。バスの候車室でやっと買えたと思ったら何と去年の地図。
ふざけんなよー!!(-_- )凸

そしてホテル探し。ゆっくり寝たかったので一泊はいいとこ泊まることにした。站横の『済南鉄道大酒店』に決定(184元)山東省博物館へ
行くためにバスを探し、51路のバスで近くまで行く。そこから少し歩いて到着。しかし今現在チケット売るおばちゃんが帰り、昼休みだから
2:30以降に来いと言われ頭に来てそこから站まで歩いて帰る。さすがにこれには疲れてしまい、寝てないせいもあってホテルで爆睡。
済南はめちゃでかい街。でもただでかいだけ・・・・・ あっ、そういやなんとかっていう泉が湧き出てくるとこ行ったな。でもおもんない


八月二十八日

夜九時過ぎに宿舎を出て、タクシーで站まで行く。十時二分発車なのに十時になってホームに入れた。しかもまだ電車はまだ来てない。
十時十分に列車がやってきてやっと乗りこめた。疲れたので寝付こうとするが、横に寝てるおやじのいびきがすさまじく寝れない・・・(T-T)


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