国慶節旅行(2001.10/1-10/7)

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総費用:700元
総日程:一週間
総訪問都市数:10都市


9月30日
ここは一体どこじゃーーーーー!!!!

今日の夜9:40頃の南京出発洛陽行きの列車に乗るために、午前の授業を終えたKENは用意をし蘇州北バスターミナルへ向かう。
国慶節は明日から始まるのだがもうすでに人で溢れていた(-。-;3:40発のバスに乗り込みしゅぱーつ!!6:30に中央門のバスターミナル
でイタコラと待ち合わせなのだが、余裕で間に合うだろう。・・・・・・しかし、現実には恐ろしいことが起こってしまった。バスはまず南京まで三
時間もかかった上に、南京訪問数20回に達しようとというKENでさえ知らない青空汽車站に着いてしまう。場所の把握が出来ない上に、
夜で周りがどこかわからない。タクシーを捕まえるが、皆『行きたくない。もう今日の仕事は終わりだ』とかほざき撃沈される。仕方なしに、
重い荷物を背負いながら猛烈ダッシュする。やっとのことで自分のいる位置を把握する。なんと夫子廟の近くではないか!!ここから5,6KM
は軽く離れている。こりゃやばい・・・・新街口までまたもやダッシュしてそこからバスに乗り中央門まで向かう。時間はもうすでに7時を過ぎている。
あああーこりゃもうイタコラはおらんかもしれへん。切符はイタコラが持っているのだ。このときほど携帯が欲しいと思ったことはない。

7時20分ほど待ち合わせの場所に到着。辺りを探しまわってなんとかイタコラと出会えることに成功する。はああーよかった・・・・((+_+))
晩飯を大娘水餃で食べる。食後まだ時間があるので、ケンタッキーに行き、ソフトクリームを食べる。そして火車站まで歩いて行き、候車室で
スタンバイする。しばらくすると座ってるとこの前が北京行きの列車乗り込みが始まりKENとイタコラは人にもまれはじめたので、そこを離れて
隣の列の座席に行こうと席を土足で踏み越えると・・・・・目の前にはごっついいかついじいさんが二人を睨み付ける。

『おい!!おまえらは学生か?』
『ハ・・・ハイ』
『さっきおまえ達は椅子を土足で乗り越えただろう!!あれはこの南京站の規則に違反する、罰金だ!!!\(`o'") 』
『え・・・え〜!!?(゜ロ゜)』
と状況がよく飲みこめない二人は、言われるがままに5元を出し領収証を受け取る(笑)5元はイタコラのおごり(!?)だったがなんだかよく分からん。

そうこうしてるうちに入場可能になり列車に乗り込む。今回は軟臥やからごっつい気分はるんるん。洛陽まっとれよ〜ていうか罰金てなんやまったく。


10月1日
ごっついつまらん

朝起きるとなんか寒い・・・・さすがに北方はちゃうなあ〜列車の中から見れる城壁みたいな土山を見ながら洛陽到着を待つ。イタコラとアホトークで
時間を潰す。鄭州に到着するとめっちゃすごい数の人民が下車して車内はイタコラとKEN二人きりになる。そこでイタコラがぼやく
『ああ〜おまえが女やったらなあー』
なんじゃそりゃ。九時四十分頃洛陽に到着する。列車から出るとやっぱ寒いわこりゃ。寒さにはごっつい弱いんよねー・・・・
站を出ると誰も寄ってこず自分でおばはんを捕まえて一番新しくていい地図を買う。そこから站前にある洛陽大厦に行き、二泊する手配を行う。
部屋は・・・・・あんましよくない。これで一泊80元(ツイン)て高ないか!?
荷物を置き、朝飯を食いに出かける。ホテル横の店で刀削面を食べるがめっさまずい!!しかも不衛生的な面である。まあしゃーないか・・・

飯食ったのでさあ観光へ!とりあえず世界遺産の龍門石窟にいくか。旅遊バスに乗り込んで30分ほどで到着。遠くから見るとなんかしょぼい石窟やなあー
これまじでおもんなさそう。とりあえず門票を買いに行く。60元・・・・轟沈。6、60元だあ〜!?なんじゃそりゃ、天下の兵馬俑と同じ値段やないか!!
学割も効かないので一時入るのをやめようとしたが、ここまできたからとりあえず消極的に入場することに。・・・・・・・・感想は、
3元の価値

それ一言に尽きる。ああ〜あほらし。そこの唯一の思い出は三組の中国人に入れ替わりたちかわりカメラを取るのを頼まれたことくらい(^-^);
そこから次は関林へ行く。バスの中で日本人女性二人がいて関林で一緒に降りたから、関林へいくんやろう。
関林の標識があるとこから入り口までかなり遠いので、KENとイタコラはさっさとバイタクに一元払いすいすい行く。その女性二人は必要以上にバイタクを
拒み、我らが観光を終わって出てきたときにやっと門票を買っていた。

さすがに関羽の首冢だけあって扱いはすごかった。関羽はあんまり好きじゃないけど、三国志好きとしてなんとなく嬉しかった。青龍堰月刀のレプリカを
試しに持ってみたけど、かなり重い。こんなん振り回してたなんて化け物やん。

関林を後にしバスで市内に戻る。そして洛陽博物館に行く。入り口で桃太郎さんの像を発見!!(笑)洛陽と岡山は姉妹都市やったんか・・・
博物館で情報集めと本あさりをする。しかし、中国の博物館員て全くつかえへん。文化指数が低い。博物館で働いてるのに遺跡のこと全然知らへん。
『司馬懿!?さあーどうだったっけ?現地で聞いてみて』
あほかお前はそれでも博物館で働く人間か?

関羽の青龍堰月刀レプリカ。
記述の通りめちゃくちゃ重いです。

10月2日
モンゲ、モンゲ!!

今日は呂不韋墓(※)に行く。バスターミナルから堰師に行くバスを探す。あちこちで『どこいくんだ?』ときかれまくるが、言ってる言葉はかなり訛っており
地名が分からない(聞き取れない)。『堰師(yan3shi1)??』とこちらが普通話で聞くと『はあ!?』と言われる始末。看板だけを頼りに行ってなんとか
発見する。乗り込もうとすると入り口で子供におしっこさせてるおばはんが・・・・(T-T)ちなみに堰師のここのいいかたは”イエンスー”。他には、
孟津(meng4jin1)は”モンゲ”(笑)、焦作(jiao1zuo4)は”ジョーズ”・・・といった感じ。・・・・そんなん分かるわけあらへんやん。そりゃ、バスの切符
売り場に講普通話(標準語を話しましょう)とかかいとるわい。

バスは一時間ほどで堰師のバスターミナルに到着。そこからバイタクのおっちゃんを捕まえ南蔡庄鎮まで行く・・・・・・・北方の風にうたれて寒い(T-T)
おっちゃん南蔡庄につくと聞き込み開始。何をとちくるかったかしらないが、おっちゃん女子高生をとっつかまえて聞き込んでいる。案の定言われました。
『呂不韋って誰よ?誰のお父さんなの?』
『いや有名人らしいんだ。』
『一体誰が行きたいのよそんなとこ。大体ここになにがあるのよ!!何もないじゃない!!信じられない〜!!』
・・・・・悪かったな(-_- )どうせ俺は変な奴さ。それから聞き込みが成功し呂不韋墓がある大冢頭村はもう過ぎているらしい。
あともどりし、そしてまた聞き込み。やっと場所判明。高中学校のなかにあった。バイタクのおっちゃんに金を払い突入しようとすると、何故か笑顔の
おじいちゃんが我らを遮る(笑)
『あの〜呂不韋墓ってここの中にありますか?』
『ああ、あの石碑がそうじゃ。主らはどこから来たのじゃ?』二人とも事前の口合わせは完璧だ。いっせいの〜で、
『福建!!』
『ふあ〜!?』(笑)
『だから福建やって』
『おお〜福建か。あんな貧しいとこからようきたのう。まあとりあえず”登記”してくれい』
ええ!?福建からきたといったまではよかったが、書き込むとなると嘘言ったのがばれるやん!仕方なく笑顔の絶えないじいちゃんを横目に
”氏名××××、身分証番号395648084、福建人、目的は呂不韋墓参観、入校時間11:30、退校時間12:00”
身分証番号とか適当に書く。・・・・が、氏名のところは何故か本名に(笑)しかし、全く怪しまれもせず校内に入場できた。( ̄▽ ̄ゞ

肝心の呂不韋墓は石碑がどーんとあってその下の石の土台が墓にあたるらしい。なんか今一想像よりもしょぼい。墓ぽくない墓である。
まあ、あったからいいか。ないよりましやしね。参観を終え、公道まで歩いて戻り洛陽行きのバスに手を挙げて乗っけてもらう。
洛陽に着いて昼飯を食べた後、後漢を打ち立てた光武帝劉秀の墓に行くことにした。バスターミナルでそこの近くを通る白鶴鎮行きの
バスに乗り込む。このバスとんでもなく遅い。恐らく2,30KMしかでてない。あきらめて寝ることに・・・・一時間ほどして目が覚めるが
まだ孟津県の入り口にすら到達してない。孟津県に入ってから道路の右手には、ごっつい数の墓がぽこぽこ(笑)あってすごかった。
後で買った本で分かったのだが、東周の墓や漢の皇帝の墓だった。二時間半程で光武帝陵にやっと到着。普通は40分くらいで
来れるらしい(T−T)

門票を払い突入。おお〜!!さすがに皇帝の墓はいいもんだ。参観を終え光武帝陵を後にする。光武帝陵の前の道は青空バザールと
化していてにぎやかだった。道は最悪やけど・・・公道まで歩いてバスを捕まえる。アレ??いきしと同じバスやん。チケット売りのおばちゃん
また一緒や(笑)何か変な巡りあわせやわ。

(※)呂不韋・・・秦の国の宰相。始皇帝の実の親と言われている人物。


10月3日
けつが痛い・・・

今日は鄭州に移動する。バスに乗り込んだはいいが、しばらしくしてトイレに行きたくなる。やばい・・・まだあと二時間はあるというのに。
高速を走ってるから停めようがあらへんやん。しかもそれに追い討ちをかけるかのようにKENの椅子は通路の間に作った簡易椅子。
ていうか椅子とはいわんこりゃ。板なのである・・・けつ痛え〜!!!けつ痛とおしっこしたさに気が遠くなりそうだ。もう一人の
連れの”ルーポンレン”イタコラは普通の座席に座っている。うぬ〜主は何ゆえにそんな席に座っておるのだ!!

何とか耐えて鄭州に二時間半で到着(遅っ!!)トイレ行きたいがとりあえず飯へ。おおっ、MR.LEEがあるではないか!!あそこに行けば
きっとトイレあるだろう。ってことで突入。すぐにトイレへ行くが順番待ちに出くわす。うぬぬぬ〜早くせい!!やっと自分の番がまわってきた。
・・・・・・助かった。膀胱炎になるか思たわ。

飯を食べた後から急に疲れがどっとでてKENはダウン。怪しいおっさんについて行ってホテル手続き完了。イタコラは一人で観光へ出かけに
行って、KENは部屋で寝ようと・・・・・・・したけど、テレビの共産党80周年記念ドラマ『長征』をついつい見てしまい、結局寝なかった。

夜飯を食べに六時頃街中をうろつく。寂しい街やな〜このニ七記念塔なんてなんてしょぼいでござんしょ。開封小龍包の店でたべるがいまいち。
適当にぶらついて部屋に帰ってテレビをつけるとまたもや『長征』が!!(笑)二人してついつい見てしまう。だってこのドラマの毛沢東とか周恩来
とか朱徳とか似すぎやもん。ごっつい感情移入してまう。


10月4日
河南省の蘇州

今日は鄭州をもうはや出発することに。まず手始めに曹操が袁紹の大軍を破った官渡の戦いの場所へ。バスターミナルで聞き込みすると、
東バスターミナルから出発しているようだ。公共バスで東バスターミナルへ行き中牟行きのバスに乗り込む。一時間ほどで到着する。
むむっ・・・発展してるのかそうでないのか分からない中途半端な街だ。バイタクに聞き込むとあっさり場所判明。てことでつれてってもらう。

そして入り口に到着。ありゃりゃ・・・・。なんてさびれてるんでおましょう!!こんななかに何かあるんかいな?ひたすらあるいてまず官渡の
戦いのレリーフにぶち当たる。どうやらまだ先になんかありそうだ。うん・・?遥か先に白いモスクのような建物を発見。そこでおもくそ後悔。
バイタクのおっちゃんにあそこまで連れてってもらえば・・・・(T-T)又暫く歩くと”官渡橋”と書かれた石碑に出くわす。この碑ご丁寧に『日本語』
の振り仮名までかいとるで。さすがに笑ってしまった。

やっとのことでその建物に到着。おっさんにしきりに日本人と疑われかけてたが、あくまで福建人で通す。建物に入るが、電気をほとんど
付けてくれずやたら暗い中で人形を見ていく羽目に。そこまでする自体ここが寂れ果ててる証拠やな。肝心の人形が動くと言われていたところも
ボタン押しても反応なし(T-T)オイ・・・・

その後付近に散在するうさんくさい遺跡三つ一人で見て回り(笑)、帰途につく。・・・ていうかマジ遠い。でかいカバン持ってる自分があほらしく
感じた。公道に出て開封行きのバスを捕まえようとするが、なかなか来ないのでバイタクで街のバスターミナルに戻り、そこから開封行きのバスに
乗り込む。一時間弱で開封に到着。着いたバスターミナルは西バスターミナル。そこから宿探しのため聞き込むとおっちゃんが連れてってくれた。
しかもご丁寧に我々の要求どおりに条件のあったところにニ三連れてってくれた。最終的にきまったところはかなり高めだったが、このおっちゃんは
親切に色々教えてくれた。おっちゃん我ら二人を外人と思ってなく、中国人と思ってたらしい( ̄▽ ̄ゞ

宿取ったあと、昼飯を食べに有名らしい第一包子楼に行くが人多すぎて轟沈される。適当にそこらの店で小龍包を食べる。食後開封の街をぶらつく。
ここ開封ってかなり街が豊かだ。見てて分かる。第一人民の顔を見てたらわかる。生活が切羽詰ってないせいか、表情は明るい。旧城内は
まるで我が蘇州のような街並みである。そこで二人はここ開封を『河南省の蘇州』と勝手に決定。そして10路のバスに乗って、河南大学へ
いった。校内をぶらぶらしてると学校から観光地の一つ鉄塔が見えたので写真撮影。そのあと留學生寮がないかイタコラが聞き込み開始。
知ってる兄ちゃんに連れてってもらう。いろいろ聞かれたが適当に受け答えをする。

留學生寮に到着すると、普段見慣れたあの人達の軍団と遭遇。女の子はポニーテール&リボン、男は刈り上げているといえば留學生ならば
もうお分かりである。日本の発音が『ルポーン〜』な、韓国人である。へえ〜こんな不便なとこの大学にも留學生いるんやなあ。中に入り
泊まれるかどうか聞くとOKらしい。明日はここに泊まろう。

その後付近の城壁を見て周り、10路のバスで中心街まで行き下車する。ここらへんは昔の建物がいっぱいで趣深い。夜飯はどうしようかと
思い周りを見るとファーストフードのDICOS(徳克士)があるではないか!!おいしいものが食べたい・・・・とにかくおいしいものが食べたい。
ここ最近ずっとまずいものしか食ってない。というわけでとちくるってそこで17元もする食事をする。そのときの鶏がどんなに美味しかったことか!!

入り口 ここが官渡古戦場の入り口です。
ここからくそ遠い距離にお目当ての
ものがあります。賢い人はバイタクの
人に目の前まで乗っけてもらいましょう。

10月5日
張良墓

今日は今回のメインデッシュ張良墓へ。バスターミナルで蘭考行きバスに乗り込む。一時間ほどすると途中下車場所三義寨に到着。
そこで降りてバイタクのじいちゃんに聞きこみ。すぐに判明。全く今回の墓はハプニングなしやのお。バイタクに乗りこみ南へ向かう。
方言のひどいじいちゃんとの格闘は続くが、鉄道の線路をくぐってすぐの右手に張良墓はあった。ここでの言い方は張良(土文)。
もっこりとした大き目の山が墓で墓の前には地中に埋もれている古いものと、新しい碑がたっていた。うーん素晴らしい!!
この墓ならかなり納得いくものである。ここで張良は最後を迎えたのか・・・

公道まで戻り開封行きのバスに手をあげて乗り込む。帰ってからまた観光開始。手始めに繁塔へ。そこまで行く時に人生初めて
列車のレールを歩いて横断するということを経験。肝心の繁塔はものそのものは多いきいものの敷地が異常にせまく窮屈な感じがした。
観光を終え站に預けてる荷物をうけとり、河南大学へ10路のバスに乗り込む。40分程して到着。手続きを完了させてからまた
出かけることに。イタコラがどうしても劉少奇の死んだ場所というところに行きたいらしいのでついていくことに。劉少奇逝世処の
前の道は工事中で騒がしかった。イタコラに入場料をおごってもらい観光(!?)開始。あんまり劉少奇のことは知らなかったけど、
どうやら冤罪のままこの世を去った可哀相な人みたいだった。イタコラは意見紙のところに”偉大なる劉少奇万歳!!”と書き込ん
でいた(笑)

そこからまた昨日いった繁華街へ。食い物屋をさがすがやはりめぼしいものはない。しかしここ開封はやっぱり豊かだ。
鄭州とはどえらい違いである。

張良墓石碑 張良廟
↑張良の廟です。中には怪しい顔した
張良様が笑っておられます(^-^)

10月6日
安徽省突入

朝昨日買った安徽省の亳州行きの切符を握り締め、駅前へ。乗り込み時間までまだ40分ほどあったので、駅前の汚いとこで食事。
食後站に入りスタンバイ。切符検査が始まって站のホームに入るとまだ列車はきてない。どうやら遅れてるらしい。やっと来た
列車も人民が何事も考えずにわれ先にと車内へ入り込もうとするので、中々進まず出発時間を過ぎてもまだ全員乗り切れない。
そうこうしてるうちに列車がなんと動き始めたではないか!!( ̄□ ̄!おっおい、まだわしはのってへんで!!その時後ろから警察に
背中を猛烈に押され無理やり列車に入れられた。

列車内は結構無座の人民が溢れており混沌とした雰囲気。自分の席まで行くと、人民が座っている。
『おい、どけ!そこはわしの席じゃ!!』
『はあ?なんでだ?俺は座ってるじゃないか』
『ほな、われのチケット見せんかい。どうせ無座やろ。はよどけ馬鹿!!』
男はしぶしぶどく。そうするとその男の横にしわっていた子連ればあさんがKENの窓側の席にひゅっと移動する。
『おい、あほかおまえ。そこはわしの席やゆーとるやろう。耳は育ってないのか?』
『いやあー私はほらこんなかわいい子供がいるから席二つ使ってもいいでしょう?』
『可愛ない、可愛ない!子供がいようがいまいがそこはわしの席やゆーとんねん!!何の関係があんねんあほう!!』
そうやってやっとばあさんはどく。すると今度はイタコラの席に座った。あくまで子供の分を確保する気らしい。イタコラもきれる。
『どけーあほ。そこは俺の席じゃあ!!』
そうしてばあさんやっと自分の通路側の席に居座る。はあーなんて面倒くさいやつらだ。意味不明な論理を通そうとするから恐ろしい。

途中商丘という都市で軍事車両が止まっており、大砲を積んだ大量の戦車に遭遇。そのときあちこちのおかあさん達が子供に教える。
『あれが”大砲”(da4pao4)よ』
ガキ『へ〜、ダーパオ!!ダーパオ!!ダーパオ』とあちこちから大砲という言葉が列車内に蔓延しだし、車内は異常にうるさくなる。
うっさいんじゃボケ!!じゃーかしいわ!!

列車は三時間で亳州に到着。明日の合肥行きの列車の切符を買いに行くが何故か切符売り場が閉まっている(・_・")?
仕方ないので宿探しをすることに。すると我らの目の前にどでかい曹操の像が!!おおーすげーっ!!
站近くのきれいそうな宿に入り恐る恐る聞いてみる。
『多少銭?』
『どんな部屋がお望みですか?豪華部屋、標準部屋とございますが』
『じゃあ、標準の』
『じゃあ25元です』
『えっ!?ツインで25元??』
『他には80元のがありますが。これは部屋内にシャワー・トイレつきです』
結局そこに決定。部屋に入ってびっくりする。めちゃくちゃ部屋はきれいだし、設備からいったら三ツ星いじょうやん!?
こんなん80元で泊まってええのかいな?

宿を出て観光に行くことに。リンタクを捕まえ街の中心に行ってもらおうとするが、
『はあ!?俺はそんなとこ知らねーよ。じゃあな』こんな奴が続出する。五人目くらいでやっと知ってる奴を捕まえれた。
とりあえず、曹操運兵道まで行ってもらう。到着・・・・ん!?張り紙がしてある。リンタクのおやじは言う。
『いやあーそこは今入れないんだよ。』
もっとはよいわんかい!!中を覗いて入れるかどうか聞いてみるが無理らしい。張り紙によれば
地下道の中の漏水がひどく修復が必要らしい。残念・・・。そーいえば曹操運兵道に行くまでに曹操の像があったな。

次はそこから歩いて華佗の故居へ向かう。意外に観光客が多い。しかし、なんか寂しいな・・・ここで華佗が暮らし、
薬を栽培してたなんてことを知らないとこけるかも。次は花戯楼へタクシーで向かう。タクシーの初乗り4元って安いよなー
どこかで3元て見たことあるけどどこだっけ??花戯楼は関帝廟やら岳飛廟やらがあった。けどそれらよりも
展示物としてあった曹操の父曹嵩の遺体と言われるものが一番興味深かった。思わず隠し撮り・・・( ̄▽ ̄ゞ

観光を終えて、そこから大きい公道まで歩いて戻る。その間には昔の街並みが残っておりかなり趣深かった。
そして昔の城門の近くまで歩き、華佗の像の写真を撮る。旧城内の中は人でごった返していたが、賑やかそうだった。

曹操像
曹操像
華佗
華佗像
曹操父
↑曹操の父曹嵩と言われている遺体。
隠し撮りしちゃいました。でもおばちゃん
寝てたよな!?

10月7日
目指せ蘇州!!安徽省横断

イタコラのリクエストにより今日中に南京まで戻ることにした。私は蘇州まで。ていうか遠いなあー時間的にはぎりぎり可能なんだけど・・・
朝少し遅めに起きてしまい朝食の時間に間に合わなかった。ホテルを出てタクを捕まえ汽車站へ向かう。合肥行きは10:00らしい。
只今9:20分まだ時間はあるので、ぼーっとする。今ごろになって地図を買う。友達の分も含めて四枚も。おっさんがびびってた( ̄▽ ̄ゞ

10:00になると合肥行きのバスが到着。乗り込む・・・・・おい、ていうか席あらへんやん。どーいうことやねん。またもや鄭州に続き
板の簡易椅子になってしまう。まじかよー、これで五時間以上ものるんかい!!はあーたまらんわごっつい。
とにもかくにもイタリア製小バス『依唯(木可)』(IVECO)は発射発車する。

相変らず道先々で人民を拾っていく。金を集めるおっさんも窓から叫ぶ。
(※)『ダジュゼレー?!!』(どこまで?)
全く安徽省の方言もすごい。普通そんな言葉わからへんで。よく蘇州のとかの人民に『お前達の中国語は聞けば外国人の発音だとすぐに
分かるぞ』とか偉そうに言ってるが、第一蘇州の農村に行けば皆普通話できないし(テーンフォットン『ティンブドン(普通話)』とか言われる)
安徽省や河南省の奴がどれだけ普通話下手なのか知ってるのだろうか?こいつらはほんまに俺ら外国人より余裕で下手やで。全く
無知にも程がある。

出発してまもなくまたもやKENはトイレに行きたくなる。う〜ん今回の旅はなんでこんなにバスの中でトイレに行きたくなるのだ!!
二時間ほど耐えたがやはり我慢はできない。
『おっさん!!トイレ休憩はないのか?小便したい!!』
『ああ〜?×××××!!(意味不明聞き取れない)』
KENはまた叫ぶ。おっさんもまた何か言うがさっぱりわからん。そこで横に座ってた人民が通訳をしてやっと理解したらしい。車は
ガソリンスタンドに停まり、やっとトイレにありつけた。他の人民も皆行っていたので密かに皆行きたかったのである。でも助かった。
おっさんはぶつぶつ文句いってたけど。

二時間半ほどでやっと蒙城という街を通過。残りの距離を考えると総乗車時間は六時間ほどになりそうだ。もうだるいので寝ることにする。
が、板の椅子がすげー痛い。寝れない(T−T)四時間ほどで准南に到着。何人か客が降りたので後部座席があき、やっとまともな椅子に
座れることになった。ああー気持ちええわー。お菓子を食いながら二人で時間をつぶす。五時間半で合肥に到着。ああー疲れた(×_×;)

着いたバスターミナルが見たことのないとこだったので地図を買い、そこらの果物売ってるおばちゃんに聞く。が、皆字が読めないから
分からないと逆ギレしだす(-_- )凸 バイタクの親父に前使ったことのあるバスターミナルにいってもらう・・・・・・がここも知らん。しかも
さっきのとこから10秒でついたやんか!!こんなんで5元てぼりすぎやろ。二人ともあきれてものも言えなかった。
合肥人万歳〜!!

自分達でそのバスターミナルにたどり着き、南京行きの4:00の切符を買う。しかし肝心のバスは4:00になっても来ない。やっときたと
思ったバスは3:40分のだった。かなりバスが遅れてるらしい。人民もかなりきれだしはじめた。ふとそこで周りを見渡すと何組かの
中国人カップルが何やら深刻な顔をしている。どうやら別れの時間が近づいているらしい。前もこの合肥から南京に戻る時もこんな
カップルがいたっけ。そこでイタコラがつぶやく。
『いや〜××君。この目の前のカップル今熱烈なキスをしてたよ』
( ̄□ ̄!ええっ!?俺は見れなかったぞ。何か悔しい・・・・そうこうすると3:40発のバスがやっと。出発カップル達は皆最後の
美しき別れのシーンを演出している。特に女の人は涙を浮かべダーリンとの別れを嘆く。KENはそれを見て何を思ったか
くくくくくくっ・・・・(泣くのではなく笑い)
イタコラ『××君、君は悪だねー』。しかしそーいいながらも彼の口元は笑っていた( ̄▽ ̄ゞだって女の人は皆きれいだけど男は全然
いけてないやん。二人して『俺の方が幸せにできる』とおもくそ勘違い。彼らと我らの違い・・それは多分金だ。この国では金の切れ目が
縁の切れ目なのである。我ら”ルポーン”(韓国人が発音する中国語の日本)人は金持ちは金持ちやけど、いかんせん我らは
学生。学生さんは金がないのである。唯一金のある留學生が夜の床屋さんにいくのである。あの男達はすごい金持ちに違いない、そう
無理やり考えて納得。

四時四十五分ごろバスはやっと到着。これで今日中に蘇州に帰れるか微妙な時間になってきた。ひたすらバスの中で寝て。
7:00にバスは南京のバスターミナル中央門に到着。もう蘇州行きの7:00の最終バスは出てしまっただろうと思ってたら
まだ発車してなかった。しかし、もう気力がまったくない。今日蘇州に帰っても家に着いたら多分11:00くらいになる。
てことでイタコラ邸にお泊りすることに。今回の旅は全くおいしいものにありつけなかったので、おいしいものを食べに南京師範大学の
近くで食事。中に入ると今日サッカーの中国代表が今日にでもワールドカップの切符を手に入れる試合があるらしく、テレビは
スポーツ番組にセットされていて、人民が集まりだしてきた。そのせわしいなかで二人は中華料理にせっせと飯にありつく。

そうこうしてると対オマーン戦が開始。人民は興奮しながら応援している。KENとイタコラも小さい声で応援。
『がんばれーオマーン中国!!』

(※)ダジュゼレー?・・・・普通話では到(0那)里(0牙)?


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