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一日目(2001.11/17)
鬼謀妙計
朝列車は時刻どおりに西安に到着。荷物を站前の預かり所に預け、まず※陳平墓があるとされる戸県行きのバスを探すことに。
まず駅前で聞き込みまくる。しかし誰も知らない。どーなんてっんねん・・挙句の果てに『戸県行きのバスなんかない』とか言われる始末。
そしてやっとのことで聞き出せたと思ってそこのバスターミナル行くが、
『五一汽車站?そりゃここのことだけど。でも今はバスなんか走ってねーよ』
なにー!?ふざけんな!!仕方ないので、手当たり次第にバスターミナルを当たることに。思いがけず一番はじめに行った南関バスターミナル
横の道から戸県行きのバスを発見!!ほっとして乗り込む。
バスはゆっくりと客を集めながら拾いながらちんたらちんたら進む。途中えげつなく悪い道を走りけつが痛くなる。しかも天井に頭ぶつけるし(T-T)
バスは一時間半くらいで戸県に到着。うむ、スーパー田舎ではないところだ。とりあえず陳平墓について聞き込む。しかし例によって誰も
知らない。またまたでました爆弾発言(^_^;
『ああ〜陳平??誰だ?お前のお父さんか?』
ドカ〜ン!!出た※爆弾発言
知ってる人民がいないので仕方なく見切り発車することに。とりあえず最寄の地名を告げてそこから聞き込もう。バイタクのじいちゃんはのほほんと
ゆっくり運転している。10分程して下ろされる。
『ここが陳平村じゃけどお主が行きたいところはここじゃろ?』
『は!?ちがーう!!陳平”村”じゃなくて陳平”墓”じゃ』
『いやーわしの知ってるのはここの陳平村までじゃ』
『陳平墓はここにはないのか?』
『そんなことは知らん』
しかしここに陳平の名前が残ってるってことは墓は近いに違いない。それに墓があるなら近くの人民は知ってる奴がいるに違いない。
そこから何人かの人民に聞き込み。しかしやっぱ知らない。らちがあかないので最寄の鎮まで移動してまた聞き込むことに。
余下鎮に着いた後老人に聞き込むと知ってるおじいさんを発見。道を教えてもらいどんどん進む。そして発見〜・・・・??
人民が指差す方向見てもそんなものはなく、ただの田んぼが広がってるだけではないか!?いや・・あった!!
農作物のごみで隠されてて分かりにくいがあれがそうだ!そこから猛然とダッシュして陳平墓到達ー!!
やったー・・かねてからの念願を達成できて感無量だ。石碑も二つあるし、墓もちゃんと形を留めている。
気のすむまで陳平墓を見、拝んでからその場を離れた。もとの戸県バスターミナルまで戻ってもらい金を払ってじっちゃんと別れる。
朝から何も食べてなかったので食事をとることに。バスターミナル横の食堂に入り麻婆豆腐とご飯を食したが、この麻婆豆腐普通に
いける。結構おいしいではないか。お腹がふくれたので西安行きのバスに乗り込みまたもやバスで一時間半揺られる。
西安に着いた後預けてた荷物を受け取り、友達が紹介してくれた宿にレッツゴーする。駅近くの解放門飯店。名前は飯店だけど
招待所クラス。留學生証を見せると驚かれたが中々親切な人たちでこの辺はぼる人間が多いから気をつけるようにアドバイスしてくれた。
部屋は中々きれいで暖気がありいい感じである。部屋でごろりとしていると気がつくと寝てしまっていた。
※陳平-紀元前秦末〜西漢の人物。秦末の農民蜂起で項羽軍に従軍するが、項羽にあることから罵られ官位を剥奪される。
そこで彼は劉邦のもとへ飛び込んでいった。若い時には兄嫁と私通するなど悪からぬ噂が多かったが、仕事はきっちりこなし
能力の高い人物であった。謀略家である彼の献策は度々劉邦のピンチを救った。劉邦死後は、呂氏専横時代にあって
わざと酒と女に溺れ呂氏の警戒をかいくぐり、裏では周勃と協力して呂后死後呂氏を政権から追い払い劉氏の王位を守った。
※爆弾発言-
平民から帝王へ
今日は長年の夢でもあった漢の高祖劉邦の墓を目指す。三国志の劉備の祖先である彼の墓を押さえることは絶対に外せない。
劉邦は今から2000年以上も前の紀元前の人物で、秦末の農民反乱から義勇軍を結成し、項羽と協力して秦を滅ぼした。
その後項羽との覇権争いを最後の最後で勝ち取り天下人となった。農民から天下人にのぼりつめたことが当時すごいことで
あっただろうし、他を見ても今までの歴史上なかったことではないだろうか?そんな劉邦の墓を見ようと思い、咸陽行きのバスを
探す。
昨日の内に西安各地のバスターミナルから咸陽行きのバスはほとんどなさそうだったのが分かっていたので、地図とにらめっこして
西安西果ての漢中路からの咸陽行きのバス59路を発見。とりあえずそこまで公共汽車で調整し、59路のバスに乗っていざ咸陽へ!(3元)
バスは30分程で咸陽市内に到着。とりあえず右も左も分からないので終点の咸陽火車站まで行く。着いた後、咸陽の地図をゲット。
なんとご丁寧に劉邦墓に一番最寄のアクセス地となる韓家湾までのアクセスが乗っている。火車站前からたくさん韓家湾行きの
バスが出ておりこれに乗ればOKだ。荷物を預け出発!
バスは客を集めながらとろとろ行く。途中周王陵の入り口がどかーんとあった。確かこの近くに太公望の墓があったはずだけど、またの
機会にしよう。張家鎮を通りバスは一時間過ぎで韓家湾に到着。すげー田舎だ。しかし、バイタクがたくさん並んでるのを見て安心(^_^ゞ
そこから聞き込み。
『劉邦墓ってしってるよね?』
『もちろんだ、有名だからな。お前行きたいのか?』
『そうやけど、場所から見て先に※簫何墓行くのがいいな。知ってるか』
地図上の簫何墓を指して聞く。
『簫何〜・・・おおっ、知ってるぞ』
・・・・嘘くせー
とりあえずそのバイタクの親父のバイクに乗り出発。難易度と遠さからして先に簫何墓行った方がいいだろう。
バイタクはブルブルブル〜っと進み、10分程してバイタクが停まる。あん?もう着いたのか?
『おい、その〜簫何墓ってどこだ?』はあ?おまえ知っとるんちゃうんか?でたよ人民必殺※知ったかぶりの計
『おまえなあ、知ってるって言うたやろ?周りに聞けよ!!』
親父は周りの人民に聞き込み。すると知ってる人民じいちゃんに遭遇。
『おお〜、簫何(現地読みxiao3he2・普通話xiao1he2)墓ならここ東史村にあってな。ほれ、そこの道を南に行ってすぐの右手じゃ』
よっしゃどうやらあるみたいだ。バイタク親父は発進し、しばらくすると右手にそれらしいものが・・・
『おい、多分これだろう』
な、何〜っ!!全然写真と違うぞ。近寄ると何か石碑が建っている。なになに、”双冢”??。時代は西漢と書いてる。確かに
周りを見渡してもこれ以外に考えられない。じっくり観察していると周りの人民達が集まってきた。バイタクの親父が聞く
『おい同志、この墓は簫何ってやつの墓か?』
『そうだ。これが簫何の墓だ。向こうにあるもう一つのやつが息子の墓』
まじかよっ!?これが本当に簫何の墓なのか・・・ひどいよこれ。もともと円形の形だったのに今はその円形の両端の部分が
ごりっと削られ横から掘り返した後や人民の住んでた後のようなものがあって、かなりひどい状態だ。
『おい、何でこの墓こんな風になってしまったんだ?』
『いやあ〜多分農地が足りなかったんだろう。位置的に邪魔だからな』
『ふざけんなよ、あまりにも憐れじゃないか!!』
あまりのひどさに憤慨する。仕方ないこれが簫何の墓なんだ。とりあえず次は簫何墓に近いとされる曹参墓を探すことに。
『おっちゃん※曹参墓って知ってるか?』人民に聞く
『ほあ!?曹参(現地読みcao2sen・普通話cao2shen1)??誰じゃそりゃ?』
駄目だこりゃ。他の人民も知らないので考古学的資料と考えで独自に探すことに。とりあえず高さとか周囲を考慮に入れて
周りを見渡してみる。う〜ん13Mってかなり高いからなあ。そうこうしてると公道の南側にそれらしいものを発見。
あれだ!!
そこまでバイタク親父をひっぱたたき突進する。じっくり見て検分をする。どう考えても資料どおりの大きさだ。相変らず碑はないが、
文革で壊されてないから仕方ないだろう。親父も同じことを思ったようで、これが曹参墓なのだ。これは簫何墓よりよっぽどまし
である。民間人の墓が傍や中腹にぽこぽこあるが立派な墓である。それにしても簫何は可哀相だ・・・・
そしてやっと劉邦の墓漢長陵へ。曹参墓からそこまでの道は相当やばくバイタクがぎりぎり通れる狭さな上に道がぼこぼこ。
何度もバイタクが傾き横の2m程下の溝に落ちかけて恐怖だった(T-T)
10分程して到着。ここからはバイタクでは入ることができないので、歩いて以降とした矢先に長陵管理局のおっさんに
止められる。方言100%で聞き取れないが、どうやらここを見るなら身分を明かさないといけないらしい。しかし
あまりにもひどい方言なので困り
『あんたのいってることは一つもききとれへん。中国語喋ってや!!!』
そうすると彼には痛い話しだったみたいで黙りこくってしまった( ̄▽ ̄ゞ横にいたおじさんがきれいな普通話で説明してくれた。
どうやらここ長陵は国家重点保護物であり、出土品が国宝級だとか。それを狙って盗みに(堀に)来る奴が後を絶たないらしい。
そこで見るのには登録が必要だといってくれた。身分証(蘇州大学学生証)を見せるとバイタクの親父も含め三人が仰天し始めた。
『おっ、おまえは外人・・しかも日本人なのか?あらー中国人だと思ってたわ。ここに何しにきたんだ?』
『もちろん見にきたんだけど。駄目?』
『いや、どうぞ見てやってくれ。いやあ、最近の中国人は全く歴史の事を知らない奴が多いのに、おまえは外国人なのに
中国人よりよく知ってるなあ。いや〜感心するよ』
そっから歩いてまず劉邦墓ヘ向かう。見た目より結構遠い。そして劉邦墓を登り周りを見渡す。うーんいい眺めだ。向こうに
劉邦のおくさん呂后の墓が見える。なんで彼女の墓がこんなに大きいんだ?中国三大悪女なのに。心行くまで劉邦墓を
満喫し、呂后の墓も見に行く。すると石碑を発見。えっと・・え!?石碑には漢長陵と書いてある。おいおい、これは呂后の墓
だろう。なんでこんなとこに建ててるんだ?全くいい加減だな・・もう一度劉邦墓に行って石碑を探してみる。
うん!?石碑の建ってあった石碑跡を発見。折れた石碑が横に転がってる。おーい文物は大切にして下さい人民さん。
長陵を後にし帰途につく。今日は長年の思いがかなってよかった。やっぱ天下人の扱いはすごいということを痛感して韓家湾に
戻る。咸陽行きのバスに乗り込みまたもや一時間ちょい。咸陽到着後、バスに乗り西安に戻ることに。
・・・・あれ!?何か荷物が少ないような。
( ̄□ ̄!
荷物受け取るの忘れとった!!!バスを飛び降り咸陽站に戻り荷物を受け取った。あぶねーあまりに感慨深くなりすぎとった。
西安に戻ったあと昨日と同じところに泊まる。
※簫何-劉邦の旗揚げ時からずっと劉邦に付き従い後方で劉邦軍を応援し、常に兵糧がきれないように支え続けた。
劉邦は天下統一後、韓信・張良とともに建国の三大功臣に簫何の名を挙げている。簫何は建国後丞相になった。
※知ったかぶりの計-
※曹参-簫何と同じく劉邦旗揚げ時からの人物。漢軍きっての猛将。曹操の祖先にあたる
人民との会話
今日は昨日買っておいた洛陽行きの軟座切符を手に洛陽に向かう。元々今日朝早起きして友達に頼まれていたある場所に行って
写真を撮るつもりだったのだが、起きたのがいかんせん列車出発前の一時間前(^_^;ほんとすんませんでした
とりあえずホテルを出てパンを買い、列車の待合室でスタンバイ。時間も時間とあってすぐに切符検査が始まり駅構内へ入る。
列車を見るとなんとがらあきである。ラッキー!!しかも軟座だから快適だ。この四時間気楽にいけそうだ。
列車は時刻どおり11時40に出発。程なくして駅員が弁当を売りに来たので購入。ついでに北京名物のタンフールー(リンゴ飴みたいなやつ)
も買い食べる。弁当は10元とちと高いが中々いけるし、タンフールーはめちゃくちゃうまい。お腹一杯になったとこで持参してきた
三国志演義を読みふける。
結構回りの人民達がにぎやかでなんじゃこのにぎやかさは?と思い耳を傾けると、向こうの方でにぎやかに喋ってる人民達からもろ
広東語が聞こえてきた。『おおっ!?香港人かな大陸の広東人かな?』鉄道員と一人中国語を使って話してたから多分広東人かな?
でもそのじいちゃんしかどうも中国語ができないみたいだ。あれ!?
そうこうしてるうちに、横に座ってるおばちゃん連中二人組みが話し掛けてきた。
『あんたどこまで行くの?』
『はあ、洛陽ですけど』
『洛陽いったことあるんでしょ?どんなとこが有名なの?』
そこで洛陽の一般的に有名な観光地とそうでないマニアックなところ等色々教える。どうやらこの二人旅好きで延安行って、西安行って
これから洛陽へ行くらしい。少林寺に洛陽と鄭州からどっちから行く方がいい?とかも聞いてきた。更に次には鄭州の見所や開封の
ことまで。鄭州は何もないけど開封は素晴らしいところだと教えてあげる。
会話も途切れたあたりにさっきの広東人のじいちゃんがKENの前の席に座り、横のおばちゃん連中に洛陽に行くのかと聞き始めた。
やっぱ大陸人(dailoyan)なのか・・とか思ってる時にすかさずじいちゃんがこっちに話題をふってきた。
『若者、どこまで行くんだ?』
『いや、洛陽なんですけど』
そしてそこからまたさっきのおばちゃんに話した観光地を教える。関林の話に触れると
『これはもしかして・・・』
『そう、これは関羽の墓で首がおさめられてるとこですよ』
そっから話は盛り上がるが何かこの人の発音変だよな。何か聴き取りにくい。すかさず聞く
『あなたどこからきたんですか?』(広東語で)
じいちゃんはKENが広東語を話したのにびっくりしている。
『わしは香港から来たツアー客じゃ。若者、どうして広東語できるんだ?』
『できるっていっても少しだけですよ。香港映画好きですし、広東語の語感が好きなんですよ』
そっからまたもや話が盛り上がる。このじいちゃん生まれは福建でその後香港に移住して30年になるらしい。んでもって
『若者、お主の家はどこなんだ?』
『日本ですけど』
『おおっ!?本当に日本か?お前の中国語は外人のに聞こえないぞ』
それから横のおばちゃんも含めやたら日本のことを聞かれる。案の定またもや出てきましたこの話題。
『聞いたところによると日本の首相は国民にすごい人気だそうだな。しかしあれはよくなかった。
靖国神社参拝はやらないほうがよかった。もっとアジアの人たちの感情を考えないといかん、違うか?』
うっ・・・・きつー(-_-;)
けど、初対面の人間に普通そーいう話しますか?そーいう貴方達のほうがちょっと失礼じゃないの?
少し気まずくなってしまったが、相変らずじいちゃんは横のおばちゃん二人交えながら延々とおしゃべりする。
ゆうに会話能力を簡単にオーバーヒートしてしまってるKENは頭が痛くなってきてしまった(^_^;
洛陽について気が付くといつのまにか洛陽大厦にチェックインして爆睡モードに入ってしまっていた。
お台場曹叡墓
朝寒さを感じ目を覚ます。時刻は八時過ぎ。すんげー寒いんですけど洛陽大厦さん。空調がないためにこの寒さはたまらん。
昨日買っておいたバナナを朝ご飯に貪り食う。お腹も膨れたところでホテルを出る。今日は曹操の孫曹叡の墓を目指す。
とりあえずバスターミナルで最寄の汝陽までのバスを探す。すぐに発見して動いてるバスを停めてのせてもらおうとしたら
『こっちくんな、のせられねーよ』
はあ?なんでやねん。俺が危険人物だとでもいうんかい
『出発し始めたバスはバスターミナル内で一時停車して客を乗せることは禁じられてるの。そうしたら罰金くらって、その日の稼ぎは
全部パーになるの。分かるでしょう。』
なるほどそーいうことか。てことで次のバスに乗っけてもらうことに。中々きれいでいいバスじゃない。発車を待ってると急に腹の容態が
急変する。いかんこりゃきた・・・・下痢だ
すぐに薬を飲んだがこれは大丈夫なのか?まあ大丈夫だろうと自分らしくなく無理にでもとりあえず向かうことに。
バスは道先々で客を集めながら進む。おばちゃんも窓から顔を出し叫ぶ
『ルーヨン、ルーヨン!!』
でた必殺洛陽方言攻撃。全然普通話と違うやんけ。普通話だったら『ru3yang2ルゥヤン』でっしゃろ?
バスははじめに関林バスターミナルでまた
客集めをし、また出発。今度は龍門石窟付近で客集めをしていく。
はあ〜相変わらずとろいのお。伊川県に入ってすぐ急にトイレに行きたくなり、
やべーこれ!とか思ってる矢先バスはガソリンを入れにガソスタに停まった。ラッキー助かった・・
ガソリンを補充しバスは出発。今度は伊川県バスターミナルに停まり、客の乗り降りがあり、そしてやっと出発。バスはしばらく走ると
台地に入っていった。おお何か帝王の墓つくるんやったらこーいうとこが映えるやろうなあとか思ってたら農家の壁に”大安鎮”の文字が!!
そろそろ降りる所ちゃうか?程なくバスは大安の中心地で停車、KENもここで降りる。しかしこれ街っていえねーよ。街といえる範囲が20m
以内しかない(笑)とりあえずバイタクのおっちゃんが一人だけいたので聞きこむが『俺に聞くな』と完全無視される(>_<")
仕方ないので周りの他の人民に聞き込む。
『曹叡墓ってどこにあるか知ってます』
『曹叡?誰じゃそいつは!?お前の親戚かお父さんか?』
ぐお〜違うんだ〜!!
もういやだーこの人達!!なんでいつもお父さんが出てくるんや〜大体自分のお父さんの墓くらい皆知ってるやろ?
ううっ、泣きたいよほんまに
手元の資料にはここの大安に曹叡の墓があることが記されてるけど、手持ちの河南省の地図には何故か曹丕墓って載ってる。
『ほんなら曹丕墓って知ってる?』駄目元で聞いてみる。
『おおーツァオフェイ(曹丕cao2fei1)墓か。そりゃしっとるぞい。ここの道を北に戻って、そっから今工事現場みたいなとこあるからの、
そこ右に行っていけば分かるぞい』う〜んいまいちよく分からん
『何か目印になるものとかないですか?看板とか標識とか』
『あるある!すぐに分かる』今一よく分からんがとりあえずあるみたいだから探してみよう。北に向かいとりあえず右手に
工事現場みたいなとこにたどり着く。しかし何もない・・・(・_・")?辺りを見渡すがそれらしいものはないし、人もいない(爆)
仕方ないここは墓マニアンの腕の見せ所だ。ここはさっきも考えたように台地で帝王の陵墓つくるにはいいとこだ。俺ならどこにその
陵墓を建てるだろう。やっぱ台地の上の見晴らしのいい所だろう。そんなところはないか?もう一度視力を振り絞って(!?)辺りを
見渡す。
うん?なんだあそこにあるもこっとしたそれっぽい土山は?
絶対あれや!!
自分の直感墓発見器がやかましいほど鳴っている。『ピコンピコンピコンピコン標的発見!!』
そっからひたすらその土山がある方向に歩く。周りは全部畑。道がない(-。-;でも畑には作物がないので横断しまくる。
途中人民おっちゃんに遭遇。心配なので聞いてみる
『旦那すんません、曹丕墓ってどこですか?』そう言うと人民おっちゃんはおもむろにKENをその曹丕墓の見えるところまで
連れて行ってくれ、『あのほら見えるやつが曹丕墓だ』
ビンゴー!!
いやでも曹丕じゃなくて曹叡墓だって(T_T)よし俺の直感は正しかった。とにもかくにもあったでー曹丕墓曹叡墓!!
そっから見えてる曹叡墓を目指し畑を横断しまくるが、中々曹叡墓に辿り着かない。思ったより遠いな・・・
なんとか頑張って曹睿墓に到着する。石碑とかはさっきのおっちゃんがないって言ってたから仕方ないけど、いい状態で土山が残ってる。
ぐるりと一周し土山に登り1800年近く前の曹睿に想いを馳せる。孫の墓はちゃんとあるのに曹操の墓の惨めさといったら
憐れで仕方ない。やっぱ三国志演義が世の中の人々に浸透しすぎた結果なんだろうけど、曹操がなんで悪役なんだ!!
嘘でもいいから曹操の墓作ってくれ!!(涙)
こころゆくまで曹丕墓曹叡墓を堪能しその場を去る。公道までまたひたすら畑を横断。はいてるジーパンが
すんげー汚くなってきたやん(×_×;)やっとの思いで公道に到達。そっから洛陽行きのバスに手を挙げて乗っけてもらう。
バスの金集めのおっちゃん『どこまで行くんや?』とりあえず前回洛陽来た時龍門石窟を対岸から見てなかったんで見ることにしよう
『じゃあ龍門まで』
『ああ〜?ルオヨン(洛陽のこと。普通話だとluo4yang2)じゃないんか?』ルオヨンっていうんか洛陽の洛陽方言。
なんとなく嬉しくなり(謎)バスに揺られる。
40分後くらいに龍門石窟の対岸に着いたんでバスを降りた。対岸スポットには怪しい人民がうじゃうじゃいて物売りがしつこい。
あまりにもしつこいから思わずどなる(笑)
『近寄んな〜!!』そう言うと人民達はどっかに行ってしまった。んでもって対岸から龍門石窟を眺める。
ほ〜こっから見るほうが全然ええやんか。何も60元も払って入ることなかったわ。元々観光用の石窟前の道は
無かったんだし、こっから見るのが普通だったんでしょ。
そっからバスに公共汽車乗って洛陽駅前に戻る。站に預けてた荷物を受け取り鄭州に移動することに。バスは乗ってから
一時間たっても発車しないので、人民達が大ギレしている。
『早く行けよ!!』
『一体行くのか行かないのかどっちや?』
『待ち合わせ時間に間に合わへんやんか。俺はチケット取り消しするで!!』
そーいう降りて別のバスに行こうとする人民をバスを取り仕切る人民が必死に止める。そんなやりあいが勃発し
余計に発車しない。ったくはよ行けや・・・
やっと発車したのは私がバスに乗り込んで一時間半後。お話にならへんわ
バスは高速を走るが、途中なんと何を考えたのか人民達
高速道路で途中下車!!
おいおいそれ見つかったら罰金やで。停めるバスの奴もそうやけど、こんなとこで降りる人民がすげー(゜o゜)
て思ってたら今度は
高速道路で人民がバスに乗り込んできた( ̄□ ̄;)!!
すげーよ河南人民。江蘇省の蘇州-南京間でやったらえらいことになるで。
結局鄭州に着いたのは八時過ぎ。何と三時間以上もかかった。
宿はおばさんに連れて行かれて手続き完了。一泊シングル30元の招待所。飯を食いに行きその帰り警察に止められ、
身分証をみせろと言ってきた。
『俺は中国人じゃないからそんなの持ってないよ』そう言うと警察のおっちゃんびびって
『ああ〜?何〜?中国人じゃない・・・??ほんとか!?』そっからやたらその警察官やたらKENを疑う(笑)
留學生証を見せてもまだ疑う(・_・;)『なんでおまえは外人なんだ・・何故中国語ができるんだ・・』いや一応中国語勉強
してるからね。とはいえ俺の中国語はそんなにうまくないっちゅーに。
宿に戻ったあと、隣のおばはんがやたらうるさく夜中の二時半くらいまで騒いどきながら次の日は六時から活動してて
めっちゃうるさかった。
どこだ〜周勃墓!!
昨日のうるさいおばはんのせいで寝起きはかなり悲惨だ。気分悪いんでさっさと招待所を出て飯を食いに行く。飯
済ませた後、今日のメインディッシュ周勃墓に向かうため地図とにらめっこする。こりゃあるとこまでバスは皆無だな(^_^;
とりあえず31路で近くまで行けるみたいだから、それに乗っていこう。31路のバスは結構街の西にあるのでそこまで歩いていく。
途中鄭州大学があったので、河南の学生をチェックする( ̄▽ ̄何か見てて可哀相になってきた・・・(笑)やっぱ北は貧しいのね。
着てる服見てるとふと関西の某大○大学を思い出してしまった。
31路のバス停にたどり着いてすぐにバスがやってきた。終点は鄭州の高科学技術開発区みたいだ。20分程でそれらしいとこに
きたんで適当に下車する。そっから地図を片手に歩き回る。・・・・・・・ふと足を止め気が付く
( ̄□ ̄!バ、バイタクがおらへん!!
うおっ!!墓マニアンが一番恐れる事態が起ってしまった。こりゃ今日は厳しい戦いになるなと腹をくくる。
とりあえず周勃墓を知ってる人民がいるかどうか聞き込みを開始する。意外にも知ってる人民が二人もいた。市政府管理所の近くの
河を北上していくとばーりでかい墓がある、それが周勃墓らしい。なんともよく分からない情報だ。仕方ないけどこれを頼りに行くしかない。
結構北上したが全くそれっぽいものはないので、河で仕事してる人民をとっ捕まえて聞く。
『そこの旦那、小双橋村ってどこですかいな?』
『ああ〜なんじゃそりゃ。何村じゃい?小双橋村?うーむまだ北だと思うがの』
よく分からん。仕方なしにまた北へ向かう。すると何か途中で水路がとぎれて下の道と交差してるとこまできた。そこの横の
池で釣りをしてる汚いかっこうした兄ちゃんに聞いてみる。
『ミスター、小双橋村ってどこ?』
『おお、ここの下の道を西に向かって行くとそこが小双橋村だ』
おおっ!そうかぶつは近いぞ。兄ちゃんに礼を言い、そこへ向かう。途中すんげーでかい煙突があってあっけにとられて見て通り過ぎたが、
ふと急に煙突横のもっこりとした土山が異常に気になり、おもわずダッシュして見に行くが、じぇんじぇん違いました(T-T)
墓マニアンであるが故に必要以上にそーいう紛らわしいものに逆にひっかかりやすくなってしまう。
ていうか言い訳ですはい(^_^ゞまだまだ修行が足りません
結構歩いてきたけどここが本当に小双橋村なのか?心配になり聞こうとするが人民が全くいない。やっと現れたバイクに乗った人民の
前に立ちはだかり(笑)、聞き込む。
『小双橋村ってどこ?』
『小双橋村〜?なんでそんなとこ行くんだ?うん!?何だその本見せろ』
持ってた本を人民おっちゃんはKENから奪い取り見る。本の中身には感心してたが値段が19元なのを知ると”高すぎる”と
ケチ付け始めた。
『その周勃墓に行きたいんだ。知ってるか?』
『周なんちゃらの墓は知らんが紀信墓ならしっとる。ありゃ立派な墓だったわい』おお、紀信墓知ってるとはやるなおっちゃん。
とりあえずおっちゃんと色々話をするが、KENを考古学者と勘違いしおまえは発掘したことがあるかどうか等の方向にエスカレートしていく。
どうやら土山なんか見に行くのは中国人では研究者とかぐらいらしい。
『俺は午後から仕事がないから手伝ってやってもいいぞ。お前俺にいくら報酬くれるんだ?』
『はあー!?金くれんとやらんのか?ま10元くらいかな』
『少なすぎるぞお前。小双橋村までこっから歩いたら一時間もかかるんだぞ』
『一時間?嘘つけ!そんな遠いわけないやろ!』
『本当だ、ところでもっと金くれないと行ってやらないぞ』『じゃあ20元』
おっさんはまだ首を横に振る。もーええわ一人でいくわ。そー言っておっさんと別れようとしたとき、おっさんが言う
『ところでお前銃持ってるか?』
何!?銃何かどーすんねん!?何に使うねん??意味が分からん・・・ていうか怖えーなんやこのおっさん。
持ってないと言うとおっさんは残念そうに走り去ってしまった。銃!?どーいうこっちゃ??
とりあえずまたもや聞き込みながら分かったことは、さっき河沿いの道が途絶えてたけど実はそこ橋を越えて行けばまた川沿いの道が
復活しててその道をずっと北上したところが小双橋村らしい。KENはそこの橋を渡らず下の道に下りて西に向かってしまった。すんごい
道ロス。しかも3kmはロスしてるぞ絶対。だる・・・ていうかあそこの兄ちゃんに騙された・・・このタコ!ファーック!!
そこからまたひたすら北上していくと左手に明らかに墓と思われるものを発見!あれじゃないか?と思い畑を横断して到着。
しかし何も碑がないしこれって違う?横で談話してるおばあちゃんに聞く。
『周勃墓?そりゃこれ違うわい。こりゃ(土敦)じゃ。周勃墓はもっとでかいし碑もあるし廟もあるわい。もう少し北に行って河の右手じゃ』
おおっ、碑もあって廟もあるのか。こりゃ期待できそうだ。
おばあちゃんの言ったとおり周勃墓はあった。これまじででかい
周勃の扱いがこんなにいいなんて。写真を撮ろうとしたら農作業してるおばちゃんが
『むやみに写真撮らないでね。私達の神様だからね』とにっこり笑いながら言ってくれた。おおーしかも人民に慕われてるとは
周勃よかったなあ〜(T−T)簫何が何だか可哀相になってきた
廟前は人民の肥料の臭いが猛烈で気絶しそうになったが廟内には周勃の朔像があり、ちゃんと保護されている。墓碑一つに
周勃墓の石碑が二つ。無微不至(至れり尽せりである)だ。墓をじっくり見てからふと紀信墓について思い出したので、休んでる
おっちゃんに聞くとこっから5kmもあるらしい。その5kmっていう言葉を聞いた瞬間へなへなとその場にしゃがみ込んでしまった。
だってもうすでに軽く10km越えて歩いてるしどー考えてもこっから5km歩ける気力がない。例え行ったとしても帰りの距離を考えると
絶対歩けない。紀信墓は今回諦めざるを得ない。ちくしょー・・・バイタクさえいれば!!・・でも道が道だけにバイタクが通るとしても
一方通行になるが( ̄▽ ̄ゞ
そっから重い足をひきずりながら(笑)もとのところまでずっと川沿いに帰っていく。なんとか31路のバス停に着いたとき思わず
その場に座り込んでしまった。バスに乗って鄭州市内に戻り、開封行きのバスに乗ろうと切符を買いに行く時またもや警察に止められる(T-T)
『身分証みせなさい』ここ鄭州で警察に止められる回数が今回で五回目とあって不快度指数はマックスに到達!
『俺は外人や〜!!見てみーやおっちゃん。ほらユ○クロの
フリース着てるし、中国人こんな色のジーパン履かへんやろ?
第一この靴だってな〜安もんかもしれへんけど一応メーカー
もんやで。腕時計やってなあ、SWATCHやねんで!ぱちもん
ちゃうでほら見てみー。ここにSWATCHって書いとるやん!!
どや?参ったか?ほら何かゆーてみーや?』
すごいけんまくで関西弁でまくしたてて喋りまくる。おっちゃんは分かった分かったという顔をしながら、
『對不起、我弄錯了』(すまん間違えた)
と一言謝って去っていった(笑)とりあえず開封行きのバスに乗り込み、着くまで寝ようとしたが、バスで寝る癖がついてないので
寝れなかった。バス乗ってるときはどうしても土地感と距離感を得たいが為にずっと外を眺めることにしてるのだが、今は何と言っても
外はまっくら( ̄▽ ̄仕方ないので三国志演義を読んで暇を潰す・・・・おえっ、酔ってしもうた(T-T)
開封に着いたのは八時過ぎ。西バスターミナルのようだ。開封一度行ってすっかり好きになってしまったKENは一人にやにやしながら
夜のライトアップされた開封の街をあてもなく彷徨う。するとすんげーでかい日本料理屋さんを発見。おおー綺麗だし中はすごい広い。
ぼーっと中を覗いていると、中から店員がやって来て
『しっしっ!』
と追いやられてしまった( ̄□ ̄!お、俺ってそんなに物ほしそうな顔でもしてたんか??がーん俺は乞食やないで。
失意にくれながら宋の街並みを再現し、夜はライトアップが綺麗な宋都御前街にやってきた。相変らずいい感じやなあ
そうぼーっとしてると輪タクのおっちゃんが声をかけてきた。宿の手配をしたいと言うと早速連れてってくれたが、ぼろすぎの
旅社(T-T)とりあえず站前で泊まる所探そう。
站に着いて料金の五元払ったら、おっさんは七元だと言い張る。俺は最近歳くったからこの距離を走るのはこたえる、だから七元だとさ。
ていうかおっさん一点也不顕老(少しも年取ってるように見えない)
だって肌だってつやつやしてるし元気ありあまってますみたいな身体してるし。ちなみに歳聞いてみる。
『35歳』
しばくどおっさんー!!
頭にきたのでダッシュ逃亡しようとしたら『待て〜!!』とすんごいけんまくで追いかけてきた(笑)ていうかおっさん
めちゃめちゃ元気やん♪
あまりにわらけてきたので不当な料金に抗議する気がなくなって七元払った。おおきにおっさん久しぶりに痛快に笑えたよ。
宿は駅前の菊城賓館に決定。留学生証見せたらかなりびびられ、おばちゃん方言攻撃開始(笑)
『ニスーズベレンア!?(イ尓是日本人0阿)』(あんた日本人なんかい!?)思わずその方言で爆笑してしまった。
鄭州での”日本人”は”ズーベンレン”だけどここ開封は”ズベレン”。あまりにその発音が面白すぎる!!
でそのおばちゃんやたら空調のある部屋を薦めときながらいざ部屋に行くとエアコンなんてものはなかった。
しかしシャワーついてるし、50元にしては中々いいんじゃない?まっいいさ〜なんせ三日振りの風呂だもーん♪
ベッドもふかふかで気持ちいいし何かここ最高〜!!
←開封宋都御前街入り口。きれいでしょ?
六日目(11/22)
むごすぎる・・・
朝目覚めるとめちゃくちゃ寒い。身体凍えながら服を着てホテルを出る。荷物を駅前の売店に預けて朝飯を食うことに。
米線(米で作った麺)と小龍包を頼んだのだが、何故か小龍包の替わりにワンタンが・・・!?文句言うと”あんたが頼んだのよ”と
言われ余計分けわからん。で食い終わって出て行こうとしたら、呼び止められ小龍包を手渡された。??・・・とにかくお互いに
誤解があったらしい(^_^;
今日の目標は戦国時代の名四公子の一人信陵君墓を目指す。とにかくこの墓は写真や文章に書いてるとおりぼろぼろの墓みたい
なので、こっちもなくても仕方ないという気持ちがないとやってられないだろう。しっかし自分の思い入れが強いだけなのかもしれないが、
信陵君は四公子の中で一番落ち度がなくて素晴らしい人物なのに、墓がこの有様とは全く許せん。
站前で信陵君墓の最寄の住所(!?)(シ王)屯郷まで交通手段を聞き込むが、どうもバスはないみたいだ。10kmしか離れてないのも原因
の一つだが、とりあえずバイタクのおっちゃん捕まえて(シ王)屯郷まで行く。着いた後おっちゃんは掃除のじいちゃん二人組みを
とっ捕まえて聞き込む。しかし絶対知らなさそう。
『信なんとか君?えー何々・・戦国時代!?おいお前見てみろよ、戦国じゃとよ一体何時の話じゃろうなあ。ふひょひょひょひょ!!』
やっぱ知らないか。ていうかその笑い方すんげーむかつく( ̄- ̄ゞしかもこのじいちゃん自分達の昔話をどうやら始めたみたいだ。
おいおい脱線しとるで・・(^_^;仕方ないので更に最寄の金鐘李村を尋ねるとじいちゃん達すんげー思い出すのに時間かかったけど(笑)、
一応知っていた。そっから道を西にとり大きな公道に出て、バイタクのおっちゃん何度か聞き込む。しかしあっち行ったりこっち行ったりで、
中々到達できない。するとバイタクの左手にでかい土山が!!バイタクにそこへ向かわせる。降りて農作業中の人民夫婦に聞くとそれは
墓かもしれないけど、誰の墓か知らないし、どっちにしろここは金鐘李村ではないときれいな標準語で教えてくれた。こっからもう少し北に
行ったところがそうらしい。
バイタクはまたもや聞き込みながらやっとのことで金鐘李村西に到着。しかし肝心の信陵君墓を誰も知らない。なんでやねん!!ま墓の
状態からすれば仕方ないことかもしれへんけど、地元の英雄を誰も知らないとはかなりいただけない。
人民がうじゃうじゃ集まってああーだこうだと
始めるが、全くらちがあかない。仕方ないので自分でめぼしいものをかたっぱしからあさることに。丁度農作業をしてる人民の横に何か
香をたいたような場所を発見。しかもかなり荒れ果てた小さい土山である。もしかして・・・
『あのーこれって魏無忌っていう大昔の有名人の墓ですか?』
『いや、わしらはよくは知らんがこれが誰かの廟らしいな』なぬっ!?
『廟?普通の人のじゃないよね?廟じゃなくて墓でしょ?』
『そう、確かに墓とも言える。ここら辺にそれらしいものといったらこれしかないぞ』
『じゃこれが信陵君の墓なんだね?』
『多分そうだろう』・・・・・信陵君あまりにも憐れだよ。とりあえずここで他の墓らしい怪しいものはないか念入りに探すが全くない。そうすると
バイタク親父がその墓であろう場所から手を振ってKENを呼ぶ。とりあえず行ってみると、
『おい、こんなもの見つけたぞ!!』おっちゃんの手には墓碑のかけらと思われるものがあった。げっ!?こりゃまさしくここに墓があったって
証拠だ。しかもこの付近には民間人の墓がないことは人民から情報収集済みだ。ここが信陵君の墓なんだ・・・まじで泣きたい。
とめどなく出てきそうな涙をこらえるのに必死になってしまった。
『ひどいよ・・・あまりにも可哀相だ。地元の英雄を忘れ去っちゃ駄目だよ』と愚痴をこぼすとバイタクの親父は笑いながら
『2000年以上前の人間なんて誰も覚えてないじゃろ』と言い放った。ちくしょーそんなのは認めねー!!とりあえず野次馬の人民達に
説教半分で、きっちり墓を保護しろと言う。そのほうがあんたらの為になるし、観光客が来るようになったらあんたら儲かるやろ。そーいうと
人民達はぽかんとしている。もーええわほっとこ。ああー最悪・・・・
失意にくれながら開封站前に戻る。でいくらかと聞くと”40元”やと?おまえなあ何でそんなに高いねん。おっちゃん曰く
『いや、俺はお前の為に60kmも走ったんだから40元が妥当だ』
『アホかおまえは!?どこが60kmも走ったんや?普通に考えても30kmも走ってないぞ』
『いや俺には分かる。さっきの距離は総じて60kmはある。40元』
『ふざけんなよ40元なんて割にあわへんやろが!!絶対払わへんぞ』
『絶対払え!!』
『お前なあお話にならへんど。大体おっちゃん一日平均どれくらい稼ぐんや?言うてみー』
『大体50元くらいかの』
『なら余計に割にあわへん。まだ今まだ昼やろ?これからも稼げるやんか。30元でええやろ』
そっからしばらくもめるが、おっちゃんはKENの提示した料金をのみKENの完全勝利!!ふふお主ら悪いことはしたらあかんで〜
大体なあこの貧しい河南省で毎日50元もかせいだら一ヶ月1500元やんか。1500元っていったら蘇州の平均収入に近いねんで。
いくら開封はまだ豊かだといっても蘇州に比べたら田舎なもん。そんなんに騙されてたまるかい
とりあえず腑に落ちない信陵君墓であったが、とりあえず次は商丘→亳州ってな感じで行こう。
列車の切符を買おうとするが無座しかないらしい。
バスの値段とそんなに値段の差がなかったんで、バスに乗っていくことに。商丘までは二時間で到着。街に入ると中々発展していて驚いた。
位置的に乗り継ぎ場所になるから結構栄えとるんかもしれんな。そっからまたバスターミナルで亳州行きのバスに乗り込む。
バスは発車してまもなくVCD鑑賞が始まった。なんとシュワルツネッガーの『ターミネーター2』。あっ、熱いぜシュワちゃん
人ぼっこぼこ殺して服や物は奪いまくるは、銃撃たれてもびくともしないわ、中国人もあっけにとられて映画に見入っている(笑)結構古い
映画やけど今でも全然見れる。当時としたらすごい映像革命やったろうなー。
バスは一時間半で亳州バスターミナルに到着。そこから次の目的地寿県に行くバスを探すが、もう寿県行きのバスは終わったらしい。
ちっ、ちょっとばかし遅れたか・・・蒙城まで行けばまだ寿県行きのバスがあるといってやたらにのせようとするおっさんがいた
がどー考えても無理だ。
今夕方六時で、たとえ今すぐ発車して蒙城に着いたとしても絶対八時。その時間で寿県行きのバスがあるなんて
まず考えられない。大体バスは午後六時を越えると全国共通できれいさっぱりなくなる。とりあえず今日中に寿県行くのはあきらめることに。
站まで輪タクに乗って行く。何とこのくそ遠い距離を三元。まじで!?安すぎ安徽省。站の切符売り場に行き明日の准南行きの切符を
買うが何故か無座しかない。なんでや?考え込んでると横からおばちゃんが話しかけてきた。方言がひどく何言ってるかさっぱり分からん。
『あんたの言ってること全然わからへん。標準語で話してーや』そーいうとおばちゃんへこみだす(笑)頑張って標準語喋ってくれてやっと
宿はいらないかってことが言いたかったことが判明。『いやー私の中国語は駄目なのかー・・・』結構へこんでる( ̄▽ ̄ゞ
宿は旅社レベルのところだった。15元でまあ安いから泊まることに。結構親切なおばちゃんでちょっと悪いこといってしまったなあと少し
反省。ほんの少しだけ反省。方言はいった標準語ほんと分かりません。ほんま勘弁してください
晩飯はカップラーメンと大量のバナナ。明日の食い物や飲み物もスーパーで買ったし万全。眠くなるまでGBのドラクエTをして時間を潰す。
こー言う時のGBって有りがたい。
歴史文化名城〜寿県〜
朝起きるとやっぱりというか鬼寒い。身体をぷるぷるさせながらバナナを食い、用を足して宿を出た。列車は7:40発なので少々眠い。
駅待合室に入って待ってると人民は皆ぽんぽん駅構内に入って行く。あれ?もう勝手に入っていいのか。駅構内の突入すると乗る電車は
思いっきりがらがらである。なんだ無座ってそーいうことやったのね。すっかり安心して昨日購入した新聞”環球時報”を読みふける。
しっかし、このくそ寒いのに人民どもは窓を開けてやがる。あほかお前らめちゃ寒いっちゅーねん閉めんかいや!!
読み終わった新聞をテーブルの上に置いて外を眺めてると通路隔てて座ってたおっさんがこっちにきて、何も言わずKENの新聞を
かっぱらい読み始めた。おい、最低限見せてくれくらい言えや。全くこいつら・・・・
阜陽に着いた時に人民が大量に乗り込んできたがそれでも車内はまだ余裕がある。列車は一応特快であるがどー考えてもこりゃ
ローカル線だなこりゃ。列車は三時間で准南に到着。駅前は寒い感じのするとこやなあ。とりあえず站横の餃子屋で餃子と
青椒土豆スーを食する。中々うまいが、横でむしゃむしゃ食べてる従業員どもがぼそぼそ私のことを言っている。
『あいつウッゴニン(韓国人)じゃないか?』何ー俺が韓国人だと!?そんなわけねーだろよくみろやターコ。・・・・ん!?
ウッゴニンって蘇州語と一緒やんか!?うーん俺の聞き間違いか・・・
駅前の准南王劉安の写真をとりまくってとりあえず寿県行きのバスを探す。バイタクの親父は汽車站まで行けばあるというので乗っけてもらうが、
途中でモンゴリアン丸出しの農村おばはんが乗り込んできて、KENの行くバスターミナルからどんどん遠ざかって行く。こんのやろー
これで後でこんだけ走ったからと余分に請求してくるんちゃうやろな?准南汽車站に着いた後最初の提示額3元を払おうとしたら首を縦に振る。
『俺はかなり遠い距離走ったし、そのせいでバイクが壊れてしまった。だから7元だ』
『はあー!?ふざけんな第一遠回りしたのも、バイクが壊れたのもわれのせいやろがい!!何で俺に罪かぶせるねんあほ!!』
親父も中々後ろに引かない。いい加減頭にきたんでダッシュ逃亡しようとしたら腕を捕まれ、緊迫した状況に。
われ離さんかいーーーーーーーー!!!
思いっきり腕を振り払ったら自分の腕がバイタクに直撃!いっ、いてー・・・そのくそ親父に5元投げつけてバスターミナルへ行く。
聞けども見れどもどうも寿県行きのバスはここからなさそうだ。しかもここのやつらは嘘ばっかり言ってタクシーやバイタクに無理やり乗せようと
するボリ男(お)だらけである。ここでもいやがるKENの腕をつかんで猛烈に引っ張っていく奴が続出。今回は冷静に対処して
少林寺拳法の教えどおり、相手に引かれたらこっちも引っ張られている方向へ押す。案の定すぐ腕つかみから逃れることができた。
しかしまだしつこい奴がいて、あんまりうざいからローキック一発食らわし猛然とダッシュ!!(笑)
とりあえず站までとぼとぼ戻り地図と睨めっこする。どうやら寿県行きのバスは街の西果ての蔡家崗汽車站から出てるようだな。そこまで
6路のバスが出ている。荷物を駅前に預けて寿県へ向かって出発しよう。バス停でそのバスを待つが全然来ない。
しびれをきらしタクシーに乗って行くことに。まあ10元もあれば着くだろう。
・・・・・めっちゃ遠い(T-T)
何と29元もかかってしまった・・・こんなに遠かったのか。今回の旅で一番の無駄遣いなのは間違いない。ああーやってもうた。KENのバカー!
確かにここ蔡家崗汽車付近に寿県行きのミニバスがたくさんあった。所要時間2,30分らしい。へーそんなに近いのか。しかも一元だし安い!!
しかしその前に春申君墓に行っておかないと。これまた地図で確認するとちょっと近くまで5路バスが走っているのでそれに乗ろうとしたが、
全く5路バスがくる気配がない。時間も惜しいのでバイタク捕まえると見事に春申君墓なんてものは知らなかった。まあ墓横の鎮政府までは
行ってくれるらしいので、ひっぱたいてそこへ早く向かわせる。鎮政府手前が工事しており、車輌は入れないらしい。そこでおっさんに金を払い、
歩いていこうとしたら違うバイタクの親父が声をかけてきた。またもや暴力系のやつ。とりあえず2元で行ってくれるらしいので乗る。
その親父は何を思ったか墓を通り過ぎて”春申君飯店”というレストランの前でKENを降ろした。おい・・おっさん俺は飯食いにきたんやないで(^_^;
墓はすぐそこだったので工事現場を横断して、到達。おおー、すんげーでかいし石碑が全部新しい。つい最近遺跡をちゃんと保護しだしたらしい。
じっくり見ながら写真をとってると、工事現場の人民どもがなんだなんだという風な顔して、もの珍しさにKENにつられて参観し始めた(笑)
そうやでお前ら先祖は大事にせなあかんのやで。これからもちゃんと墓参りせーよ。うむうむ
元のとこへ歩いて行こうとしたらさっきのいかついバイタク親父が声をかけて来た。とりあえず乗っけてもらう。で蔡家崗に到着して金を払うが、
やっぱここの奴ら誰でもそうやけど全員ぼってくる。ほんまむかつくわこいつら。寿県行きのバスにさっさと乗り込む。
寿県には時間どおり着く。時間はもうすでに四時を回っている。やべー急がないと准南に荷物預けっぱなしだし、もうすぐ日が暮れる。
バスターミナルにはまだ合肥行きのバスがあった。しくったなあ・・・荷物預けないでこっから明日合肥に向かった方がよかったやん。
そーこー嘆いてると青空バスターミナルで※孫叔傲の像を発見!!おおーそういえばここ寿県は彼のゆかりの地だったなあ。
でも墓はここじゃないのよね。
とりあえず寿県のぐるりと囲まれた城壁を見たいので道を聞くが、何せ聞いた場所が悪かった。誰も知らないふりをしておいて、いざ俺が
そっから離れようとしたら、一周で20元だといい始めた。ふー・・・・こいつらいじこい(意地悪くてせこい。KENの住んでるとこの方言)よ。
時間も時間だしとりあえず乗っけてもらおうことにする。バイタクはバスターミナル前の道をまっすぐ行ってすぐ右に曲がった。するとすぐに寿県の南大門
が見えてきた。
ちっくしょー!!すぐ近くやったやんけ〜!!これやったら自分で行けたわ。ま、後悔しても仕方がない。准南で荷物を預けた時点でもうすでに俺は
負けていたのさ。やっぱはじめてくる土地は最初はこんなものだ。とりあえずそのバイタクのおっちゃんは悪い人ではなかったんで、
時間の許す限り、寿県の全部の門と城壁が一周してるかどうかを確認する。ちょっと西門がかなりうさんくさいのが気になったが(行ったら分かります)
城壁はかなりいい感じだった。これが中国の本来の街なんや!!ここの城壁はかなり感動できた。城内は意外にというかかなり発展しており、
人々の顔の表情は明るく街の人はのんびりと暮らしているのが伺える。物価も安いしすんげーいい。彼らの話す中国語も標準語に近く聴き取りやすい。
心ゆくまで寿県は堪能できなかったが、またじっくりここに来て堪能したい。青空バスターミナルで准南行きのバスに乗り込もうとしたらまたもや
暴力野郎に遭遇。バスの方に乗ろうとしてるのに、後ろからKENのカバンを思いっきりひっぱりカバンがちぎれそうになる。もうきれた
うるあ〜!!
KENとおっさんは取っ組み合いになって乱闘騒ぎになる。そこを良識ある人民達が止めに入り自体は治まったが虫の居所がすんげー悪い。
大体お前ら暴力すぎるんだよ。それが人に対する態度か!?ほんまに文明を語って欲しいわ。
周りの人民がなだめてくれたので怒りはおさまったが、ほんま気分悪い。蔡家崗に戻った後、今日の晩御飯と明日の食料飲料を買い込み准南駅前
まで6路バスに乗る。1.5元か、タクシーは29元。
ぐお〜タクシー代たけーよ・・・・(T-T)
駅前で荷物を受け取り合肥行きのバスがまだあるかどうか確認のためにバスターミナルへ歩いて向かう。時刻は6:40。まだあるかなあ・・
七時頃バスターミナルに到着。だが、聞くともう六時過ぎに合肥行き・全てのバスは終わったらしい。はあー寿県でとまってりゃなあ・・
仕方ない今日はここ准南で泊まろう。バスターミナル向かいの朝陽旅社に泊めてもらう。20元シングルだが、部屋は結構広いしテレビも
ちゃんと見れるし、ベッドも悪くない。何か今日一日分の疲れがちょっとだけ癒された気がした。夜の准南をぶらぶら歩くとやたら出張カラオケの
露店が多くて賑やかだ。屋台も多い。ここ准南は安徽省においては合肥の次くらいに豊かな街だ。人の着てる服みればすぐに分かる。
鄭州の大学とここの大学生の服の違いといったら・・・・頑張れ鄭州の学生さん。
※孫叔傲-春秋時代楚の庄王時の楚の家臣。彼は庄王を補佐し晋軍に大勝するなど庄王の覇権を高めた。その後は河南の水利工事に携わった。
言い伝えによると寿県で灌漑整備をしたとされている。死後は楚の地に葬られた。彼の墓は現在湖北省荊州市中山公園東北隅にある。
もう一度
朝起きて旅社を出ようとしたら旅社のおじいちゃんがそこのバスターミナルとかタクシーの奴は人を騙そうとする奴ばっかりだから気をつけなさいと 言われる。暴力的な奴も多いからそれにも気をつけるようにと諭してくれた。今日中に蘇州に帰るつもりだというと、おじいちゃんは杭州に行ったこと あるし全国の色々なとこに行ったことがあるぞと面白おかしく話してくれた。蘇州はどんなとこか聞かれ教えてあげる。今度是非遊びに来てねとも 言っておいた。こーいう人に出会えると心が休まるし、中国人に対して好意を持てる。日本に戻ればこんな親切当たり前なとこあるけど、外国で しかも”ここ中国”でこーいうケースに出会うと何故か嬉しくなる。おじいちゃんに礼を言いそこを去った。
合肥行きのバスに乗り込み、バスは二時間で到着。豪華バス仕様のくせに途中ひたすら人民を乗り降りさせたので30分程時間が余計にかかった。
合肥に着いて蘇州行きのバスの時刻を確認すると11:40分のがあった。それの切符を買おうとするともう切符はないらしい。仕方ないので14:40分
のを買う。96元か、意外に安いね。それまでの時間暇だから※張遼衣冠墓でもまた見に行くことに。
バイタクに乗ろうとしたら”5元”だとぬかす。無視して行こうとすると”4元”に。それでも高いので、
『あそこの公園までだったら3元が妥当やろ?ぼったらあかんで』そーいうと親父は分かったといいKENを乗せる。
『いやーあそこまでは確かに3元が普通だ。いやあお前はここの人だろ?ちっ、やられたなあ〜』
お前ら・・・日頃からやっぱりぼってるんかいな。やっぱり可哀相やね安徽省。人をぼりまくらなあかんほど生活が苦しいねんな。でもぼりは
許せん。人間真面目にこつこつ働かないといかんのだ。
張遼衣冠墓見た後、昼飯を食う。それでも時間が余ったので李鴻章生家、包公祠、包公墓もついでに行っておく。でもここの※包公の墓って本物か? 本物は確か宋三代皇帝陵墓の横にあったやつだと思うけど。
時間がうまい具合にきたのでバスに乗り込み五時間揺られる。蘇州に着いたのは約八時。とりあえず疲れた。今はゆっくりおしいもんが食べたい。
北は飯がまずい。まずい飯は食いたくない。はあーー・・・
※張遼-三国時代の魏の武将。元々呂布の武将だったが、関羽に命を助けられ以後曹操の武将として活躍する。呉軍10万が合肥に押し寄せ てきた時、魏兵800で孫権を奇襲し呉軍をこてんぱにし、孫権を命からがら逃げ惑わせた。その後戦の傷がもとで亡くなる。その大活躍したとこが ここで取り上げた合肥市内にある。ショウ揺津公園の中にかっこいい張遼の像と彼の冠を埋めた衣冠塚がある。
※包公-宋最盛期時の名宰相。本名は包丞で出身はここ合肥。日本では中国の大岡越前としてしられており、民衆に慕われる政治家であった。
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