時:2001.12/30-2002.1/3

目的:三国志好きが集まり一緒に食事&遺跡訪問

参加者:ROVERさん、魂太郎さん、KEN

新規の到達遺跡:徐晃墓、郭嘉故里、鐘ヨウ洗硯池、(曹彰墓)、蒋干墓(消滅確認)

その他の行った遺跡:張飛廟、張潘故城、毓秀台、愍帝陵(献帝衣冠冢)、春秋楼、博物館、荀氏八龍冢、董貴妃墓、受禅台、献帝廟、徐庶母墓、伏皇后墓、王允墓、(シ覇)陵橋、(晁錯墓)、司馬城

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■ 12/30 許昌初日

朝列車は時刻どおりに鄭州に到着。昨日の晩は何でかしらへんけど、
さっぱり寝れへんかった。だるいけどとりあえず朝飯食いに
Mr.Leeに行き牛肉面(6元)を食べる。

相変らず濃い味やのう、まあとりあえずお腹一杯になった。
さて、許昌へ移動するかってことで切符を買いに行く。
あっさり買えたけど10:20の出発まで後一時間以上もある。
暇やから、バスターミナルで各地方面の情報収集をしておく。

10時頃バスに乗り込むと車内はもうすでに満員になりかけ。
10時25分頃バスは汽車站を出発。そっからがやたらとろい!

客を集めながらいくんやけど、ほんまに遅い。
許昌まで何と3時間ちょいもかかってしまった。ゴルゥア〜お前ら!(笑)

許昌の着いた場所は許昌東汽車站。
さっき博物館を通り過ぎたので最初にいっとこうってことで博物館へ歩いていく。

しかし、博物館の門は閉ざされており入れない。
運悪いなあ昼休みか!?入り口には南京大虐殺関連の展示を
やってるってなことがかいてあり、”国の恥じを忘れるな!!”とさ。
それをみてひいてしまう。入れないならまあしゃーないな。

横の大通りを西に一直線に歩いていくと許昌火車站が見えてきた。
荷物を汽車站に預けに行くと、おばはんの強烈な方言が炸裂!!

『はあ!?』と何回も聞きなおしても分かりにくいので、
『おばちゃん中国語喋ってや』というがそれでもおばはんの言う言葉はひでーくらいにおかしい。
ま、大体分かったので事なきを得たが(1元)。
許昌に来ていきなりカウンターパンチを食らったような感じ。

さて、これからまず遺跡資料の揃うと言われる(シ覇)陵橋(許昌読みba3ling2qiao)へ
バイタクに乗って行く。途中工事まくっててバイタクが通れない所が続出!

何とか親父が肉体労働で頑張り到着。
入場料10元を払い突入。あいや〜こりゃいかんさびれまくっとるぞここ。

お店もほとんどしまってて唯一開いてた店は食い物しか売ってなかったし。
ここで資料を手に入れようと思ってたのにまたもやカウンターを喰らってしまった。

(シ覇)陵橋もやたら新しくて”造られた”って感じまるだしやし、
関羽の像なんか身体のバランス悪すぎ(苦笑)半分しらけながら関帝廟に入る。

関羽の像を撮影していると、一人ひょこっとバンダナした兄ちゃんが入ってきた。
ていうか魂太郎さんやん!!(笑)
どうやらすごい偶然だ。

あまりのしょぼさに二人ともそこを後にし、
バイタクに乗り込み許昌站まで戻る(1元)。あっ・・・・夏侯淵墓いくの忘れた!!(笑)

昼飯もまだ食ってへんけど、市内にあるという蒋干墓を目指すことに。
108路バスで烈士陵園近くまで行き、そっから歩き。

烈士陵園内で聞き込むと誰も全く知らない。
蒋干墓は晁錯墓の近くにあるらしい。
晁錯っていえば、西漢の名政治家で、景帝時諸侯の力が強大になり中央を脅かし始めたから、
彼が諸侯の力を削ぐ政策をとった。

けどそれを不服とした呉王劉(シ鼻)を筆頭とした七国の王が反乱を起こし、
”晁錯の腰を斬れ!!”をキャッチフレーズに長安に押し寄せてきた。

ばーりびびったあほ皇帝”景帝”は晁錯の腰を斬ってしまったというあの晁錯である。
こんなとこに墓があるなんて何かラッキー〜。・・・・ていうか地図にのっとるやんけ!!

そっから烈士陵園ないにはないみたいやったので周りを調べたけど
”劉太君墓碑”っていう清代の石碑しか見つけられへんかった。

じゃ次ぎのやつに行こうってことで(シ胃)河沿いにあるっていう王允墓を目指し出発。
川沿いを北に歩いて途中聞き込みしながら行く。

『すんません、王允墓ってどこですか?』
『ああ〜!?関羽墓ぢゃと??そんなもんはここにはない』ちゃうっちゅーねんじいちゃん関羽じゃなくて王允やって(笑)

こんなとこで山羊と戯れとる場合ちゃうでほんまに。
あっ、それが仕事なんかいな?(笑)

ま、意外にも知ってる人民が多かったので楽勝で到達。
石碑が土山に埋め込まれておるのは何か変な感じがするがこれが許昌式なんかな?

街へもどるため、4路バスのバス停でバスを待つが全くけーへんからバイタクに乗る(1元)。
春秋楼近くまで来たけど時刻はもうすでに5時過ぎ。
うん・・・!?なんじゃあの見慣れたファーストフード店は??

マクド(ナルド)や!!

許昌にマクド(ナルド)かよ!!

これがそうかいなー。
許昌にマクドナルド・・・どー考えても町の人間見とったらマクドないレベルやのに。
ていうかあんたらマクドナルドの人。ちょっと聞いていいですか?貴方達、

開業する前ちゃんと許昌人民の所得調査
したんですか?(笑)

何かごっついあわへんわー。
まあ、とりあえず疲れとるからソフトクリーム(2元)を食べる。

站前に戻り、荷物を受け取って宿を取る。
汽車横の交通賓館に決定。風呂付きで一人40元ならいいもんだ。
今日オフの正式の待ち合わせ日時ではないが、とりあえず7時頃
汽車站待合室に行く。

中はもう電気が消えてまっくらだが、一人椅子に座ってる人物がいる。
魂さんと二人でこの人物の前で『この人かなあ』
とぶつくさ言い合っていると、横から人民じっちゃんがやってきて何か言ってる。

ていうかじっちゃん口の中のものがなくなってから話しなさい
ごっつい汚いやんか(笑)
そ−こーしてると、わしがバッグの色で彼がROVERさんだ気がつく。
本人さんは歩き方を目印にして欲しかったらしいけど暗くてよく見えなかった(笑)

そっから今回のメインである(!?)一緒に食事をしようってことで、
ROVERさんに連れてかれ満江紅で晩飯。

ROVERさん持参の杜康酒で乾杯。
ひ〜きつい!!さすが45度アルコール。身体が燃えたぎるみたいや。
杜康酒って初めて飲んだけど白酒と同じ感じ。

しかもこれ5元らしい(笑)安〜い。
食後又マクドに行きソフトクリームで身体を冷やす。
交通賓館に戻った後三人部屋に換えてもらい、
値段も一人30元と安くなった。


★ 12/31 密かに今日って大晦日!?

朝8時に全員起床し、朝飯を食いにマクドへ。
モーニングセットは今日・明日年末年始セールのセットしかない為、
仕方なしにそれを頼む。
(ハンバーグ一つおまけ、オレンジパイ、コーヒー、ハンバーグ)

昨日からずっと出るものが出なかったので心配してたけど、
マクドですげー量食ったから出るものが出た。

汽車站の前のレンタサイクル屋でチャリを借り(5元)、
火車站横のミニバス”張潘”行きにチャリを乗っけて出発。

『張飛廟で降ろしてや〜』と言ってあったけど、
着いた所は”毓秀台”が見えるところやった。

ま、とりあえず毓秀台に行って見学。
ここは献帝が祭祀をおこなったところであるのだが、
今は周り一面畑が広がっている。

そっから次は徐晃墓を目指す。
徐晃墓があるところは”城角徐村”。

そこの村を付近で聞き込み。
ちょっと進んでは聞き込みをしとりあえず城角徐村に到着。

村内で聞き込む、『晃冢ってどこですか?』
『ふあ〜!?何じゃそりゃ?晃冢はしらんがわしは徐晃墓なら知っとるぞい』と言われる。

どうやらほんまにあるらしい!言われたとおりに行くが、
周りを見渡せども、人民の墓がいっぱいあってまぎらわしい。

いかがわしい墓を見に行ったら”徐××父母の墓”。・・・ってまぎらわしすぎやねん!!(笑)
もう一度付近で聞き込むとおばちゃんは徐晃墓は知らなかったが、
古代の墓なら知ってるといって、遥か北にある黒いものを指差してあれが
そうだといった。

近年政府が保護したらしい。
そりゃもう徐晃墓しかないやろ!!チャリをぶっとばしてわしが一番乗り。

やっぱ徐晃墓やった。
石碑が建てられたのは1997年。
大河ドラマ”三国演義”が放映された年でもあり、
ROVERさんによればその年は中国でも三国志ブームが起こり、
その波によって色々建てられたり修復された遺跡も多いらしい。

チャリできた道を戻り、バスが通る公道に戻ると城角徐村まで最寄のバスが通っていて愕然とする。
ま、いつもこんなもんや。最後になっていつも完全なるアクセスが判明する。

毓秀台近くまで戻ると、さっきは気づかなかった張潘故城の石碑を発見。
その周りの土山がそうだった。張潘故城=許昌城やから、漢魏故城と言えるわけだ。

次に張飛廟に行く。聞き込みしながら行くが、途中方言に悩まされムカツク。
張飛廟の発音はここでは”Zhang3fei2miao”になり、こっちが普通話でこっちが言っても
相手は分からない。

ROVERさんがその発音をまねて言うと、『おっ、こいつの発音はわしらと一緒ぢゃ』
と思われ、ROVERさんに一方的に話され、ROVERさんは困りながらも
うま〜くうなづき、ごまかしていた(笑)

とりあえず方言はきついものの大体わかったので、そっから西北の方角に行くと
なんとか発見。うん!?こんなとこにバスがやってきたぞ。
318路だ〜!?こんな辺鄙なとこまでバスが走ってるなんて許昌恐るべし!!

たいして面白くなかったので適当に見学。魂さんもそんな感じだったけど、
ROVERさんはお香をあげている。

さて、またもや来た道を戻り、張潘鎮政府に到着した後勝手に中へ進入。
そこで献帝の衣冠冢”愍帝陵”を見学。何とこの衣冠冢すげーでかい。

しかもあろうことに、この冢に登れるように階段が造ってあった(笑)
ほんまに中国人は人様の墓に登ることが好きやなあ。

愍帝陵を見学後、張潘鎮の名前の由来になった献帝のニ妃、張・潘妃墓を
探そうとするが三人とも身体が限界。

特に魂さんはチャリがぶっ壊れててブレーキがずっと効いてた状態で
こがなければいかんかったので、今まで体力を相当消耗していた。

そこで捜索は打ち切りしてバスにチャリのっけて許昌へ戻る。

とりあえず今日はがっさ疲れた。
晩飯は餃子屋に餃子食いに。
寒いからあったまる砂鍋(要するに鍋)頼んだのに、何故か砂鍋で作った肉が出てきた。

これには三人ともぽかんと口を開けあっけにとられる(笑)
しかも、この後来た餃子もまずい。中国来て以来、いろんなとこで餃子食ったけど、
餃子がまずい餃子屋はこれが初めてだ(笑)


■ 1/1 新年明けましておめでたくございません

皆さん新年あけましておめでとうございます!!

ていうか全然めでたくねー(涙)

なんでわしはこんなとこにおるんだ?今まで22年間日本で毎年新年を迎え、
今ごろは家族皆でおせちをつっついてるはずなのに。

ああーまきまきこんにゃくが食いてー、白鶴が飲みてー、えべっさんに初詣行きてー!!(笑)

昨日のほほんと三人でぼーっとテレビを見ながら新年カウントダウン番組を見ていた。
はっきりいって中国人にとって元旦なんかは何の価値もない。
ちょっと西洋かぶれできどった奴が少し騒ぐくらいだ。

『上海だったら何かやってるかもしれないけど、この許昌はさすがにないでしょ。
盛り上がってたら俺びびるよ』

とはROVERさん。その通りである。ここは許昌なのである。
マクドがあるとはいえ所詮は河南省の一都市。
そんなイベントがあったらわしは余計にこの許昌という街に恐れをなすであろう。

そんなこんなで新年到来。何の雰囲気もなくたんたんと時が過ぎただけって感じ。
三人とも耳をすまし外の様子を伺う。
ふーやっぱりだ。ありがとう許昌あんたは今回に関しては

ある意味俺達の期待を裏切らなかったよ

許昌の街はいつもと同じく静かに時を刻んでいた。
それが分かると三人とも安心して就寝(笑)

しっかしここの宿寒いよ。暖気は消えてるし、布団は薄いし。
鼻水が止まらん。今日はいつにもまして厚着&マフラーで身を固める。

朝飯を食いに交通賓館の前にある人民食堂で米線(許昌発音mi1xian)をたのむ。
んが・・全くこない。なんと一からつくっているではないか!?

そんな手が込んだことせんでいいからはよ持ってきてくれい。
30分たってやっときた。うおっ!!量がすげー!朝からこりゃきついで(4元)。

お腹もふくれたわけだし、今日のメインである司馬懿屯兵処と郭嘉故里のある
禹州行きのバスに乗り込む。乗り込んで20分程して眠り込んでしまう。
気がつくと禹州に到着していた。

魂さんの話では途中バスが事故ってたらしい。
わしとROVERさんはそれすら気がつかないほど爆睡してたってことか(笑)

バスを降りると道のロータリーの真中に禹のでかい像があった。
そうここ禹州は禹ゆかりの地であり、昔地球の迷い方歩き方に載っていたという
恐ろしい都市である。

とりあえずどこ行きのバスに乗ればいいかわからへんから、第二汽車站で探すけど、
なさそう。で、第一汽車站に行くと全然違う方向に行くバスしかない。

またもや第二汽車站に戻り、聞き込むと長葛行きのバスで
司馬懿屯兵処近くの古城鎮を通るらしい。
郭嘉故里がある郭連村を通って長葛に行くのはなかった。
バスに乗り古城鎮へ。

古城鎮についたあとバイタクがいたので三人ともほっと胸をなでおろす。
そこで聞き込むと司馬城も郭嘉故里も両方知ってるおっちゃんがいたので
乗っけてもらう。

司馬城は石碑も何もない土山やけど、よく残ってたなあ〜って感心。
ちなみに石碑はぶっ壊されてどこに行ったかわからないらしい(笑)

そして郭嘉故里である郭連村へ。
到着するとおっちゃんが熱血気味に聞き込みを開始し人民が集まってきた。

ここ郭連村はにぎやかで活気に溢れている。郭嘉故里のことを聞いていると、
更に人民が集まってきた。そして各々があーだこーだと言い始める。
とりあえず知ってるかどうか聞くけど反応はどうもよわい。

あんまりよくは知らんみたいやけど、皆ここが郭嘉故里やってことは知ってる。
『ねえ、ここに郭嘉関係の遺跡ってない?』
『ない』

オイ・・・・!(笑)

とりあえずROVERさんが持ってる本によると、
この村の東果てにある橋のあたりがそうらしいので、バイタクでそこまで行く。

橋があったのでそこで降りるとバイタクのおっちゃんが、
『ここらへんが郭嘉の故里らしいぞ』というので、
辺りを見回すとくさーい亀の石像が!!なんやこりゃ!?

そうこう考えてると人民一人がやってきて、
何事や?ってな感じでバイタクおっちゃんに聞く。

『おおー郭嘉故里なら確かにここや。で、その亀の上に郭嘉故里の石碑がたっとったんやで。』

マジで!?(゜o゜;)

この亀石像の上に郭嘉故里の石碑がたっとったんかいな?

そりゃおもろすぎる!!(笑)

どうやら石碑はぶっ壊せても亀までは破壊できなかったらしい(爆)
まさにこの亀石の残骸が郭嘉故里があったことを示しているのである。

か〜め♪

か〜め♪

か〜め♪

可哀相なか〜め♪

もっと哀れな郭〜嘉〜♪(作詞・作曲 KEN)

おっさんの話を総合するとこーいうことらしい(おっちゃんは方言が強くバイタクおっちゃんがわしに通訳してくれた)。

・ここが郭嘉故里である
・亀石にのっかってた石碑は行方不明。
・昔はここに郭嘉の廟と墓があった
・墓・廟が壊されたのは1989年頃だった(おっちゃんの記憶はちょっと怪しいが)。
文革に壊されたのではないらしい
何で壊されたのかは誰も知らない(-_-)

とこんなことらしい。ここに墓・廟があったのは驚きだ。
それをまた壊す人民もまたすごい。とりあえずこの亀が異常にウケル(笑)


↑世界初公開!!郭嘉故里の残骸”亀さん♪”です。

三人で気の済むまで笑い転げた後バイタクに乗り公道まで戻る。
金を払い、長葛(許昌発音chang4ge)行きのバスに乗る。

移動中わしはひたすら寝る。長葛に着いた後、身体が何だかおかしくなってきた。
この寒さでずっとバイタクに乗ってたし、鼻水すってばっかりだから頭が
ぼーっとして痛い。

とりあえず我慢して先に遠い方の鐘ヨウが硯を洗ったと言われるところにいくことに。
鐘ヨウといえば知る人ぞしる書法の大御所である。

あの”書聖”と呼ばれた王羲士が尊敬してやまなかった程の人物。
三国志しか知らない人には蜀に攻め込んだ鐘会のお父さんとして知られている。
書マニアな人にとってこの遺跡はよだれものであろう。

バイタクのおっちゃんは知らなかったが、そこの古城鎮の人間らしいんで
連れてってもらう。鎮政府で聞こうと思ってたのに誰もおらず。
商店のおばちゃんに聞くと場所があっさり判明。

『おい、あるらしいやんか。おっちゃんほんまにここの人間なんか?』
『本当にあそこの人はしっとたのか?わしも聞いてくる』(笑)

地元の人間なのに知らないのがうける。あ、おっちゃんが帰ってきた。
『いやあ〜何で俺は今まで知らなかったやろ??』努力がたらんのぢゃお主(何の努力やねん)

とりあえずそれで鐘ヨウが硯を洗ったところは押さえられた。んがー、

『いや〜硯を洗ってる奴いなかったけど、服洗濯してる奴がいたよ』

とはROVERさんの鋭いご指摘。そうここの池ばーり汚い。
人民がごしごし洗濯してはります(笑)これまたうけまくる遺跡の一つやった。

『何でこんなとこ見に来るやついんの〜?これの何が面白いん?いやだー』とはガキの一言。


↑違う!!あんた洗うものが違う!!

そっから長葛に戻り、鐘ヨウ墓に行くつもりだったけど、
バイタク親父がやたら薦めるところがあってしつこかったので行く羽目に。

そこは意味不明な”五龍廟”。なんやこれー・・・中を覗いてると、

ガッ!!!

うっ・・・誰かに殴られたみたいな感じや。何やこりゃ??ってみたら

屋根の瓦がわしの頭にふってきた!!

うおー最悪や!!幸い何ともないみたいやけど、精神的に不安になる。
こんな時に限って帽子をかぶってなかったのがまたいたい。

とりあえずそこを離れ長葛に戻る。時間も遅くなったのもあるが、
わしのモチベーションがぐんぐん下がってるのも見かねてくれたのか
ROVERさんが今日はここで終わりにしようと言ってくれた。

正直いって体調はかなりよくない。許昌行きのバスに乗り込むが、
途中道路を工事してるのか知らんが農村に入り大回りをし、
許昌まで二時間もかかってしまった。おーファック!

許昌着いた後、鼻水を止めるため薬局で鼻炎薬を買う。
そっから宿探し。
昨日泊まった好喜来賓館近くの月満楼賓館に決定(30元)。

夕飯は外に出るのが寒いのでホテル内で食うことに。
寒い時は鍋が一番ってことで、今度こそ本物の砂鍋!!
うむ!?鍋は鍋やけどこれってタイ式しゃぶしゃぶやん!
わしがタイで食ったしゃぶしゃぶと全く同じ形式。

ま、普通に食えるから問題なし。けど、三人とも食いすぎた。
鍋って頼んだものの量がどれだけ来るか分からない。
いつも少なめに頼んでるつもりやけど、結果的にいつも莫大な量が来て
食いきれなく終わる。今日もそうやった。

おい小姐!!客の横で携帯メールのやり取りすな!!

とりあえず新年は最悪の幕開け(笑)


■ 1/2  だるいっす

朝起きるとやっぱり身体がだるい。
熱も37度越えて昨日から全く下がってない。

申し訳ないけど、今日は一人で休むことに。
とりあえず朝飯だけは食おうってことでマクドに行きモーニングセットを食べる(6元)。

ROVERさんと魂さんは(焉β)陵(許昌発音yang2ling4)の曹彰墓に行くみたいだ。

一人でマクドでゆっくりしてから、
さあ帰ろうかってことで出たが近くの春秋楼が異常に気になり
とりあえずここだけ見ることに(←休めって(笑))

春秋左氏伝を読む関羽像を見て、さらに奥の殿へ行くと何と
高さ20m程の黄金関羽像

がどーんと建っていた。これは異常にうけた。
思わず写真を取り出し撮影開始。三階に登ってやっと目の高さになる(笑)

奈良の大仏を彷彿させるようなこの関羽像は何の意味があって
こんなでかいものになったのか?永遠の謎となりそうである。


↑でけー!!とにもかくにもでかい!!

その後宿に帰るが、間違えて昨日のとこに入ってしまい、

『あんたまた泊まりに来たん?』

と言われ、間違えたことに気づく。
部屋に戻ってとりあえず横になる。中々寝付けないのでテレビ見ながら休む。

二時ごろに二人が帰ってきた。
とりあえず曹彰墓はあったらしいが、
石碑も無く土山があるだけで墓の周りには防空壕みたいなものがあって
意味分からん状態やったらしい。

とりあえず身体もちょっとましになってきたし、
熱もまだあるけどちょっとだけ下がったのでレンタチャリで出かけることに。
ROVERさんの後ろを金魚の糞みたいにくっついていって荀氏八龍冢と董貴妃墓へ。

博物館の前の道をひたすら北に走り、
”八龍橋”を渡ってしばらく行くと、右手に”八龍××公司”の赤い門があって
そこをくぐりしばらくいくと左手に現れたのが”荀氏八龍冢”。

ここは曹操の名参謀荀イクの一族八人が眠るところである。
モンゴリアン少女達の先客があったが、奴らが去った後管理人のじいちゃんが
八龍冢のプリントをくれた。
帰る時も、『君達が無事であることを祈ります、身体を大事にの』といってくれた。
いいじいちゃんやなあ。

来た道を戻り、次は董貴妃墓へ。
途中砂まみれになりながらも到達。

董貴妃墓は石碑も無く、盗掘されたあとすらあった。
その盗掘の跡が妙に生々しかった。

次にこの前情報不足で発見できなかった蒋干墓へ向かう。
あるだろうというところの近くで聞き込むと、

『そんなもんはとっくの昔になくなったわ!!』

と逆ギレされる(笑)
ほんまかよーってことで近くにいたバイタクおっさんどもに聞く。
『東水泥馬路!?そんな道ねーぞ。第一そんな墓なんてのはこの付近にはないぞ』
とのこと。ていうかROVERさんの本見てみると

『すでにない』

って書いてるやんか!!(笑)
もっとはよみときゃよかったのお。

晩飯は昨日に続き、ホテル内で普通の中華料理を食う。
米がなかったので、代わりに炒面頼んだら

皿の上に富士山の如くに盛られた炒面が各一人ごと三人前来た(笑)

おいおいもうすでにお腹膨れ始めてるのに
こんな量持ってこられても食えないっちゅーねん!!
食事も終わりはあーっと一息ついてふっと魂さんを見ると、

富士山の如く盛られた炒面を全部平らげてしまってる( ̄□ ̄!

ROVERさんと二人で『すげー』とびびる(笑)


■ 1/3 許昌オフ最後の日

昨日からROVERさんも風邪がひどくなってて三人とも体調はよくなかったが、
夕方になる前に終わらせることで意見は一致。

宿を引き払って前から決めていた三つ星の桃園大酒店にさっさとチェックイン。
三人部屋で299元。デポジット(保証金)はなんと300元もとられた。

部屋は六階。
エレベーターであがり、部屋に入る前三人とも同じことをしようとしていたみたい。

服務員に扉を開けてもらおうと無意識に服務員を探そうとしていたのだ

魂さん『今日は服務員に言わなくても鍵があるから言わなくていいんですよね。。。』

そうなんです。
いつも服務員しか鍵をあけてくれない安いとこしか泊まってないから、
ついそーいう癖がついてしまっているのだ。

やっぱ三つ星ってすげーわ。部屋はさすがにいい。
暖房もよく効いていて熱いくらい。思わず三人ともその場でまったりとする。

はっ!!( ̄□ ̄!

何やってんねん、さっさと行かんともう10時やんか!
朝飯は包子一個(5角)だけ買ってさっさとバスに乗ることに。

最初の目的地受禅台に最寄の繁城回族鎮行きらしい508路バスに乗り込む。
しっかし、距離的には近いはずなのに一時間たってもまだ着かない。
挙句の果てには途中降ろされ乗り換えさせられた。

そのバスに乗っておかしいなあ〜と地図とにらめっこしてると、
何と許昌西の襄城県に向かってることが判明。

しかも襄城県にも回族鎮があってそのバスはそこに向かっているらしい。
とりあえず急いでバスを降りる。

ん!?ああ〜っ!!!帽子置いてきてもうた!!( ̄□ ̄;)!!

結構お気に入りやったのに〜。しかもあれないと寒いし。
ああー最悪や。。。

バスを待ってる間魂さんが気分を悪くししていた。
どうやら昨日の富士山の如し炒面がかなり身体に効いているらしい。

許昌行きのバスに乗り込み許昌へ戻る。
さてもう一度仕切りなおし。繁城行きのばすはなかったけど、
3路の公共バスで徐母墓・伏皇后墓近くの蒋李集鎮まで行けることが判明。

站近くの出発点から乗り込む。
蒋李集鎮まで市内から10km程。30分くらいで到着。

うおっ!!バイタクが一人もおらへん!!これはきっついで。
らちがあかへんので3路に乗って終点まで行くとバイタクがずらりと並んでおり、
ここにきてやっと胸をなでおろす三人。

先に受禅台までバイタクで乗っけてもらう。
受禅台といえば、曹丕が漢の献帝から皇位を禅譲した所である。

こんな田舎でやったんかいな。
バイタク乗ったところからはかなり遠く12,3kmはあるか。

バイタクのおっちゃんを待たせておいて観光する。
ROVERさんは昔ここに来た後、更にど反対の方向の馬騰墓へ向かったそうだ。

『これまでさんざん人にあそこへ(馬騰墓)行くのはほんと厳しいっていってきたけど、
なんで厳しいかってよく考えたんだよ俺。そしたらさあ、
実は俺は許昌からまずここの受禅台行ったあと何考えたかしらねーけど
全然反対の方向の馬騰墓に向かったからすんげーしんどかったんだよ』

そりゃ馬騰墓厳しいってのがよー分かります。
大体距離にして40kmは軽くありますよ(笑)

ここ近くに献帝の廟があるらしいので行くが、
けっこう遠くてしかも門は閉ざされており入れない。
付近の人民は裏から回って入れと言う。んで公道に出て回ろうとしたら

ブロロロローン!!

おい、バイタクのおっちゃんやんけ!!
わしらおいてどこ行くねん(焦)

まだ、受禅台の写真とってないからまあバイタクとはおさらばする。
写真撮ったあと回族鎮ちかくでバイタクを捕まえ、
蒋李集鎮まで戻り値段を聞くと20元だとぬかす。

『ふざけんなよさっきのバイタクはこっから俺らがさっき
乗ったとこまで10元で行ったんやで!!何ワレはぼっとんねん!!』
『わしはもう50をすぎてのおそれくらいもらわんとやっていけんのじゃ』
『そんなんわしらとどない関係があんねん!!』
『いや20元ぢゃ!!』
『てめえーそんな悪事ばっかりしとったらわしは
二度とてめえーみたいな奴のバイタクにはのらへんど!!!』
『別にわしのに乗らなくてもいいから、別の奴のに乗ればいいじゃろ。
わしとおまえさんたちとはもう関係ないからの』
『おまえなあ、そんな悪事ばっかりしとったら
以後誰もおまえなんかのに乗らなくなるぞ。とりあえず絶対払わへん!!
もうええよ、おまえどこにでも行けよ。どうせ金は払わへんからな。』
そーいうとじいちゃんは目を真っ赤にしながらまだ抵抗する。・・・と、
するとROVERさんがキレだした

中国語出来ないと言いながらも中国語で文句言ってる(笑)

『8kmしかないのに20元は高すぎる!!』

その甲斐もあって(!?)10元ですませることに成功。
もし、この時わし一人だったら値引きはもうちょっともつれただろう。

大体こういう人間ははこっちが”がーっ”と言えば黙らせてへし折ることが出来る

よくぼられて泣き寝入りしてる日本人がたくさんいるが、
そんなやつらがたくさんいるからこのぼけどもが調子にのるのだ。
ま、ワシの場合は外人とは思われてないが(笑)

悪い奴にはガーンといわないといかんのだ!!

魂さんが二人のバイタクに聞き込みすると、どっちも知ってる
おっちゃんがいたのですいすい行ってもらう。

どっちの墓も1997年の石碑が建っており”ブーム”の年に保護されていた。
墓の状態もとてもいいので安心した。

特に伏皇后の墓はかなりでかかった。
蒋李集鎮まで戻るとバイタクは8元×2で16元でいいといってくれた。

さっきのじいちゃんと比べてとても良心的価格だ。
ま、もっともさっきわしらがもめてるの傍目から見とったってのもあるかもしれへんけど(笑)

今日のメイン全部平らげて3路バスで市内に戻る。
ホテルに戻った後、部屋でしばらくゆっくりする。

わしは一生懸命パンツと靴下を洗う。
八時過ぎ全聚徳に行って北京ダックを食いに行く。

北京ダックですぜ旦那!!

北京ダック!!

あの本物の北京ダック〜♪

貧乏人には食えない北京ダック!!(×_×)くう〜しびれる!!

だが、
うきうき気分とは裏腹に、

何か不安極まりないこの気持ち。

お金、大丈夫かな・・・・・!?

わしはやっぱ貧乏人の性か!!!(涙)

しかし、値段を見ると意外なほどに安い。
普通北京ダックなんぞは、一人5,60元するもんだ。
けど、ここはなんやかんやの他の色々なおかずがついて最高98元。

許昌さん・・

やっぱここのマクドナルドは壊そうよ!!

だってさあこの98元のセット10人で食べたら一人10元も
いかないんだよ?マクドナルドのセットよりはるかに安くておいしく食えるやん!
マクドナルド食うのが馬鹿馬鹿しいやんか。
許昌物価安すぎやで

最初98元のセットを頼もうとしたら3人で食える量では
ないらしいので(10人前らしい)、68元のセットにするように言われる。

しっかしそのセットでも北京ダックが来る前に鍋は来るわ、
涼菜、炒菜等、六種類ものおかずが運ばれてきた!!

こんなん食いきれるか!!北京ダック食わさへん気か!!

しかし、肝心の北京ダックがさっぱり来ない。
仕方ないのでちょびちょびおかずを食って北京ダックが来るのを待つ。


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こねーよ

段々なんとなくお腹がふくれてきたかも?
やっとのことで来た北京ダック。さっそく頂く。

うめええええええ。

まさに幸福(しあわせ)のひと時。

ぱくぱく頂きたいところだが、お腹がすでに・・・うっ食いすぎで気分悪〜(笑)
昨日富士山の如し炒面を平らげてしまった魂さんは全く
食欲がないため可哀相に少しも食べれない。

こうして許昌最後の夜は、皮肉にも

食いすぎにより気分を悪くして幕を閉じたのである(しかも北京ダックで♪)


↑目の前で北京ダックをさばいてくれる兄ちゃん。うまかった〜♪


■ 1/4 別れと旅立ち

朝飯つきだったので八時過ぎに二階へ行って、
バイキング形式の朝めしを食う。
メシ食い終わった後、荷物を整理してチェックアウトする。

300元ものデポジット(保証金)が帰ってきた。
いや正確に言うと301元か


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元々自分の金やけど

何かすげー嬉しい♪←とことん貧乏くさい

バスターミナル横の高速バスで鄭州へ向かう(20元)。
1時間20分で鄭州南の客運総站に着く。

やっぱ高速バスは速くて快適〜♪

ここのバスターミナルには高速を使って石家庄や邯鄲に行くバスがないので
ミニバスに乗って鄭州站前まで行く。

その前に昼飯を食いに、ROVERさんが行ったことないから
というDICOS(ファーストフード店)へ行く。
本人さんはここが初めてだったのではしゃぎ気味やったけど、

食ったもんは米バーガー(笑)

『期待してたけど、とりあえずこれは(米バーガー)はまじーよ。』だそうです。

站前のバスターミナルで魂さんとわしは邯鄲行きのバスチケットを買う。
ROVERさんは石家庄行きの豪華バスチケットを購入。
トイレに行くと腹がくだし気味・・・

1時半にROVERさんと別れた。
本当に今回はお世話になりました。

晩飯は毎日おごっていただいたし、遺跡にも連れてってもらいました。

本当に有り難うございましたm(_ _)m

これから一人旅の始まり。続編乞うご期待!!

(つづく)

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