許昌オフその後

時:1/4-1/13

行程:鄭州-邯鄲-北京-韓城-西安-蘇州

人:KEN一人

※1元=16円(当時のレート)

Travel DiaryHome

                            始めに

今回の旅行記はかなりイライラさせられたこともあって暴言多いかもしれません。なるべく自主規制したり、
削除したりはしましたが、もしこれを読んで気分が悪いと思われた方は私NUNOまでお知らせください。
即刻その個所を削除します。日記をそのまま写して掲載したのでかなりの分量になりましたが、頑張って
書き上げました。長いとは思いますが、どうぞ気長にお読みくださいませm(_ _)m


                             KEN

1/4 破綻してんじゃないの?

ROVERさんと別れ、魂さんと邯鄲行きのバスに乗り込んだわし。


けど、鄭州から乗ったバスは、車に

鄭州⇔邯鄲
  高速

と書いてあったのに、まるで我々二人の気持ちを逆なでするように

ちっとも高速使わないで107公道を爆進♪

しゃーーーーっすぞ我ら!!←大ギレ
(しばくぞお前ら〜)

日本やったらなあーお前ら偽証罪ぢゃぼけ!!

結局原陽-新郷-(シ其)県-鶴壁-安陽-磁県-邯鄲のルートだった。ま、高速は使わなかったため新たにここら一帯の移動方法が
分かったのだがそれにしても高速を使わんで48元ってなんやねんアホ!!
IVECO(イタリア製小型バス)ごときがお前らにとったら
高速になるんかい!!(怒)

結局ついたのは6時20分頃。四時間半ちょいかかったってことになる。あたりはもうすでに真っ暗。バスターミナルで地図を買い、站前の
邯鄲大厦に宿をとりにいってみる。部屋は一人38元で部屋にシャワーつきらしい。中々じゃのうってことでここに決定。留学生証を見せる。

『おお〜ピエーショー・・シェンマシェンマ』

このねーちゃんわしの姓を読んだんだが、わしの姓の中国語の発音は”ピィエンシャン”である。ところがこのねーちゃんの発音はすげー。
ていうか方言で読んだだけなんだけど、何となくここ邯鄲語って江蘇省の方言っぽい。しかもわしの名前はどうやら読めなかったらしい。
すげー簡単なのに(笑)

晩飯を食おうと思ったけど、魂さんはまだ気分が悪く食べる気が起こらないらしい。MR.LEEでわしは牛肉面を食ったが何と

財布を持ってくるのを忘れてた(^_^;

その場に一緒に魂さんがいたので助かった。どもすんません(焦)とりあえず明日は磁県付近の遺跡をあさることに


1/5 気分は最悪

朝五時半過ぎから魂さんがもそもそ起き出したので、わしもつられて六時半には起床。朝めしはカップ麺と味噌汁。カップ麺食った後
何だか気持ち悪くなる。七時過ぎた頃からやっと日が出てきたので、八時に宿を出て、わしは荷物をバスターミナルに預ける。魂さんは
磁県観光が終わるとそのまま石家庄に行くみたいなのでごつい荷物を背負いながら移動するらしい。

重そー・・・( ̄▽ ̄;

バスターミナルで安陽行きのバスに乗り込み磁県へ。40分ちょいで磁県に到着。そっからバイタクどもに聞き込むがどーも知らないっぽい
奴ばっかだった。とりあえず先に三台村にある(業β)城遺跡へ見切り発車することに。途中聞き込みしながら何とか(業β)城遺跡まで
辿り着く。けど磁県からばーり遠い。
余裕で20km越えとる。道が悪かったせいもあるかちょっと気持ち悪い。

中に入ると、うわーっと五、六人の田舎子供につきまとわれる。小銭作りのためわしが二枚分100元で出すと、
おばちゃんはかなりテンパリ、おつりをつくるのに必死になってうろうろしていた。
※入場料一人10元

おばちゃん『細かいのないの?』

わし『ない!!』

はっきりいってこの時、一種の罪悪感がわしを襲った。こんな田舎のとこで滅多に見られない百元札。

その出されたお札のおつりに悪戦苦闘するおばちゃん


けどそれを傍目でみながらも、『ふふん』とお釣りを待つわし。

ごめんよおばちゃん!!ごめんよ!!

やっとかき集めたお釣りを持ってきた一方で(おばちゃん感謝!)ガキがごにょごにょ言っている。

『この兄ちゃんたち金持ちやなあー』

『かっこいい兄ちゃんだなあ〜。』

『さすがシティーボーイの兄ちゃんが喋る言葉は違うなあ。俺達田舎の言葉とは全く違うよ、すげーなー
何言ってるかわからへんわー』

いや、ちゃうやろお前ら。言葉分からなくて当たり前や。

わしらは外人ぢゃ!!

そんなことも分からんここのお前達、田舎すぎやぞ(T-T)
その後ずっとガキどもに振り回され観光。あーうざい・・途中でおっさん連中に追い払われたが、その時はもうすでにほとんど
観光終了直前(怒)

しっかし、ここが魏の都だったとこかいな。しょぼい、ぼろい、へちょい。何だかすげー悲しくなってくる。ったく中国人は観光地に
余計なもの(その観光地の価値をさげるくらいの
チープなもの)作りすぎやねん。横の更にしょぼいテーマパークなんかは
像がぶっ倒れとるわ、破壊されとるわ散々な状態。おまけにここ1元もとるわ、駐車料金はとられるし。何だかふぁっく

そこで曹奐墓を聞き込むとこっから5kmらしい。しかし、そこまでの道が最悪。たでさえ気分悪いのに完全に気分が悪くなった。
しかも5kmなんてもんやない、8kmはゆうに越えとる。親父は最初に間違えて曹操栓馬古柏へ連れて行く。

二人ともマジギレ

”んなとこはいいんだよボケ!!曹奐墓は一体どこなんぢゃ!!
人の話聞いとったんか!?”

おやじもふてくされ困っていたが、通りすがりの人民に聞くとあっさり場所が判明。こっからすぐ近くらしい。もし、曹奐墓が
こっから全然ちゃうとこやったら

おやじをぼこぼこにしてやったところだ

ったく・・・曹奐墓はそっから見える距離にあった。以前ROVERさんとこで見た写真と比べると、石碑はぶっ倒れており(笑)、
しかも砂にまみれており魂さんがきれいに掃除して見れるようになったくらい(T-T)横に新しい白い石碑が建っていたけど、
この墓の立場は何だか少し怪しくなってきてると思うな。ま、魏最後のおかざり皇帝だから墓があること事態が奇跡
なんやけど( ̄▽ ̄;



※曹奐
-三国時代魏の最後の皇帝。司馬昭死後、息子の司馬炎が曹奐を皇帝に擁立。その後、司馬炎に
曹奐は退位させられ魏は滅亡。時代は晋の時代へと向かう。
憐れな皇帝だが、墓に関してはこっちのほうが勝ってる。
司馬一族系は盗掘されまくりほぼ壊滅状態やし。まさか、司馬炎も思いもしなかっただろう、

後世では曹奐に墓で負けるなんて(笑)


↑旧曹奐墓碑(ただいまぶっ倒れ中。そのうちなくなる予定

とりあえず気分が相当に気分悪い。しかもここまでにかなり時間がかかってもうたし。
公道まで行きバイタクに金を払い、邯鄲行きのバスを捕まえる(5元)。バスの中で気分悪さは最高潮に達し、吐きそうな勢い
やったけど気づくと寝てて、起きたら邯鄲に着いていた。魂さんとはここで別れた。

魂さん、どーもお疲れさまでした。m(_ _)m

時間はあるし、これから市内を見て回ろうと無理にまわる。そのおかげで完全に身体がくたばる。動く気すら起こらない。
何とか宿をとり、横になる。けど、いい部屋とったのにシャワーのお湯は全然温かくない。ちきしょー何のために高い宿
とったんじゃーふぁっく!!八時過ぎにむくっと起きて、体調を確認。駄目あかん・・全くあかん。どうやら車酔いだけではなさ
そうだ。下痢もあるし、何が何だか分からん。これはじっくり療養したほうがええな。

だるい身体をひきずりながら邯鄲站に行き、北京行きの切符を買う(軟座80元)。北京だと保険で医療費いらないし、
日本語通じるから北京で医者に見てもらってのんびりしよう。こうなったら北京から蘇州に帰ってもいいとまで考えた。
一人旅で病気になった時ほど弱気にならないことはない。


1/6 一年半ぶりの北京

朝六時過ぎにむくむくと起き用意をする。七時出発間際になりお腹が下しまくる。危うく列車に乗り遅れかけた。
7:30に列車は時刻どおり邯鄲を出発。站で買った水を車内に入ってから確認するとすんげー汚い。ふたをあけると

はい、偽物の水でした〜♪

近頃は優秀生産なはずの”農夫山泉”すら偽物が出回っとんのかい!!

農夫山泉といえば浙江省とびきりの風景区で水がすごいきれいで有名な”千島湖”からとったミネラル水である。
そんなもんまで偽物が出回るようになったか。しかも普通赤い蓋を開けると封がされているのに、これには封がされて
いない。そこらの水道水を適当に入れて売ってるというわけである。

中国って偽物ばっかり

そのうち全てのもが嘘にしか見えなくなるような気がして残念(というかわしはもう手遅れかも!?)である。
朝バナナ三本無理に食べたわけだが、車内でまたもや気分が悪くなる。前にすわっとるばあちゃんとその息子はやば
いし。ばあちゃんが何度も

『おえ〜っ!!!』※死ぬんちゃうか!?ってくらいのこえー声で

といいながら痰なんかう○こなんかはしらんが、口から吐き出しそれを息子がティッシュでふき取る。その光景を
何度も見せ付けられこっちまで気分が余計に悪くなった。んでもってわしは席を移動し、一人席に座る。こりゃいかん
やっぱ北京で病院に行こう。

北京西站には11:50分に到着。しっかし北京西站ってすげーな規模がやっぱ。一種の空港ターミナルやでこりゃ。
バスターミナルから806路バスに乗って北京国際飯店前の”北京站口”まで行く。バス内ではあいかわらず切符売りの
おばちゃんがいる。そこで北京のすごさを思い知らされる。5元もしないバスの切符を、何を考えたか

百元札を普通に差し出す人民( ̄□ ̄!

すげーとびびるNUNOを横目に、服務員は

『ちっ!!』

と舌打ち。そりゃいくらなんでもあかんやろ人民よ。バスで百元って
そりゃ舌打ちしたくなるわい。さすがは北京、一応首都なだけある。ただでかいだけやけど。
上海ではこんな光景は絶対見れないで。

3、40分ほどかかって到着。そっからユースホテルがある北京国際飯店のニ号楼へ行く。フロントにはデポジットの紙を
なくしててんぱってた韓国人がおり、わしのチェックインがやたら遅くなる( ̄- ̄メ で、やっとわしの番が来たおもたら、

服務員『Do you have a member's card?』

英語かい!!わしはその昔英語が好きでよく勉強していたのである程度聞く能力はあるし、読む能力も高い。
けど、喋れなくなった(T-T)思わず叫ぶ

わし『シェンマ!?』

『なんだ中国人なんだ?紛らわしいわね!』

えっ!?違うよ、違う!!居留証見てよ!!

決められた部屋に入ると、部屋はやたらに物が溢れていて、長期滞在してます〜みたいな跡が伺える。お!?
一人欧米人が音楽聞きながら本を読んでいる。こっちにも気がついたらしい

欧米人『ハーイ!!』←やけに明るいのが困る

わし『はっ・・・ハーイ』←ギコチナイ

欧米人『どっから来たの?』

わし『ジャパン』

欧米人『オ〜グレイト!!ユーはジャパニーズかい!だったらこの本見てよ』

とおもむろに読んでた本をわしに見せる。


”Memories of GEISHA”
(芸者の記憶)


・・・・・へ!?

なんやGEISHAって??

おおっあの芸者か!!

何読んどんねんこいつ(笑)

表紙に飾られた恥ずかしそうな表情を見せる芸者さん

それを”interesting”(面白い)と何十回も連発する欧米人。

そして


当惑する一人の日本人
( ̄▽ ̄;



その後もやたら日本について聞かれるが、英語が出てこないわし。おもわず中国語で喋ってしまう。その為
彼との会話のキャッチボールが不可能になったのは言うまでもない。そこでわしはふと思った。

やっぱ世の中英語やで!!
(本音:ここは中国やねんから中国語喋れあほんだら〜!!)

中国語なんか勉強してる暇なんかないで。改めて帰国後英語をやりなおそうと決意する(ほんまかいな?)。

とりあえず病院へ行こう。一番近くのAIU保険がきくという東単の協和病院へ。途中歩いてる時風がすごくて
更に砂埃もひどかった。思わず、『北京の冬は最悪だ。風はすごいし、砂埃はひどくて目も開けれない。だから
北京人は早く春が来るように待ち望んでいる』という教科書の文を思い出してしまった。まじですげー

息ができない、ほこりで顔が痛い、歩くのが困難

・・・なんぢゃここ北京!!

病院に辿り着き外国人向けのとこに行って診察してくれるように言う。どーも保険が効かないっぽかったけど、
とりあえず診察してもらうことに。先生はやたら生活内容や人脈関係まで突っ込んできた。

『何で君は一人で旅行してるんだい?もっと皆と活動してわいわいやんないと面白くないだろ?』

痛っ!!( ̄□ ̄!
(言い訳:わしと一緒のとこに行く人間なんていないのだ)

とりあえず大きな問題はないらしい。便を見たら分かるというのでトイレに行って頑張るが出ない。ほなってことで
採血。採血してくれた看護婦さんとても優しくて親切でいい人だった。でもね、針をね
ぴゅっ!!と勢いよく抜くのはやめて(T-T)まじで痛いっす・・
血液検査の結果が出るまで二時間ちょっとかかるらしいので、食事をしてくるように言われる。んなこといわれても
食欲がないっす。

とりあえず歩いて王府井まで行き、永和大王で台灣炸猪排飯セット(15元)を食べる。不思議なことに
”一開始吃就有食欲了”(食べたらすぐに食欲が出てきた)ってな感じでパクパク食えた。
何や腹へっとっただけか、もしかして?

食った後天安門までまたもや歩いていく。おおー相変らずここは荘厳な感じのする所やなあ。もう少しで旗下げが
行われるらしく人民解放軍らしき奴らが続々と集まってきている。この旗降ろしってほんますごいよな〜何せ
交通を止めてまで行うもん

恐るべし中華人民共和国首都の北京。とりあえずわしは天安門の毛沢東の肖像画に向かって

『偉大なる毛沢東思想万歳、万歳、
万万歳!!』

と中国語でぼそぼそ言ってその場を離れる。病院に戻ってしばらくすると血液検査の結果が出た。
先生『どこも悪くないよ。極めて正常』。ふーむそうなのかとりあえずはよかった。先生によると気持ちの問題も
あるらしい。一応お腹の調子を整えるのに三種類の薬をくれた。お医者さんの言った言葉が印象的だった。

『いいなあー学生さんは。私らは休暇なんてないものなあー・・・』
いやーほんまに医療関係の方々には頭が下がります。

男医者『ところでさー○○ちゃん、今晩空いてない?食事でも行こうよ』
女看護婦『すいませ〜ん先生、せっかくですけどお断りしま〜す♪ウフ』(笑)

頑張れ呉慶軍先生!!わしはあんたの味方だ!!

協和病院から歩いてユースホステルに戻る。部屋に入るとフランス人らしき二人組みがベッドでチェスをしている。
ごっつい感じ悪い。こいつら俺のこと何か言いながら笑ってやがる。ばーりムカツク。欧州二大嫌われ民族の内の
一つフランス人。ほんまにお前ら嫌いぢゃ!!

三日ぶりのシャワーを浴びに行く。おおーお湯が暖かくて気持ちいい・・・身体も頭もすっきりした。それから
明日の晩の韓城行きの列車切符を買いに行くため北京站へ。外人向け売り場でなんなく寝台席ゲット(189元)。
何のために韓城へ行くかというと、あそこにはわしが尊敬する司馬遷の墓があるからだ。考えただけでも

うきうきしてくる。

宿に戻る

・・・・・・・

夜12時過ぎてもFuckin FRENCHは電気も消さずにチェスをやっている。(以下自主規制)

こんのアホボケカスウン○変態!!
はよ寝んかいや!!!

結局寝付けたのは二時過ぎ。うるあ〜!!!


1/7 のんびり at 北京

朝八時過ぎに起きてマクドナルドへ行く。部屋出る時に眼鏡かけたフランス人がわしに『What's the matter?』(どうしんたんだ?)と
嘲るように言ってきた。どうやら昨日寝たのが遅い上にこんな朝早くがさがさやられたのが気に食わないらしい。てゆーかお前らの
ほうがよっぽど頭わいとるやろが(おかしいやろうの意味)!!こーいうドミじゃあ自分勝手なことは許されない。人に迷惑かけない
ように気を遣うのが当然やろ。それがお前らなんかに言われる権利何かあらへんど。ほんまにファッキンフレンチが!!

(日記では以下に暴言が続きますので書きません)

マクドナルドでモーニングセットを頼むが、何故かなくハンバーグとコーヒー一杯で9.5元もした。食後スーパーで買いものをする。
ホテルの一階に戻ってくると、あのファッキンフレンチ二人がチェックアウトしていた。ばーかとっとと失せろ

薬を飲んで久しく洗ってない関学青ティーシャツを洗う。するとでるわ出るわ黒い汚れが( ̄- ̄;一生懸命洗って汚れを落とす。
12時過ぎにバスに乗って前門の開封小龍包を食べに行く。久しぶりに食ったのだがちっとも感動が湧かない。こんな
もんだったっけ?開封で食った小龍包の方が断然おいしかった。うーむ何か不完全燃焼である。

そっから歩いてホテルまで戻る。ちゃんと運動しないと腹もへらへんやろうしね。
宿に帰ると又もや下痢。・・・・何で!?昼食いすぎたせいか??マクドナルドであたったとは考えにくい。外は寒いしお腹も調子
よくないので宿でゆっくりすることに。結局服を徹底的に洗って暖房の上で乾かしまくった。

そんなこんなでもう五時過ぎ。夜メシを食いに以前行ってた台灣料理の店へ行く。が、

なくなってた(T-T)

仕方ないので地下通りの中にあるカレー屋さんでカレーセットを食べる(チキンカレー+飲料+ポップコーンで22.5元)。久しぶりの
カレーだ。味も中々で悪くない。食後、宿に戻り荷物をまとめる。整理が一段落してテレビを見に行く。久しぶりに日本のBS放送を
見た。BS-1ではスペインリーグのレアルマドリードの試合をやっている。おおっ、ジダンがスーパーゴールを決めた!!ブラボー!!
しかし解説の長谷川健太氏は相変らず終始的外れな解説。一方BS-2は普通のニュースをやっていた。ああー早く日本に帰りたい。

それからシャワーを浴びてまったりとしてから、八時にチェックアウト。タクシーで北京西站へ向かう(24元)。待合室に入ったのは
八時半やけどもうすでに韓城行きの所は人民がわんさか並んでいる。8:40分になるともうチケット検査開始だ。とりあえず顔ぶれを
見ていると行き先の所は

かなりしょぼい都市やのう

ああーいやだいやだ・・車内に入ってからはそっこう寝付けた。シャワーの余韻がほんわり残ってたから。すげー気持ちいい・・・


1/8OH MY 司馬遷!!

朝起きる七時過ぎ。周りのベッドの人民達はいなくなってたラッキー!8:30過ぎに霊石に到着。しっかし山西省って石炭
ほりまくってるとこだけあって、

過ぎ行く街の雰囲気は最悪

大同にはじめていった時にも思ったことだが、この省って密かにかなりビンボー地域に違いない。統計は見たことあらへん
から断言はできへんけど、わしの破綻警報装置がかなり発動している。やばいよここら一体。

貧しいとこは安徽省だけにしてくれ!!(涙)

大体列車内の人民の顔ぶれがもっとそのことを物語っているではないか!?はーいやだいやだ

そうこう考えてると上のベッドの人民兄ちゃんが降りてきて、自分の靴を探す時、わしの靴を堂々と踏み台にして
自分の靴を探し始めた。これにはぶちギレした(以下のキレ発言は掲載しません)

列車は時刻どおりに韓城に到着。列車から降りると站の雰囲気はかなりショボイ。站を出るともっとやばかった。
はっきりいってここ韓城はド田舎の站である。今までいろんな”市”に行ったけど、こんな田舎の”市”は初めてだ

站前には、蒲城行きと西安行きのバス、タクシー、バイタク、輪タクが殺気だった目でスタンバッており客引きが
ものすごー激しい。はっきりって

こっ・・・怖っ!!

とりあえず地図を買うため売店に行く。するとおばちゃん

『ここには地図なんてないわよ』

は!?まじかいな!?確かにこの街はしょぼそうやしなくても違和感がないかもしれん。けどや、ここ韓城ってまがり
なりにも”市”やろ??なんで地図があらへんねん!!
とりあえず横にある売店に行ってみるとあっさり購入できた。( ̄ ̄メ←ムカツク〜しかも何と五元もとられた。
う〜む司馬遷だけでもってるような都市のくせにこの俺様から5元もぶんどるとは何事ぢゃ!!

司馬遷祠墓を地図で確認すると、バイタクに聞く。『ここまでこっから何キロ?』『31華里ぢゃ(15km)』
だから何やねん華里って。
おっさんあんたいつの時代の人やねん。大丈夫かなあこのおっさん。ま、さっさと
こんなしょぼしょぼ都市からおさらばしたいので乗ることに。

バイタクはとろとろ走り10kmの距離を30分もかかって到着。ここがそうか〜感慨深くなりしばらく入り口でたたずむ。
入場料を払い進入。ここ司馬遷祠墓は山をうまく利用して造られていていた。とてもいい雰囲気で、周りの眺めは
最高だ。ただ、手荷物を全て持って山登りしたのでかなりこたえた。
『はあーはあー』と怪しい息切れをする
若者が頂上に辿り着いた時、それを見て人民はどー思ったやろうか?(笑)
※実際二人のおばはん、おっさんが怪訝そうな表情でわしをみとった

司馬遷の墓はコンクリ(石!?)で周りを固められており、何本かの木が中から生えていた。ここに司馬遷が
眠っているのである。長年”史記”を敬愛してきたわしにとって司馬遷は特別な人だった。10年来の想いを
越えてやっと彼の墓をお参りすることができた。感無量だ。普段拝むことなんてしないわしだが、無意識に身体が
動いて拝んでいた。彼の不屈の精神と史記から溢れ出る、能あるものが報われないことへの憤激は当時中学生
だったわしにさえも深い感動を与えた。

ちなみに知ってる人も多いだろうけど、故司馬遼太郎氏のペンネームは司馬遷からきている。司馬遷は今から
約1900年程前の西漢の人物で、父の司馬談の職”太史公”と父の歴史を綴り後世に残すという意志をを
引き継ぎ、中国全土を旅しその土地の伝説や民話を聞いて記録していった。ある日武帝に匈奴に降伏した
李陵を弁護して武帝の怒りをかい、宮刑に処せられる。彼はそれにもめげずに父の意志を引き継ぐため
史記を書きつづけた。まさに不屈の闘志である。

わしはそこで長い間拝んで司馬遷祠墓を後にした。

居心地の悪いバイタクに乗り市内へ戻る。っていうか市内とは呼べないけど( ̄▽ ̄;;
韓城市内の建物は山西省(特に平揺の街並みみたいな感じ)と同じで古い建物が多いから余計にしょぼく思えるし、
実際に繁華街といえるとこもない。スーパーすらない

バイタク親父に汽車站まで連れてってもらい金を払う。けどここの西安行きのバスは一台しかない上に五時間も
かかるときたもんだ。親父に聞いたそっから近くのもう一つのバスターミナルへ行く。・・・と向こうから西安行きの
バスがやってきた、急いで乗り込む。ジャジャ〜ン!!何とこのバスIVECO(イタリア製小型バス)♪あの

狭くて臭くて息苦しくて、人民と密着できる不快適な
素晴らしいあのIVECOさんです


↑外国人旅行者が忌み嫌うIVECO
こいつに出会ったらあなたはもう最後♪
(撮影 at 蘇州)

IVECOで四時間半はごっつい辛いなあ・・バスは時速10kmを保ちながら(怒)とろとろ進む。途中次々に
人民が乗り込んできたが、司馬遷祠墓近くで下車した。どうやら奴らは運ちゃんの知り合いやったらしい。ただ乗り
かいや!!ほんまいい加減な奴らや

バスに乗ってて気づいたのだが、ここ韓城一体は台地だった。あたり一面台地で中国でこんな風景見たのは初め
てだ。少々圧倒されてしまった。ほけーっと窓の外を眺めてると戦国
魏の長城跡が公道沿いにどーんとあった。
おおーこれは素晴らしいではないか!!こりゃちゃんと降りて見た方がよかったなあ。けどまあバスのスピードが
遅くて結構長い間見れたんやけど(怒)

そっからバスは急に速度をあげていった。途中合陽という都市を通ったが、ここはとても賑やかだった。はっきりいって
韓城なんかとは比べ物にならないくらい発展してるし物が豊富だ。何やねんこの差は!?
合陽郊外で何とバスがに席もないのにアホ人民六人が入ってきてバス内はすげーテンパル。そのおかげで、人民
どもはタバコを吸いまくり、車内の空気は最悪。何とわし以外の奴が皆吸ってやがる。(以下自主規制)

オイ!!我らワシを殺す気か!!くさいんじゃ
ボケ!!禁煙って書いとんのが見えへんのか!!


・・って運ちゃんまで吸っとるんかいや!!
あほかお前らルールは守れ!!


自分の欲望のままに生きる自分勝手なお前らは
まじで嫌いじゃ!!


アホかお前は携帯ピコピコ鳴らしすぎなん
じゃ!!そんなもん見せつけてもわしは羨まし
ないどハゲ!!


大体何やねんその格好!!皆同じかっこう
しやがって!そんなんでかっこいいと思っと
んか?ださいんじゃ、いもいんじゃ田舎者!!

バス内で三時間半ものタバコとの格闘が続き、8時半西安東バスターミナルに到着。くそせまいIVECOに
閉じ込められていたので足が硬直していた。バスから降りたとき足がふらふらでまともに歩けなかった(T-T)
バスに乗って火車站まで行く。宿はいつもの解放門飯店にとる。9:00過ぎだったけど、食事に行く。
永和豆漿で排骨飯と甜豆漿を食す。宿に帰ってからシャワーを浴びて寝付く。今日はとにかく

IVECOにしてやられた


1/9 西安でございます

朝一度五時半に起きる。すぐに寝てまた起きたら七時半過ぎ。どうやらもう寝れそうにないんで起床。朝めしに邯鄲で買った
バナナ二本(まだ残ってたんかいな)が残ってたのでそれと、持参のコンポタージュを。
メシ食った後、宿の再一泊手続きをして、今日は二度目の兵馬俑にへ行くことに。站前からすげーいいバスが出ているらしい
のでそれを探すとあっさり発見、乗り込む。すると前の座席の女の人が

『ウオーハイメイマイーピィアオ〜ジェンマバーン?』(我還没買票、怎麼辨?)
(まだちけっと買ってない、どうしよう?)

韓国語なまり爆発しすぎだったので、『こいつ韓国人やな』と心で爆笑しながら教えてあげる。ていうかわしに聞かんと
服務員に聞きなさい( ̄- ̄ゞ

兵馬俑行きの306路豪華バスは何と高速道路をぶっぱなしながら行き40分で兵馬俑に着いてし
まった
( ̄□ ̄!まじかよー!!わしがはじめて行った時は確かツアーバスやった。行くのに兵馬俑まで二時間かかった
覚えが・・しかも当時は高速道路なかったし、建設中やった。帰りなんか三時間もかかったのに!!お〜何てことだ
時代は変わったものだ・・・

相変らず兵馬俑の周りはうさんくさい物売りがいっぱいいる。無視してチケットを買いに行く。学生証で60元が35元になったのは
以前と同じ。あれ!?あの韓国人も学生証チケットのコーナーへ行っている(兵馬俑チケットの窓口は種類別に分かれた窓口)。
やっぱ留学生かいな(笑)

さっさと突入して鑑賞。・・・ほにゃ!?以前は兵馬俑坑1・2・3号どれも撮影禁止だったけど、今ではその看板すら見当たらなく
なった(3号はあったけど)。一応写真撮った後没収されるのがいややから恐る恐る警備員に聞く。
『ここで写真撮ってええの?』『ええよ』
え・・・!?そうなん?ほな撮らしてもらいますわ〜ってことでばしばしとる。数にしておよそ
36枚フィルム一本程
(撮りすぎやろ)

←二度目の兵馬俑。

ここ兵馬俑が埋まってた地域は発見されるまで人民達の墓地やったらしい(中国人ガイドの喋ることを盗み聞きした)。
改めて発見前の写真を見てみると本当にそうだ。てことは、人民達の墓はどこに?(笑)
しっかし兵馬俑こりゃ何度見てもいい。素晴らしいの一言である。こんなものを造らせた始皇帝の権力にも改めて脱帽。
中国はとりあえずスケールだけはでかい。

お土産コーナーで兵馬俑トランプを発見。値段も5元と手頃で高くないので即買い。しっかしそこの売り場のおばちゃんは
すごかった。

『こんにーちは!にほんじん?何買う?』(日本語)

と最初日本語で喋りかけてきたのでびびった。危険信号がピコンピコンと鳴り始めたので

『ああ〜!?』(中国人ばりに)

と返すと、『日本語、中国語、英語どれで喋るのがいい?』と中国語で聞いてきたので、

『わしは中国人やからもちろん中国語ぢゃ!!』と言ったら、『あらそうなの。あなたの格好見てたら絶対日本人だと
思ったけど、中国語聞いたら中国人だわね』

『じゃあ(何がじゃあやねん)、そのトランプは5元でいいわ。あなた学生さんでしょ?日本人・欧米人なら
15元以上ね

え!?こえー・・・!!

怖いよこの人たち!!パパ、ママ僕ちゃん帰りたい!!

西安の観光地の人間の人種識別能力の高さといったらほんまにびびる。こいつら的確に日本人をあてる感覚が
鋭い。さすが中国トップクラスのボリ地域西安。こえーこえー
又もや兵馬俑を堪能し、そこをあとにする。そういや、ここら付近に鴻門の会遺跡があったっけ?随分前に行った時ちゃんと
押さえてなかったな。こっから確か3km範囲内にあったはずだ。そう考え込んでいると一人おっさんが近寄ってきた。

おっさん『どこ行くんだ?秦始皇帝陵、華清池とかに連れてってやるぞ』

わし『鴻門の会遺跡に行きたいんやけど、こっから何キロある?』
おっさん『7,8kmかの』
わし『嘘つけ、わしの資料(頭の中)には3km未満とかいとるぞ』
おっさん『いやわしは嘘つかん。もしお前さんが行くんだったら特別にまけて8元だ。往復なら・・そうだなまけて15元だ。
どうだ乗るか?』
ちょっと考えてからOKを出して連れてってもらうことに。一人のおばちゃんが運転しながらそのおっさんは助手席に。

一体おまえの存在価値は!?

おっちゃんおばちゃんはしきりに始皇帝陵や華清池を勧めるが、わしはそこらの観光地のことをぼろかすにけなして
誘いを一蹴する。更には何故か中国の観光地のあり方についてもけちをつけ始めるわし。あー気分すっきりした( ̄▽ ̄ゞ
大体なあお前ら観光地化が進めば進むほど、変なチープなものが増やしていくやろ?お前らはそー思ってへんから
余計に致命傷やねんそれがな。

おばちゃん『普通観光客は秦始皇帝陵や華清池に行くけど、鴻門の会遺跡行く人はいないわ。あなたはどーして
あそこを知ってるの?』

わし『それはな、わしが変なやつだからだ!!

この一言に二人は唖然としていたが、おっさんが話を続ける。

『そーいやお前は見た目は日本人だと思ってたけど、中国語喋らすと中国人みたいだ。お前は一体中国人なのか?』

わし『教えない。まあ、とりあえず他の星から来たからお前らに言っても分からへんやろな。
第一ボリ野郎が多いこの西安でそんなこと言えるかいな』

おっさん『大丈夫だわしらはお前を騙したりはせん。ボリが多いのは事実だが、いい人もいるんだぞ。
ほらわしらみたいにな

オイ、自分で言うな( ̄- ̄;;

とりあえず鴻門会遺跡に到着。しょぼ〜い・・・確かにこれは写真撮る気が失せる。そーこーしてるとねーちゃんが
やってきて入場料の金を請求してきた。ふむふむ・・・

24元!?

はあ〜どんな料金設定やねんこれ!!『ふざけんなよてめー!!こんなしょぼいとこで24元てボリ過ぎやろ。まけろ!』
『そー言われても困るわ。決まりは決まりだから私はそれに従うだけ。どーしようもないわ』
『そこを何とかせんかい!!』
『うーん無理だわ。その代りにガイド料はただだから

そんなものはいらへん!!!

そう叫び一人でしょぼしょぼテーマパークを一人で鑑賞。ガイドのねーちゃんには一言も喋らせないで。
・・・ってタクのおばはんおっさんお前ら何一緒に見とんねん!!
『おい、あいつらも金払わせた方がええぞ。ほら勝手に入ってきてわしと一緒に見てるやんか』
全く・・・・こいつら適当やな

さっさとそこをあとにし、306路バスが通っている公道まで戻り、へんてこ二人組みとはおさらば。ああーあほくさ
306路バス乗って市内まで戻る。昼飯がまだだったので、謝和永利で牛肉米線と甜豆花を食べる。

食後歩いて動物園横の襄王陵まで向かう。うーむかなり遠いバスに乗った方が賢かったな。さんざんに迷い
動物園北の道でバイタクのじいちゃん捕まえたら全く何ゆーとるか分からへん(T-T)何とかじいちゃんに
標準語もどきを喋らせて意志の疎通ができたと思ったら、

『知不道(ジーブダオー)』(知らん)

知不道かよ!!(笑)西安方言が炸裂!!!標準語だと”不知道”なのに。しっかし”知不道”とは参った。
しかも天津方言と確か一緒ちゃうかったっけ!?とりあえずじいちゃんに襄王陵を分からすまでに10分も
かかった(笑)知ってたからよかったものの・・・ふうー

何かこの襄王陵に行く道ってすんげー分かりにくいし、人民の生活感が溢れまくるところでバザーみたいなこと
やってた。おまけに襄王陵の石碑はないし、相変らず人民は人様の墓の上に登って愛を語ったり、遊んだりして
いる。全くお前らの保存の仕方ってどないなっとんねん!?


1/10 おまえら〜!!

朝八時すぐに起床。宿を引き払って荷物を駅前に預ける。今日はとりあえず咸陽に行って茂陵へ行くつもりだ。站前の103路
バスに乗って漢城路まで行き、そっから59路(3元)に乗り換える。このバスやったら遅くていらいらするわほんまに。
横に座ってるおばはんは赤ん坊を抱えてんねんけど、そのガキのズボンはお尻の所がパカッと開いているいわゆる中国式の
やつ。ガキのけつがこっちにむくたびにはらはらさせられる。

汽車站近くで下車して汽車站に茂陵行きのバスを探しに行く。『おい、どこに行くんだ?』『茂陵!!』
『そんなとこ行くばすあらへんで』

へ!?ないの?なぬ〜地球の迷い方にはここから茂陵行きのバスがあると書いてあるが( ̄ ̄;;?とりあえずしゃーないので
地図に載っている茂陵行きの13路バスをさがすことに。汽車站から歩く歩く・・・けど地図上の出発点にはバス停がないので
またもや歩く。そーすると博物館まで来てしまった。そういやここの博物館、この前咸陽来た時行きそびれてたんだよなあ。
じゃあ行くかあってことで博物館へ。20元もすんのかいな、まそれだけ中身が自信あるんやろな。

・・・・・・

相〜当〜の期待外れ!!

世界的に有名な博物館とか言っておきながら、しょーもない展示品しかないしかないし、どこの部屋もいっちょまえに監視カメラ
なんかセットしてまわしやがって!何かっこつけとんじゃ!!大体なあ

内蔵物がすごくてもそれが博物館内に展示されてなかったら何の意味も
ないんじゃ!!

お前ら中国の博物館はいっつもそーや。”何々の有名な何々が当博物館には収められており”なんて書いて客を呼び込んど
いて、行ったらあらへん。何やねんお前らのやっとることは!!詐欺と一緒なんじゃ!!お前ら心しとけ。見てるこっちは
何もおもしろない。
※ちなみに噂ではここには劉邦の殉葬墓の一つである周勃墓から出土した兵馬俑があるとかないとか

少しキレ気味にお土産コーナーへ行くと・・おおっ、すげーここ充実してる!!拓本や本、骨董かなりの品揃えだ。
ここで
『中国皇妃陵墓(大連出版社)』(20元)を買う。ついでにここで秦の名将”白起”将軍の墓の地名を地図上で教えて
もらおう。『渭城郷三姓村ってとこなんだけど、どこ?』『渭城郷?そりゃ絶対書き間違えてるで。”郷”じゃなくて”区”やで』
そっから二人で三姓村を探す。するとおっちゃんが発見してくれた。『うーむ、ここだと16路バスに乗っていけば行ける
みたいやぞ』おおっ、そうなのかサンキューおっちゃん。まさか白起墓が市内にあるなんて夢にも思わなかった。今日は
ちょっと予定を変更するか。博物館を出て南の通りに出ると、何と旅遊2路というバスのバス停を発見。おおっ、これに
乗れば茂陵にも楊貴妃墓にも行けるのか!じゃあちょっとここで待ってみるか。

・・・20分経過。うむー全く来ないではないか。ん!?時間が書いてある。初班7:30、末班14:30.もしかしてこの
時間二つだけってことか?しかも出発地点は西安火車站。そうなら茂陵は明日にまわすか〜
そっから東に向かって歩いていくと何と13路バスを発見。こんなとこにおったらわからへんやんか!しかも客は全く
乗ってなくて三台も出発待ちになっている。駄目だこりゃ、茂陵は明日にしよ

とりあえずそこから又もや歩いて火車站まで行く。・・・・・・遠い、だるい(T-T)あほかわしは。站前で16路バスを
探すが見当たらない。ていうかここにはないらしい。仕方なしにバイタクと交渉すると5元だと。うむ安いではないか
ってことでレッツゴー!三姓村で降りて聞き込むとあっさり判明。何と人民居住区(アパートが立ち並ぶとこ)の中に
あった。しっかし墓は立派だ〜!!でかいし、石碑もばっちしあるし何か貫禄がある感じ。

白起(はくき)は戦国時代末期(およそ今から2200年以上前)秦の昭王時の猛将で、各国を次々に破る常勝将軍で
行く手に敵なしだった。戦国時代の最大の合戦である
長平の戦いでは趙に大勝利したが、捕虜の40万人を
生き埋めにしてしまったがために、以後趙国の人々の強烈な抵抗に遭った。更に趙と和議をまとめた宰相

范(且隹)
(はんしょ)に対して不信感を持ち、病気と称し合戦に出なくなった。魏の信陵君率いる各国連合軍に
敗れた秦は攻めるどころか守るのさえも危うくなり、昭王は白起将軍に出陣を命じたが彼は拒否。怒った昭王は
白起に自決を迫り、彼は今までたくさんの人を殺してきた罪滅ぼしにと自決した。時は紀元前257年11月。
秦の民衆は白起の死に同情し、いたるところの村で祀られるようになったという。
この墓をみれば確かにそれは
納得できた。ていうかこんな昔の墓が残ってるのが奇跡とでもいうべきか


白起墓碑

参観を終えてバイタクは片道だけでさいならしてたので、バスに乗ってもよかったけど又もや何を考えたか
わしは歩いて站まで帰るという暴挙に出た。ばーーーーり遠かった。今日一体どれだけ歩いとんのや?
59路バスに乗って西安に帰るが、些細なことでバスのおばはんと大喧嘩する。周りの人民をもまきこんでの
ちょっとばかし熱い戦いになってしまった( ̄▽ ̄ゞ(何しとんねん)

西安の漢城路に着いた後、あるきで一つ南の筋に通っている521路バスに乗るため行く。が、
ばーり遠い(もーええって)。地図の縮尺がいい加減なおかげで距離が全然違った。やっとのことで521路
のバス停に到着。521路に乗り終点”阿房宮”へ(1元)。終点で降りると阿房宮遊楽園が目の前にあった
けど、こんなもんはどーでもいい。本物を見に道路を北に渡り田んぼを横断して到着。うーむこれは素晴
らしい!!これぞ
阿房宮の跡なのだ。この宮殿は始皇帝が建てさせた当時最大の宮殿で、一階には
一万人もの人が座ることができたと司馬遷は記している。土山といえどこれは雰囲気十分だ。十分に
堪能した後そこを後にする。604路バスに乗って鐘楼へ(2元)。そっから又歩いて站まで行く。

疲れと腹が減ってしょーがないので站近くの”秦漢面庄”で普通の中華料理を食べた。宿はどーしようか
迷ったけど、又もや同じところに決定。しかも面倒くさいので三日分。

スーパーに買い物に行くと韓国人に間違えられたので、無知人民に対して日本人と韓国人と中国人との
違いを服の例やしぐさにまで至って説明し、説教する。いい加減このばかどもの無知にはキレてくる。特に
モンゴリアンねーちゃん

『日本人も韓国人も中国人も見た目は一緒よね〜』

と言われたのでかなり頭にきた。
なんやねんその”よね〜”って。何お前は勝手に知ったかぶったように決め付けとんねん!!

不細工モンゴリアンねーちゃんに言われたのがどーも腹立たしくて許せなかった。
韓国人の留学生もこれ聞いたらさぞかしキレルやろうな。んで皆がこー言うやろう(ていうか言ってるけど)

誰もお前ら野蛮人とは一緒にされたくない
井底之蛙,不知大海
(井の中の蛙大海を知らず)


まさにこの言葉がぴったりだよあんた達

1/11 乾陵

朝七時過ぎに寒さで目が覚める。何だかんだ用意して、朝めしはカップラーメンを食べ九時に出発。昨日と同じように
103、59路と乗り継ぎ咸陽へ。今日は唐の高宗と皇后の則天武后の合葬陵”乾陵”へ行くことにした。

咸陽汽車站から乾県行きのバスに乗り込む(6元)。バス内は香港のスターアンディ・ラウの曲(広東語)がえんえんと
流れており、一人で口ずさんで歌っている間に一時間で乾県に到着。うーむ、ここは田舎ではないが青空汽車站だ。
こっから乾陵まで4kmだと標識に書いてあったので、バイタクに乗って行ってもそんなに高くないだろう。

バイタクのおっさんを捕まえると5元だという。まあまあ妥当な値段なので行ってもらう。乗り込んだのはいいが結構遠い。
わしの体感距離からして6kmくらいか。バイタクは、公道から乾陵方面に曲がってすぐのところで泊まった。あん!?
もう着いたんかいな??ってみたら”懿徳太子墓”やないかアホ!!

『てめえーわしは乾陵行けって言ったやろ!!何でここで停めるんぢゃ!』

『何言ってるんだここは有名なんだぞ。ちょっと見てけよ』

『いらんわ、こんなもん価値なしぢゃ。はよ乾陵まで行け!!』

そう言うとおっさんはかなり面食らっており、おまえは何てことを言うんだと言わんばかりの表情である(笑)
『そ、そう言わず見てけよ。いいぞここは』

『じゃあお前はここがどれほど価値があるのか歴史的知識を持って説明せい。できんかったら蹴るぞ

おっさんはわしがそう言うとまたもや面喰らったようだったが、おっさんの説明は”有名だから”の説明だけ。
わし『やっぱ価値ないな。蹴ったる。』
おっさん『わ、分かった。乾陵まで行けばいいんだろ?でもこっから3kmはあるから+3元だ』

『このハゲー!!!てめえが乾陵まで5元で行くって言ったやないか。』

『払わないなら俺は行かないぞ』

うぬう〜どいつもこいつもふざけよって!!!とりあえず2元払うことで決着。入り口についてバイタク金を払い、
チケットを買いに行く。学生証は一人では効かないらしく正規料金の30元を払い進入。

すげー・・・まず乾陵にたどりつくまで山登り(階段地獄)。急な階段をえっさえっさ登る。ごっついきついわこれ。
階段を登りきると、遠めに乾陵が見えてきた。うお〜すげー!!今まで色んな帝王の陵墓を見てきたけど、
こりゃまたすんげーでかい&迫力。何せ
山を墓にしているのだ。でけーしかいいようがない。

←乾陵へ続く鬼の階段

参道には首のない人や馬の石像が立ち並び、その先には”無字碑”が建っていた。この無字碑は則天武后が
建てたものらしいが、一説には自分の業績がすご過ぎるので記すことが出来ないというものと、もう一説は
自分の評価は後世の人間にまかせようといったものである。しかし無字碑なはずなのに小さい字がびっしりと
書きこまれていたのは何故?

その無字碑のちょっと先には首がない61体の石像があり、これは服装や装飾で異民族の臣下の石像だという
ことが分かっているらしい。肝心の乾陵は、”乾陵”とかかれた石碑から先は林道になっていて、立ち入り禁止
らしい。仕方ないのでそっからぼーっと眺めるだけにした。

それで乾陵を後にしたわけだが、そっからわしは何を考えたか乾県まで歩いて帰るという暴挙に出た。
一旦懿徳太子墓の前で3路の公共バスを見つけて待ってみたものの、全く来ないので自力で帰ることにした
のだ。一応ついでに永泰公主墓と懿徳太子墓も見て帰った。もちろん遠くから見ただけ( ̄▽ ̄ゞ

あんまりに乾県まで遠いので、でかい声で歌を歌いながら戻る。アンディ・ラウの『当我遇上イ尓』『将自己給
イ尓』に始まり、ニコラス・ツェーの『活著VIVA』『個別意見』『一了百了』『一撃即中』、レスリー・チャンの
『大熱』を熱唱(全部広東語)。ひたすら歌いまくり約8km程の道のりを歩きとおした。途中乾県内で迷子に
なるも(笑)、青空汽車站に戻ってきた。だるー・・・疲れた。腹もへったし・・

乾県からバスに乗り込む。バス内ではVCD放映がされ始め、見るとアンディー・ラウとレスリー・チャンの共演
映画『新上海灘(上海グランド)』ではないか!!わしの大好きな映画だ!・・けど中国語版になってるから
見る気が起こらず、自分のCDプレイヤーで王力宏のニューアルバムを聞く。

咸陽に着いた後、59路バスを人民中路のバス停で待っていると茂陵行きの13路がやってきた。なんやこっか
らでも行けるんかいな。よし明日はこれで茂陵に行こう。


1/12 今日こそ茂陵

とりあえず今日こそは二日間行きそびれてる茂陵へ行く。九時前に宿を出ていつもと同じようにして咸陽へ行く。毎日同じ路線に
乗っているのでバスの運ちゃんとかおばちゃんとかの顔を覚えてしまった(^_^;;

咸陽到着後、人民中路のバス停から13路に乗り込んだ。
『どこまで?』
『茂陵♪』
『1元よ』

へ・・!?何でそんなに安いん?ってことは近いのかな。どーりで20元札出したらねーちゃんいやな顔したわけだ。
手元には10元札一枚と1元札9枚が(笑)バスは10分過ぎで終点に着いてしまった。はて・・・!?
そこでバイタクを捕まえて、『茂陵まで行って欲しいんやけど』『おお、茂陵か2元じゃはよ乗れ』

2元!?何でまたそないに安いんや?『茂陵やでおっちゃん茂陵。でっかーい墓の茂陵やで』『わーっとるはよのれい』
何か腑に落ちないがとりあえず乗る。乗ったんはいいけどすぐに到着。
『ほれここが茂陵じゃ』

ああ〜ん!?どー考えてもそこは一つの街だった。

『てめえーどこにでっかい墓があるんじゃ!!ただの街やないか!!』
『そうじゃここが茂陵じゃ』
『だから茂陵ってのは皇帝のでかい墓なんだよ!!人の話聞いとったんか?』
『おおー何じゃお前は茂陵博物館に行きたかったのか。そうなら先にそれを言わんかい。茂陵までならバスがあるのじゃ』

もっと早く言わんかいこのタコ!!

怒りを押さえながら来た道を戻る。公道沿いに”興平”行きのバスが停まっており、このバスに乗れば茂陵近くまで行けるらしい。
バイタクのおっちゃんに2元払ってバスに乗ろうとしたら、おっちゃんは首を横に振り、『往復したからあと2元じゃ』だと抜かす。
『はあー!?大体お前が間違えてんから2元で十分やろこのボリ男!!』『いいやあと2元』
何とか粘り勝ちで3元でボリ男の追撃を振り切り、バスに乗り込む。

バスに乗って10分程で降ろされる。おっちゃんがこの道をまっすぐ行けば茂陵だと教えてくれた。とは言ってもここ二日西安
付近は霧っぽい天気が続いており、先が見えにくい。とりあえず歩くことにする。途中でバイタクが声をかけてきて2元で茂陵
博物館に行ってくれるらしい。乗り込むと先客二人がいた。何や相乗りかいな〜

ばいたくはとろとろ走り坂を登りきったところで、どでかい山が見えた。何とこれが茂陵らしい。乾陵にはでかさで劣るかもしれ
ないけど、人口の山でこのでかさはすごい。これはこれで相当なものだ。さすが中国第一次最盛期時の皇帝の陵墓である。

博物館に着くまでしばらくそのスケールにあっけにとられる。博物館に着いた後、入場料20元払い突撃。ここ茂陵博物館は
霍去病墓の周りを敷地としていて、墓の前には小さいながらも庭園があって美しい所である。ただ難を言えば、ここは一体
庭園なのか墓なのかいまいち中途半端な感じの所だった。墓の周りが第一こんなごちゃごちゃとしてるのはどーも
墓がここにあるっていう実感すら感じなかった。事実、わしは係員に
『霍去病墓ってどこですか?』
という馬鹿な質問をしてしまっている( ̄▽ ̄ゞ

係員に墓の場所を教えてもらい(笑)、墓を登る途中日本人女性二人とすれ違った。どうやら中国人のツアーできてるらし
かった。たしかにここにきてるわし以外の観光客は全てツアー客( ̄▽ ̄ゞ頂上に上ると左手に衛青墓、右手に金日(石単)墓
が見渡せた。この二人の武将も素晴らしい人物。後で拝みにいかなくては。

出る間際お土産コーナーを覗いてみるとかなり充実していた。有名どころの本などもばっちり揃っていた。ここで茂陵の白い
バッジを三個買う。博物館を出た後、又してもやっちゃいました

茂陵の陪葬墓徒歩でほとんど制覇!(笑)

有名どころから石碑のない墓まで(笑)手当たり次第制覇。唯一儒学者董仲舒の墓だけが見つからなかったのが残念。
ただ彼の故郷であるとこはばっちし押さえたけど。いやーしかし久しぶりにマニアックなことしてしまったのお〜
最後に茂陵をじっくり見学。何とここただで見れる。そのおかげもあって

中国人達が相変らず人様のお墓登りをしている

わしも登ろうか考えたけど、とりあえず歩きすぎにより足が吊りそうだったのでやめた。武帝関連の人物の墓でまだ行って
ないのって李広と趙充国、銭夫人くらいか。司馬遷墓もばっちし押さえたし。

やることも終わりバイタクにのって公道まで行く。その後、西安行きのバスを捕まえて咸陽まで行く。咸陽に入ってから
バスは全然見知らぬ道を通って西安に向かうので、心配になり途中下車。地図で確認すると咸陽の西果てだった(T-T)
そっからまた人民中路まで3km程歩く。今日は軽く10kmを越えて歩いとるぞ・・

人民中路で59路のバスに乗り西安へ戻る。漢城路に着いた後103路に乗って火車站まで行く。時刻は夕飯を食うの
には少し早い五時過ぎだったけど、腹へってしかたないのでいつもの”秦漢面庄”で晩飯を食う。
食後、解放飯店内の旅行社に頼んどいた蘇州行きのチケットを受け取る。

宿に戻る途中やたら売春婦ねーちゃんが一斉に声をかけてきて、手招きをしている。

『エイ!!エイ!!エイ!!ほらほら若者おいで!!』

いつものことだが今日は特にすごい。よっぽど客を呼びたいのか。でもなあ

お前らブサ○クやねん(爆)

そんな顔でポン引きされてもやりたないし、立つものもたたないをい)

宿に着いた後、ちょっと休んでから早めのシャワーを浴びる。ボディーソープの香りがよくていい気分だ〜。
明日は今日の旅行の締めの日。しかも一番やっかいな韓信墓捜索・・・

←夜の西安站


1/13 畑ボンバー

今日は旅行最後の日。しかも一番やっかいそうな韓信墓。とりあえず地図見た限り真剣に交通手段がない!!
(韓信墓の地名は(シ覇)橋区新築郷新農村)
朝七時に起きその後のんびりと用意をし、九時過ぎに宿を引き払って出発。とりあえずは(シ覇)橋区まで移動するために213路
バスを探す。兵馬俑に通じる通りで213路のバス停を発見。けど、横にバスターミナルがあったので最寄のバスはないか探す。

バスターミナル内にはなかったが、近くに”王府湾⇔新築郷”と言うバス停看板を発見!とりあえずそこで待ってみるものの全く
来る気配がないので周りの人民に聞いてみると、

『そんなものはない』

アイヤ〜!!仕方ないとりあえず213路に乗って(シ覇)橋区へ(1.5元)。てゆーかばり遠い30分以上もかかってし
もうた。しかもこの213路に乗っている人民は”郷下人”(田舎者)ばっかり。バスも相当ぼろく一人バス内で緊張した( ̄▽ ̄;;
(シ覇)橋で下車後、あたりを見渡すけどやっぱなさそう。あるのは213路、301路、西安-高陵のみ。仕方なくバイタクに聞く。

『ああ〜ん?新築郷やって?』

そーいうとバイタク野郎どもはげらげら笑い出した。

わし『何やねん?こっから遠いんか?』

兄ちゃん『ばーり遠いって。こっから20kmやって、うひゃひゃひゃひゃひゃ!!』

何やねんその笑い方しばくぞ我ら(怒)

わし『行くのか行かんのかどっちや?』

兄ちゃん『絶対行く!!』(笑)

とりあえず乗っかることに。この兄ちゃんからしたら稼げるってことで嬉しいのだろう。
バイタクはがんがんにボコボコ道を走り、高速道路をくぐったあたりでバイタク兄ちゃんが聞き込み開始。
車内でぼーっとしてると急に兄ちゃんが扉を開け、

『おい、すごいことになってるぞ。このばあちゃんの話を聞けよ、うひゃひゃひゃひゃひゃ!!』

ったく何笑っとんねんお前は。農作業姿丸出しのおばあちゃんがわしに説明しだした。

『韓信墓はな、そりゃ〜昔はでか〜いもんじゃった。廟も石碑もあったしのお。けど今では平地になってのお、
石碑もどこにいったか分からん有様じゃ』

そんなことはとうに知っておるわい。

わし『けど石碑はあるって書いてるで』

ばあちゃん『そんもんはないあきらめなさい』

うーむそんなことであきらめてたまるかい。大体中国人は自分の知ってる知識だけで物事を全て話すからそーいう
情報は信用ならん。自分の眼でちゃんと確かめなければならん。

兄ちゃん『おい、ばーさんがあー言ってるんだから諦めたほうがいいんじゃないか?』

わし『絶対行く( ̄- ̄』

兄ちゃん『マジかよ!?』

わし『行くってゆーたら行くんじゃい!!』

兄ちゃん『お前気は確かか?そりゃな墓はあったさ、昔にでかーい山みたいなのが。でも今はねーし石碑も
どこに行ったか分からないんだぞ。それでも行くのか?』

わし『!!』(行く)

兄ちゃん『はあ〜〜〜〜っ!!助けてくれ〜(T-T)。もうひとつついでに言っておくけどな、その墓の地名は
”新築郷新農村”ってなってるけどな、新築”鎮”龍王廟ちゅー名前に変わったらしいぞ。だから新農村ってのは
こっからまた遠いとこにあんだとよ。それでも行くのか?』

わし『行くってゆうたら行くんじゃこのハゲ!!何回言わせるんじゃ!!』

兄ちゃん『ひゃあ〜(T-T)』

わし『分かったぞお前行きたくないんだろ?だから何回もわしに聞くんやろ』

兄ちゃん『いやーそうではないんだけどなあ・・・分かったよ行けばいいんだろ』

てなわけでやっとのことで出発。意外なほどあっさり着いた。じっちゃんに聞き込むとすぐに判明。

じっちゃん『ほれ、あそこじゃ。あの田んぼがそうじゃ』

じっちゃんの指差す方向を見ると・・

マジで畑!!(笑)

農作物頑張って作ってます丸出しの畑。一瞬身体が凍りついた・・・怖いわ。人民は全く何するかわから
へん。とりあえずじっちゃんの話をまとめるとこうらしい。

韓信墓は存在していた当時、そりゃまー大きい墓だったらしい。墓の前には石碑二つあって廟まであったとか。
墓が損害を受けたのが何と文化大革命らしい。その後、すぐ横に公道を造る為又もや損害を受け、最終的には
農民により耕されて畑になってしまったらしい。その後(シ覇)橋区鎮政府のお偉いさんがここにやってきてこの
酷い有様を見てびびったらしい(笑)この有様を見て憤慨されたお偉いさんは生き残ってた最後の石碑一つを
保護して鎮政府に持って帰った。もう一つの石碑はどこに行ったかわからないらしいが、その生き残った方は
最近(シ覇)橋鎮政府から西安碑林博物館へ寄付したらしい。ここには土山も石碑もないけど、ここが本当に
韓信の墓だったとじっちゃんは強調してくれた。何せ存在当時の墓を見てるじっちゃんやからなあ、説得力が
あるよ。

んでもって地名のことやけど、新築鎮龍王廟ってのが昔の地名で、今の地名はやはり新築郷新農村で正しい
そうだ。ちなみに昔の地名の”龍王”ってのが韓信のことで、ここにはその廟がありますよってことの証明だった
のだ。廟や石碑が建ってたとこは今は農家がある。こっ・・・壊してやりたい(をい)

わし『てめー言ってることがあべこべやないか!!地名やっぱあってるやんけ!!』

兄ちゃん『わりーわりーどうやらそうだったみたいだなエヘヘ・・』

こんの野郎いい加減やなあオイ。そっから西安に戻ろうとするわしを野次馬人民がわっさわっさ集まってきて
質問攻めしてきた。

人民A『お前は考古学(考考古kao3kao3gu3)やってる人間だろ?』

わし『違う』

人民B『おー分かった。ここ韓信墓を復活させて旅遊景区を開発するつもりなんだろ?』

わし『ちゃうって』

人民C『おーそうか、お前は記者だろう。テレビか?新聞か?テレビだったら俺を撮ってくれよ

わし『違うって言ってるやろ!!』

人民達『じゃ何なんだ?』

わし『ただ韓信が好きなだけでわしは旅行者じゃ!!』

人民D『おおっ!喜歓(xi4huan)歴史か!!』

xi4huan!?何やそのすんげー方言は!?標準語だったらxi3huanだしょ??このおっさんどもだけでなく
バイタクの兄ちゃんも全て含めて今日はかなりのすごい西安方言を喰らいまくっている。何度も言い直させたり、
聞きなおしたり大変だった。ほんまに聴き取るこっちはかなり苦労するわい。北京にいた時はほんまに
よかった。何せ人民の言ってる言葉が全部聞き取れたもん。この時ほど、北京で中国語を学ぶのが一番
いいと思ったのと同時に、今までわしは
今まで至るところで方言に悩まされつづけただけやってことを
分からしてくれたことはない。ま、それでも他の全く外に出ない留学生に比べたら遥かに方言に強いと
思うけどね。

バイタクで213路が通る公道まで戻り、金払ってさいならする。途中バスに乗ってると(シ覇)橋でその兄ちゃん
を発見。奴もこっちに気づきこっちに笑顔で手をふってきた。うぬーお主は何故に手をわしにふるのだ。
わし的には中指を上に突き出したかったが、とりあえず苦笑いしながら手を振る。ボリ男め!!

213路の南門付近で下車し碑林博物館へ。30元もすんのかい!!まあいいとにかく入ろう。
しっかし碑林ってすごい。ほんまに”林”の如く石碑が立ち並んでいる。こりゃ”書”に興味ある人間やったら
絶対に行っておかないとあかんやろ。書いついてあんまし知識のないわしでもこれには圧倒された。
おっ、こりゃ司馬懿の父親に関する石碑やん。通りすがりの中国人観光客が、

『ふっ、司馬懿の父親の石碑だとよ。司馬懿だってよ、あの泥棒野郎の親父だぜ!最低だな!!』

心の中でこれを聞いて大爆笑してしまった。博物館内を更にうろつくと唐の高宗の陵墓”昭陵”の参道にあるは
ずのどでかい石像(こまいぬみたいなやつ!?)が三つもあったのにはびびった。こりゃ30元の価値はある。
最近見た博物館ではここが一番素晴らしい。来てよかったなあ・・・・・って感心してる場合やないぞ、韓信墓
の石碑のこと聞かないと・・

入り口でミスター(!?)な兄ちゃんを捕まえ聞く。

わし『韓信墓の石碑がここに収められてるって聞いてやってきたんだけど』

Mr.『韓信墓の石碑!?えっ?韓信は淮陰侯だから江蘇省の淮安じゃないの?』

わし『違うよ。今日さっきわしは(シ覇)橋区の韓信墓のあったところに行ってきたんだよ。そしたらそこは平地に
なってて、あそこの人が言うには、ここ碑林にあるって聞いたからここまで来たの』

Mr.『おかしいなあ〜漢代の石碑はここにないし、もしあったとしたら私は絶対知ってるはずだけど』

わし『いや漢代じゃなくて清代の乾隆帝時代のやつ』

Mr.『うーん、ちょっと聞いてみるからちょっと待ってて』

ミスターな兄ちゃんはどこぞやに電話をかけて聞いている。しばらくして戻ってきた。

Mr.『うーんやっぱないって。ここにはないしどこにあるかも分からないんだって。これは専門の研究者が言って
たから間違いないと思うよ。誠に申し訳ない。漢代の遺跡だったら漢中にたくさんあるよ。行ったことある?』

わし『ないけど』

そう言うと兄ちゃんは熱く漢中の漢代遺跡について熱く語りだした。どうやらお互いに好きな分野が似通ってる
らしく、わしも兄ちゃんも嬉しくて会話が弾んだ。中国に来て以来初めてこんな歴史の分かる中国人と出会った
のが嬉しい。今の中国人は昔の事には見向きもしないで先祖達を粗末に扱いすぎなのだ。
兄ちゃんに厚くお礼を言い碑林を後にした。しかし韓信墓の石碑を一目でもいいから見たかった・・・

韓信はわしが一番好きな人物。その人物の墓が畑になってるのを見て悲しくなるどころか、わしは思いっきり
その場で笑ってしまった
。あきれを通り越して笑いがこみ上げてきたのだ。ま、墓探ししてる時いつもこうなるの
だが・・全く人民の皆さん頼むよ。自分達の祖先をもっと大切にしようよ。

そんな先祖不幸なあんた達に代わってわしが墓参りをしてる

ま、そんなわけなんやけどね。はあ〜でも畑ばっかり


『わしの歴史的存在意義ってどうなってんの?(涙)』
BY 韓信

昼飯は(三時前)鐘楼前のマクド(ナルド)でぱくつく。その後時間つぶしで上島珈琲でカプチーノを飲みながら、
日記を書く。時刻はもう五時。列車の時間まで後一時間半。そろそろ土産もんでも買いに行くか。
列車内でメシ食うのいややから站近くの適当なとこで米線を食べる。おいしないけどまあ腹にたまればそれで
いい。その後買いものした時おやじの態度が悪くてキレまくったけど、ま押さえて列車に乗り込んだ。

これで今回の旅行は終わり。悔いが残るのは平原君墓、孫ピン墓、陳平祠、周亜夫墓に行けなかったこと。
あと、西安の覇陵、杜陵にも行きたかったし。いかん、鄭州名物の”(火会)面”(hui4mian4)食うの忘れた!!


終わりに

この長い日記を読んで頂いてどうも有り難うございましたm(_ _)m
2002年の夏台灣か又中国に行く予定です。やっぱ私は根っからの
旅好きなようで早く次の旅に出られるよう頑張ります〜!

KEN


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