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三国志の舞台を訪ねる 〜陝西省旅行〜
■2002年4月25日(木) 陝西省旅行 1日目
中国に来て、初めての本格的なひとり旅となる今回の陝西省旅行。
目的は、私と中国を強く結びつける事となった運命の1冊『三国志』の舞台を旅することでした。これは10年来の夢といえる事で、やっとの事で実現しました。1日目から、順を追って掲載していきます。
4月25日(木曜日)
いよいよ、三国志の遺跡探訪の旅へと出発となった今日、中間試験も今日の午前中に終わったので、後顧の憂いも無く出発! 本当なら、翌日に授業もあるんだけど、諸々の事情から早く出発(して早く北京に戻る)する事となり、他の人よりひと足早く私の労働節(メーデー)休暇は始まりました。
まずは北京西駅まで移動。地下鉄を利用して、思ったよりも早く1時間強で北京西駅に到着。私が乗るのは、北京西駅発蘭州行き、18:00発車のT75次。17:20頃に改札が始まり、人波が落ち着いた17:30頃に改札へ。座席…というか寝台は指定席なので、荷物も少ない私は急ぐ必要が無かったわけです。
私の寝台は硬臥といわれる、いわゆる二等寝台。3段ベッドになっているその中段でした。登りやすし、一番下と違って、他の人に邪魔されないからいい感じだ(^^)♪
まだ寝るには時間が早かったので、旅行の資料をカバンから引っ張り出して、ベッドに横になりながら行動計画の再確認。どのみち、お天気や現地の状況次第で、いくらでも変更になってしまうような流動的な予定なので、今更再確認しても意味無いんだけど、なんていうか、旅行前って今後の事を考えるだけでも楽しいから♪
ひっきりなしに、物売りやVCDの貸し出し、簡易靴売りが通っていく。時間も早いし、夕食にカップラーメンや、食後のおやつ、果物を食べ始める人もたくさんいたが、ゴミをその辺にポイポイ投げ散らかすかと思いきや、( ̄□ ̄!おおっ、ちゃんとゴミ箱に捨てに行って周りを片付けるし、やたら大声で騒ぐ事なんかも無く、ちょっと予想外。思ったよりも“文明乗車”が実行されているかもしれないな。
18:40頃、河北省タク州通過。言わずと知れた劉備の故郷だ。今から私が向かう場所は、劉備の生前は彼の片腕(以上だと思う)となり、彼の死後は遺志を継ぎ、命を削って北伐に挑んだ諸葛亮に縁の<宝鶏(陳倉)・五丈原>。そして、劉備が諸葛亮らの意見を容れて王位に就いた<漢中>。
タク州を通過しながら、思わず心の中で劉備に向かって呟いた『孔明さんに会ってきます』タク州市内の南外れに、どうも、劉備・関羽・張飛の三兄弟らしき像があった。遠目なうえに暗くなってきていたから確かではないけれど、何だか、新しく造られた物っぽかったなぁ。。。
その後も、火車は快調に走り、河北省の省会(省都)石家庄市に到着。それを見届けた後、少し早いながらも、21:30頃には就寝。明日から頑張るぞ……
■2002年4月26日(金) 陝西省旅行 2日目 前編
旅行2日目。朝5時に目が覚めた。
どの辺を走っているの見当もつかなかったが、どうやら『華山』という辺りらしい事が、通過駅の名前からわかった。確か、ここも陝西省のちょっとした観光地のはず。ということは、どうやら陝西省に入っているとい
うことか。
夜中何度か目が覚めたけど、まあまあ寝られた方か。でも、そんなに早く起きてもこれといってすることも無く、今後の旅程を見据えて、時間のあるときに休息をとっておくべきだと思い、結局7:20頃まで、寝たり起きたりの繰り返し。二度寝三度寝が気持ち良かった〜♪ やっぱ、休める時に休んでおかなき
ゃね。
7:30過ぎに北京の知人から電話があり、それで本格的に起床。西安で下りる人がそこそこいるだろうと思ったので、それから朝ゴハンを食べることに。車窓から外をぼんやり眺めていると、西安の城壁が見えてきた。4年振りの西安だ。。。! あの頃は、まさかこんな形で再び西安を訪れる事になるとは、これっぽっ
ちも思っていなかったよ。
予想通り、西安で少し人が減り、通路の往来も若干楽になったので、とりあえず朝ゴハン。買っておいたカップラーメンを食べ、食後は窓の外を眺めながらコーヒーを飲む。西安着が20分遅れだったから、宝鶏着も少し遅れるかな。
私の寝台の下段の2人が西安で下車したので、近くのオヤジグループがトランプを始めた。…何だか煙たいと思ったら、タバコも吸って(もちろん禁煙)いる。でも、1本だけで済んだから、まだましか。私の対面のオジさんは、時々荷物置きの網棚に手をかけて懸垂をしているし。ま、みんなヒマなんだよな。
西安の城壁を左手に、咸陽、咸陽西、眉県、蔡家坡と駅を過ぎ、目的地の宝鶏着も間もなくだろう。天気は、やや雲が厚めの曇り、んー、今日の行動をどうすべきか悩む所。本当なら、交通手段などの情報を集めてから、万全の体制で五丈原へ行きたい所だけど、雨のことを考えると、降ってない今日に行っておくべきか。。。なんてことを考えているうちに、予想通り、20分遅れで宝鶏駅着。駅前の喧騒も思ったほどでなく、下車した乗客たちは各々目的の方向へと散っていった。
ふむ、なんだか静かな町だな〜というのが第一印象。とりあえず、明日の切符を取りに、宝鶏国際旅行社へ向かうことに。地図に書いてある辺りまで来たものの、場所がわからない。住所で見ても、まさにこの辺なんだけど。。。仕方なく宝鶏大酒店という、大きなホテルの前から電話をすると『そのホテルの隔壁(となり)だ。すぐ目の前だ、待ってるよ!』と言われた。いや、だから、それでもわからないから電話をしたんじゃないか!と思いつつも、もう一度辺りをキョロキョロすると、幅1メートル程の入り口がらしき所に≪宝鶏国際旅行社≫の看板が。私が電話した所から、10歩位だったかな( ̄▽ ̄ゞ
この宝鶏国旅、またえらく狭い。タタミ6畳程のスペースに、机と椅子が置かれているだけ。今切符を取りに行っているという事だったので、話をしながらその場で待つことに。私と幾つも違わないお姉さんが2人、ボスらしいおっちゃんが1人いて、4人で話していたのだけど、私の話す中国語が、たどたどしいながらも通じて、内心嬉しかった(^^)
切符が来るのをしばらく待っていたが、時間がかかりそうなので、時間潰しを兼ねて近くにある≪金台観≫という観光地に行く事にした。急な坂道を登り、チケットを10元を払って中に入ったが、それ程たいしたとこじゃないな、というのが正直な感想。金台観は道教では結構有名な所ではあるものの、それ程興味のない私には、チケット代は3元か、せいぜい5元がいいとこだ。実際、手にしたチケットには、3元と印刷されて(その上にハンコで10元と押されている)いたし。
ただ、建物や由来はともかく、高台にあるので見晴らしは良かった。宝鶏の街が一望でき、街の南側を流れるの遥か向こうには、秦嶺山脈が横たわっている。あの山々が、諸葛亮の北伐のまさに“壁”となったのだ。古くは陳倉と呼ばれ、蜀・魏の要所でもあった街が、眼下に広がっている、と考えると、何だか感慨深い気がしてくる。
≪後編へ続きます≫
■2002年4月26日(金) 陝西省旅行 2日目 後編
ひとしきり金台観の見学を終え、再び宝鶏国旅に戻って切符を受け取る。さっき行った時に、ただで宝鶏の地図をくれたおじさんは居なかったのが残念だったが、お姉さんに別れを告げて、取り敢えずホテルに向かう事に。途中、スーパーでブラブラしていると、ご当地の“宝鶏ビール”発見!やはり地の物は頂かなくちゃということで購入をしたものの、しまった( ̄□ ̄! 栓抜きが無い。。。
そこで、同じスーパーでビールの数倍のお金を払って栓抜き&缶切りを買う。何だかなぁ。。。(^_^;
その後、ホテル方面へ向かうバス停がどうしても見つからず、仕方なくタクる。以前にネットで聞いていた相場に近い10元だったので乗り込み、頤和酒店へ。途中、運ちゃんと話が弾む。なかでも『この前に乗せた日本人は、話してた中国語が全くわからなかったけど、あんたのはよくわかる。焦る必要は無いから、勉強していけばもっと良くなるよ』というひと言は嬉しかったな。彼の中国語も聴き取りやすかった。し他にも、この運転手さんは、秦嶺山脈の綺麗さなんかもいろいろ語ってくれて、なかなか楽しいドライブとなった。
タクシーからの降り際に、いきなり日本語で『さようなら!』と来たのには驚かされたな。ま、一般的にはそれ程有名でない宝鶏だけど、やはり観光やビジネスで訪れる日本人は、そこそこいるという事か。なんてったって、五丈原を擁しているからね、ここは(笑)
ホテルは頤和酒店という、3星級ホテル。1泊218元というだけあって、部屋もなかなかキレイだし、設備も整っていた。強いて言えばバスタブが少し壊れていたけど、気になるほどではなかったし。
ただ、前の道路が、比較的交通量が多いので、道に面してるほうの部屋だと、早朝から深夜まで結構うるさそうだという印象(実際にそうだった)。チェックインして一息ついたあと、再び街中へ。
明日の五丈原行きの下調べと、街中探索を兼ねて、まず火車駅方面の繁華街へ向かった。ホテルから火車駅までは3キロほどあると聞いてはいたけど、やはり、自分の足で歩かなきゃ雰囲気とか楽しめないし、距離感とかも掴みにくいから、旅先の都市で歩くのは、私の習慣になってます(^_^) それに、ホテルから歩くと、市街地に行くまでに渭河と
いう河を渡ることになるのだけど、昔から変わらぬ流れを保っているこの河は、やはりゆっくり眺めながら渡っておきたかったし。
地図をまともに見ないで駅に向かっていったので、少し迷った末に到着したが、とっとと歩けばホテルから20分か、遅くても30分ほどで駅まで行けそうだ。インターネットで教えてもらった駅東側のバスターミナルへ。中国工商銀行を目印に、、、ということだったが、なるほど、場違いなほどに立派な工商銀行の宝鶏支店が宝鶏火車駅向かいにそびえたっていて、その向かいに、汽車駅(バスターミナル)発見。
覗いてみると、確かに蔡家坡行きがある。他にも、扶風県行きや眉県行き、西安行き、漢中行きなど、各地へのバスが見られた。よし、これでともかくはOK! 次に火車駅に立ち寄り、荷物預け所の場所を確認し、待合室を覗いてからトイレ(ドアなし仕切り有りの溝タイプ)を借りてから帰途に。せっかくだからこのあたりの名物を食べてみたかったけど、時間も半端だったので諦めてケンタッキーへ。うーん、ひとり旅にファーストフードは実に便利だ!
そういえば、ここにはマクド(マクドナルド )は無いようだ。
食後、近くの郵便局で、宝鶏周辺の名所が印刷されている封筒を買い、再び歩いてホテルへ帰還。お風呂に入り、その後改めて半身浴で疲れをとって暖まった後、地ビール“宝鶏ビール”とテイクアウトして来たケンタ(ケンタッキー)のチキンでテレビを見ながら晩酌。オヤジくさいな〜とは思いつつも、自分的には満足のひと時でした(^^)
北京の友人に電話をした後、11時ごろには就寝。。。
さあ、明日は晴れでも雨でも五丈原だ!
■2002年4月27日(土) 陝西省旅日記 3日目 前編
朝7:00起床。窓から外を見ると、どよ〜んとしているものの雨は降っていないようでひと安心。しかしながら、何だか寒いので、バスタブにお湯を張って朝から足湯。あ〜、なんて贅沢なんでしょ(*^_^*)
あったまった所でボチボチ準備をして、7:45には朝食へ。中国式のバイキング形式の朝食だったけど、味はまずまず美味しいといえるもので満足。とりあえず、お腹いっぱい食べておく事にした。
移動の多い旅なので、朝はしっかり食べるのが基本だし!
9:00にはチェックアウト。足湯のお陰で若干予定よりも時間が遅れ気味だったけど、ま、今日は五丈原だけだから問題ナシでしょ。
バスターミナルへ行くために、火車駅方面に向けて歩き出したものの、途中でめんどくさくなって、渭河の手前でタクる。駅まで5元、まぁそんなもんか。火車駅に到着後、荷物を2元で預け、トイレにも行き、満を持して、いざバスターミナルへ!
昨日の下見通り、蔡家坡行きのバスが有り、早速乗り込んで発車を待つ。10分ほどで発車し、途中、相変わらず客を拾いながらノロノロ進むが、ここで今日ひとつ目のシマッタ( ̄□ ̄! 行き先(蔡家坡)と書いてある板に表示がなかったから怪しんでいたものの、やっぱり高速を通らない、ローカル道路をのんびり進むバスだった。。。
9:50頃に発車したバスは、ガタガタ激しく揺れながら、途中、何度となく人民を降ろしたり乗せたりしながら、幾つもの町を通過していく。まっすぐないい道も有るかと思えば、舗装していない集落の中の道なんかも砂煙と共に走り抜けていく。あ〜あ、一体何時に蔡家坡に着くんだろ〜という不安と後悔はあるものの、しかし、これはこれで面白い。
車窓から眺めていて気付いたのだけど、この辺りって、人工池が多い。遊水地みたいな感じのところもあれば、“魚”と書いた看板をあげている所もある。釣堀だか、養殖場だか分らないけど、菜の花畑や池のある穏やかな風景に、なんとなく心が安らぐような気がした、、、のは確かだけど、やっぱり心は五丈原。早よ蔡家坡に着かんかい!!
結局、11:45頃に蔡家坡鎮(町・村の意味)に到着。2時間もかかってしもた。。。(T_T) とりあえず、ここから五丈原への移動手段を考えなくてはいけないんだけど、とにもかくにも、まずトイレ(^_^; そのトイレの料金係のおじいさんに行き方を尋ねると、『まず高店(地名)に行って、そこからバスを乗り換えろ』との事。
聞き取れたことに胸をなで下ろしつつ、ふむ、地名と行き方は予習どおりだったことにさらに安心。とりあえず、高店なる所へ向かうバスを探さねば。
しかし、この蔡家坡鎮、思っていたよりも賑やかな町だ。中国銀行も中国工商銀行も中国農業銀行もしっかりある。店もたくさんあり、活気もあって明るいイメージを受けた。ま、公衆トイレは、当然<ドア無し超低い仕切り有りの溝だけ>ではあるものの、人もあんまり来ないのか、そんなに汚くもなかったし。
とにもかくにも行動を起こさねば、と、高店方面へ行くバスを見つけ、乗り込む。行き先は『高店』と告げ1元払ったものの、もっと先で下りた方がいいのかさっぱり分らなかったので、切符売りのお姉さんに尋ねた。
何かいろいろ答えてくれたけど、ほとんど聞き取れんぞ。とにかく、まだまだ先らしい。
バスはそのまま走り、目前に迫った台地の手前、T字路に来たとこで降りる所だと知らせてくれ、さらに下り際に、左手にずーっと行けばいいとも言ってくれた。感謝感謝(^^)
■2002年4月27日(土) 陝西省旅日記 3日目 中編
アドバイス通り、台地を右手に道なりに進む。黄河の中流域辺りには、その流れによって造られた台地が多く、五丈原もこのような台地のひとつなのです。 10分ほど歩いた頃、前方の台地の中ほどに、建物がぼんやりと見えてきた。そのまま道なりに歩き、最期に右に曲がって坂を登ると到着。バスを降りてから20分ほどというところか。
ここから上のほうに向かって階段や坂が続いている。さあ、登るか〜と思った矢先に出た!!≪諸葛泉≫。。。孔明が駐屯時に掘って出てきた井戸らしく、覗くと確かに水が見えるのだが、、、怪しい、怪しすぎるぞ。とりあえず、人もいなかったので写真も撮らず(帰りに撮った)上のほうへ。道観(道教の寺院)風の建物の前にいるお姉さんに呼ばれ、とりあえず見ていくことに。……3元取られた(T_T)
後で分ったんだけど、別にここを通らずに五丈原の上の諸葛亮廟までいけたようだ。ま、仕方ない。
少し上に上がったところに三国志の人物の塑像があって、板に簡単な説明が書いてある場所があった。
簡単な説明ではあるもののもちろん中国語なわけで、座り込んで熟読してると、その辺でボーっとしていたおじいさんが話しかけてきた。方言があって分かりにくいのと、面倒くさい(どうせ何か理由をつけてお金を取るから)のとで、曖昧に返事をしておいた。
そのうち、私から離れて、再びボーっとタバコを吸い始めたんだけど、私が孔明像の前にさしかかったのを見計らって再び近づいてきた。おもむろに孔明像を指差し、『その前にあるおみくじを引いてごらん』と言う。
ははーん( ̄ー ̄)これでお小遣いを稼いでいるわけね、おじいさん。引いた後から『はい、○元』というパターンだ。ま、せっかくだし、法外な料金を言われたら文句言えばいいんだから、と思って、くじを引いてみた。割り箸の先に数字が書いてあるような、ごくごくシンプルなタイプのおみくじで、わたしの引いた数字は<14>。それを見たおじいさん、おもむろに本を取り出し、14番くじの解説を始めた。
方言で色々話されたのでさっぱり分らなかったものの、本を覗き込んでチラッと読んだところ、まあまあな結果みたいだった。なにやら、“これから良くなっていく兆しがある”のような事が書いてあった。漢字の字面をめで追っただけだったのではっきりしないけど、おじいさんも『好命(いい卦だということ)』を連発していたしね。予想通り、その後1元取られたけど、将来が不透明な今、孔明さんに縁の五丈原で“良くなる兆し有り”のおみくじが引けたんだし、ま、いいか。
その後、再び登り始め、ついに五丈原上の≪諸葛亮廟≫に到着。ついにやってきたぞ〜!!
ちょっとした広場の後方に、建物の入り口が有った。でも、あまりにもきれいに整備されていて、昔を偲ぶのが難しいというのが正直な感想。もっと、だだっ広い荒地の中に、こぢんまりとした廟があったほうが胸に迫るだろうけど、そこはそれ、1800年も経っているのだから仕方ないか。畑があちこちにあるのだって、現地の人達にとっては、かの五丈原とは言っても日常生活の場なのだから、当然といえば当然だし。
それでも、約1770年前、この地は戦場で、諸葛亮率いる蜀軍と、司馬懿率いる魏軍がこの地で相対し
たのだ。諸葛亮もこの地に立ち、空を見上げ、眼下の平野を見渡し、戦略を練り、そして人生の最後を迎えたのだ。
今、この五丈原から西安までは、バスや火車を使って至極簡単に行き来が出来る。でも、1770年前、諸葛亮が五度に及ぶ北伐で、まさに命を削りながら長安(西安)方面への突破を試みたにもかかわらず、ついに長安に至ることが出来なかったのだ。今なら、五丈原から西安たった2時間の距離、当時はなんと遠かったのだろう。志半ばに陣中で倒れた諸葛亮の無念を考えると、切なくて胸が痛んだ。。。
諸葛廟の中は結構広く、きれいに整備されていて、見やすいといえば見やすいが何だかちょっと興ざめがしてしまう。有名な岳飛の筆による≪出師表≫を見、奥に進むと、≪諸葛亮衣冠塚≫があった。諸葛亮が亡くなった時に身に付けていた装束を埋めた塚で、お墓のように祭られている。……あれれ? 確か諸葛亮は遺言で、亡くなった時に着用していた服に身を包ませて葬るように言ったはずだけど、それじゃ、この≪衣冠塚≫の衣冠ってのは一体・・・? っとダメダメ!こういうことは深く考えてはいけないのが、遺跡
探訪のアタリマエですよね(^^ゞ 一番奥まった辺りに、もうひとつの“深く考えてはいけないもの”があります。三国志を読んだ方ならご存知だと思いますが、諸葛亮が亡くなる時、赤い星が東北から西南に落ちたという言い伝えがあります。もうお分かりでしょうか、そう、その時に落ちた≪星=隕石≫があるのです。
・・・これにはなんともコメントが出来ませんねぇ。ちなみに、この五丈原の南の方には、その名も“落星”という集落があります。
じゅうぶん見尽くした後、五丈原を後にした。五丈原は、上に登るのももちろんいいのだけれど、少し離れた所から眺めながら往時を偲ぶのがいいと思った。もちろん、視界に入る部分はほんの一部だけれど、その上に陣取った両軍に思いをはせ、死力を尽くした諸葛亮の活躍と往時を偲ぶのである。今、あたりは菜の花畑、麦畑で、のどかな風景が広がり、少し離れた北側には、渭河がゆったりと流れている。
五丈原上の諸葛亮廟の中では、リスが木の実を食べているのも見かけた。一見、激しい戦が繰り広げられていた往時を思い起こさせるものは何もない。“兵どもが夢の跡”とはよく言ったものだ。
長い年月を経てではあるけれど、かの五丈原の地に立ち、空を見上げ、諸葛亮が見たであろう風景を目にする事が出来て、本当に良かった。10年越しの夢、五丈原についに私は来たのだ!
■2002年4月27日(土) 陝西省旅日記 3日目 後編
さて、下山(?)後、とりあえず歩きで、もと来た道を戻る。タクシーも有ったけど、五丈原と名残を惜しみつつ戻りたかったので(^^)
例のT字路の所まで行けば、来た時と同じルートを逆からやってくるバスも有るだろうし、それを捕まえて高速の蔡家坡インターまで行けばいいだろうと思ったから。ところが、誤算。全く来ない。
仕方ないのでとりあえず歩き出す。・・・歩いて歩いて1時間近くにもなろうかという頃、後ろからやってきたバスをようやく捕まえ、インターまで行き下車。すぐ目の前に宝鶏行きのバスが止まっていたので、早速乗り込む。もっと待たされるかと思ったら、結構すぐに発車。よしよし、いい感じだ(^^)♪
15:40に蔡家坡インターを出発したバスは、高速道路を快調に飛ばし、なーんと40分後には宝鶏火車駅前に到着。驚くべき速さだ( ̄□ ̄) ここで発見。高速経由蔡家坡行きのバスは、どうやら駅西側、永嘉批発市場前から多数出ているようだった。
他にも、私の行ってみたい、秦の穆公墓が有るらしい鳳翔県行きも、ここから高速経由で出ているようだ。道路とかよりも一段低くなっていて見つけにくかったけど、こんな所にあったとは。侮れないではないですか、宝鶏のバス乗り場。時刻はだいたい16:30。やれやれ、何とか宝鶏市内に戻ってこれた(^_^;)
それにしても、今日はトイレの近い一日で困った。少し寒かった(今回の旅行のMAXの厚着)のもあるけれど、移動の度にトイレの場所をチェックする癖が付いてしまった(笑)
ちなみに五丈原の諸葛亮廟、日本人観光客もそこそこやって来る観光地ではあるけれど、トイレはやっぱり“だだっ広い所に横並びで低い仕切りのある溝だけトイレ”外側からの見た目は立派なんだけど、この手のトイレになれてない普通の人はビックリするだろうなぁ。。。
夜発の漢中行きの火車まで時間が有るので、ケンタッキーで休息。18:00頃だったので、食事を取り、その後コーヒーを飲みながら日記を書く。まるで、日本にいるような感覚だぁ(^^ゞ
ちなみに、ケンタッキーやマクド(ナルド)のようなファーストフード店、中国のそこそこ規模の大きな都市になら、結構あります。でも、普通の食事に比べると、値段が著しく高い! マクドの一番安いセットはチーズバーガーセットですが、それでも15元ほどもする。そのほかのセットは〜20数元くらい。毎日学食で一食3〜5元の生活をしている留学生、少なくても私にとっては、結構な出費になるんです。日本円に換算する
と、20元で300円くらいだから、特に安いという感じはしないのではないでしょうか。
で、そんな贅沢なケンタッキーですが、宝鶏にいる間、3回ほど立ち寄り、食事したり、お茶したり、テイクアウトしたり。。。と、大変重宝してたりします(^^)
ひとり旅でちょっとキツイなーと思うことのひとつに、食事があります。中国の食堂、なかなか一人で入りにくいんですよね。入りやすい感じの店が簡単に見つかれば問題ないのですが、短い宝鶏市内滞在の時に見つからなかったので、結局ケンタッキーのお世話になってたわけです。中国のマクドやケンタッキーの店、日本のよりずっと店内が広くて席も多く、込んでない時間帯なら、結構ゆったりした気分で過ごせるのです。
ぼんやり休憩している間に、20:00近くに。そろそろ駅に行こうかな。明日の火車の中での朝食用の食料と水分を買い込み、一路駅へ。宝鶏駅に到着すると、ちょうど音楽と共に噴水ショーが繰り広げられていた。イルミネーションがとってもキレイで、音楽も華やかだったし、週末用のショータイムかな。この噴水と、ライトアップされた駅前繁華街だけ見ていると、宝鶏は随分都会なんだなぁ〜と思えてくるくらいだった。
ま、確かに宝鶏は、西安に次ぐ陝西省第二の都市なんだけど(^_^;
駅で預けておいた荷物を受け取り、売店をひやかしていると、( ̄□ ̄!なーんと新しい鉄道時刻表が出ているじゃないですか!! 私が出発した比、北京西駅ではまだ見当たらなかったのに、一体いつの間に・・・。でも、今買うと荷物になるので、また北京ででも購入する事にして、ひとまずは駅の中に。
私が乗る、西安発安康行きの火車はほぼ定刻に宝鶏に到着。やれやれ、やっと休憩できると乗り込むと、私の寝台(中段)の上に大きなカバンが4つも。どうやら、下のオヤジ達のらしい。引き取れと言うのに『寝るまでいいじゃないか〜』といい張る。私は速攻寝るんだよ!!そういって、とりあえず荷物をどかし、なんとか寝る体制になれた(^_^;)
この火車、結構揺れが激しくて、疲れてはいるんだけど、ちょくちょく揺れで目が覚める。何だかよく寝られないまま、4日目に突入。いよいよ漢中だ。
■2002年4月28日(日) 陝西省旅日記 4日目 前編
朝7:20頃、少し遅れて漢中着。憧れの地、漢中だ〜と、少なからず感動してホームに降りてショック!
雨が降っているじゃない(T_T)
気を取り直して、とりあえずは駅の様子なんかを窺おうと思って、入り口から漢中火車駅構内に入っていったのだけれど、、、まぁ、何といいますか、見事に殺風景な駅だ。建物自体は結構立派だし、ボロいという感じも受けないけど、待合室の椅子以外なーんにもありゃしない。普通これだけの都市の駅なら、売店のひとつもあって然るべきなのに、拍子抜けだった。駅の外には個人商店らしきものが軒を連ねてはいるものの、そんなに活気があるわけでもないし。なんて言うか、駅特有の喧騒が全くないのが寂しいんだなぁ。。
。
ま、時間のせいもあるだろうし、雨のせいってのもあるだろうけど。
そんなこんなで、肩透かしを食らったような漢中とのご対面だったけど、とりあえずは地図を買って行動開始。
まだバスも良くわかんないし、街中の方に向かって一応歩き出したんだけど、すぐに感じたのは『この町、とにかくうるさ過ぎ!!』とにかくうるさい。何がって、タクシーやバイクのクラクションが、ものすごい。今までに、旅行なんかで幾つかの町に行ったけど、ここまでひどいのは初めてだった。音がすごく耳障りで、改造してるんちゃうんかー!!といいたくなるくらい。陝西省第3の都市だけあって、人と自転車とバスとバイ
クの数は一人前なくせに、信号という文明的なものがほとんどないので、クラクションでどかすしかないんだろう。
で、勝手気ままに歩いたり、自由自在に自転車乗ってる人民たちもそう簡単にはどかないし・・・
そんなこんなで、クラクションの嵐が当たり前のように巻き起こるのですな。しかしまあ、うるさ過ぎて頭にくる〜(>_<)
ここ漢中でも、宝鶏と同じように、明日の行動をスムーズにするために、しとしと降る雨の中、まず長距離バスターミナルへ向かう。う〜〜寒いなぁ。。。長袖Tシャツにセーター、ウインドブレーカーまで着てやっとしのげるくらいだ。でも、手が凍えるように冷たい。。。もう5月なのに、一体何℃なんだ!!(後で天気予報
を見ると、12℃位だった)
駅から10数分歩いた所で、長距離バスターミナル到着。勉県、城固県、鎮巴県、寧強県、西安、宝鶏、広元などなど、近郊&遠方あっちこっちへと出ているようだ。こういう長距離バスターミナルにくると、どこへでも行ける気になれるし、どこへでも行きたくなる(^^) 明日の最重要目的地、勉県行きをチェックして、とりあえずはホテルに向かう。
荷物を持っての観光はキツイので、フロントに預けて行動開始。今日は雨も降っているので、予定通り漢中市内の見所を回ることにした。まだ時間は9:00前。ホテルの前でタクシーを拾い、まずは≪古漢台≫へ。ここは前漢の劉邦がこの辺りを治めていたときに政庁がおかれていた場所であり、今は≪漢中博物館≫として、この近辺で出土した文物なんかを収蔵している。
私の目的は、曹操筆と言われている『雪袞』の文字と、魏延墓にあった石像。中ほどのにある最近改修したようなきれいな展示室を見学中、その魏延墓にあったという石馬を発見!最期こそ反逆者として馬岱に斬られる事になった彼だけど、間違いなく蜀建国の功臣であり、蜀を代表する驍将の一人であり、一代の英雄だった事は間違いないわけで。そんな彼の墓前に、死を痛んで置かれた物だと思うと、やっぱり感慨深い。馬だか何だかわかんないくらい磨耗してるんだけれど、それが、1800年という歳月の長さを感じさせた。明日、明後日辺りに、その魏延が馬岱に斬られた≪虎頭橋≫跡を探しに行く予定だけど、うまくいけばいいな。。。
そんな事を考えながら、展示物を眺めていると、いきなり見知らぬ女の子が声をかけてきた。『私は歴史系の学生で、今、解説の勉強をしていて、実習をしています。あなたは見たところ一人で来ているようなので、もしよければ私に案内をさせてくれませんか?』との事。んー、まあ暇だし、せっかくの機会だし、してもらうことに。
こんなチャンスは滅多に無いもんね。でも、一応『私は日本人だから…』と言うと、『え?!見た感じ、全然そんな風に見えなーい!』と驚かれた。・・・学校でも出会った中国人にそういわれたことが何度かあったけど、それはどういう意味なんだろ〜〜 ただひとつ言える事は、私の中国語が上手なので中国人と見分けがつかないということでは絶対に無いこと。口を開いて一言言えば、即外国人と分ります( ̄▽ ̄ゞ
さてさて、その彼女の解説付きで博物館内を見学したんだけど、やっぱり色々話してくれるので面白い(^−^) だからと言って、私がどれほど聞き取れているかというと、そうだなぁ、、、30〜40%がいい所かな。
ただ、幸いなことに彼女の話す中国語が標準語に近い事とと、私が固有名詞(地名とか人名)をかろうじて知っていたことで、なんとか6、7割くらいは言ってる事を理解することができた。彼女が詰まると、指導者らしき先生が出てきて補足してるのが、まだ“勉強中”って感じで微笑ましかったけど(^^) 流れるように耳に入ってくる中国語が心地よかったな〜♪
ひと通り見終わったあと、しばらく雑談。私的には、これからの漢中観光の情報なんかが欲しかった。とりあえず≪虎頭橋≫のことと≪張嶷墓誌≫のことを聞いてみた。虎頭橋については聞いたことがあるものの、行った事がないし場所も詳しくは分らない、≪張嶷墓碑≫(※1)については、私の聞いた話では、この漢中博物館内に収蔵されているらしかったんだけど、何回も足を運んだことのある彼女たちでも、聞いたことが無いようだった。うーん、それじゃ仕方ないな。とりあえず、≪張嶷墓碑≫については自分でもう少し聞き込んでみることに。
もうひとつ、彼女たちが持っていた本が面白そうだったので見せてもらったんだけど、漢中博物館や漢中周辺のことが書いてあって、なかなか面白い。見ると≪漢中博物館 編≫と書いてあったので、きっとこの辺りでしか手に入らないと思って尋ねると、博物館の売店に売ってるとの事。色々教えてくれた彼女たちに別れを告げ、売店へ向かった。
その後、心残りが無いように、と、曹操筆と伝えられる『雪袞』の石版をもう一度見に行く。真偽を疑ってもそれは無粋ってモノでしょ。時代こそ違うけれど、曹操もまたこの地に立ち、その心を筆に込めて一筆したためた・・・それでイイじゃないですか(^−^) ≪張嶷墓碑≫については、結局はっきりした事は分らず、自分でも博物館内にある石碑などを隅々まで見ていったけど、それらしいものは見つからなかった。無いのか、あったとしても展示していないのか、はたまた私が見た磨耗した石版の中にあったのか、どれかなのだけど仕方が無いな。
少し残念な思いを抱えながら、次なる目的地≪拝将壇≫へ向かうことに。
それにしても今日の漢中は寒いo(>_<)o 傘を持つ手が凍えそうだ。。。
≪4日目後編へ続きます≫
※1≪張嶷墓碑≫…張嶷 蜀後期の重要な武将。
彼のお墓は今は無いが、その墓碑が
漢中博物館内に収蔵されているらしいという話
■2002年4月28日(日) 陝西省旅日記 4日目 後編
漢中博物館から歩いて10分ほどで、≪拝将壇≫に到着。公園となっていて、片隅には遊具やビリヤードの台が置かれている。歴史的遺跡というよりかは、市民の憩いの場という感じか。中ほどに壇が築かれており、新しそうな韓信像が立っている。昔の面影は全く感じられないものの、かの韓信がここで大将軍を拝命し、彼の活躍が始まったと思うとやっぱり感慨深い。なんていったって、2200年ほども前の事なんだから、そういう場所が残されている事だけでも中国はスゴイ。
時間も丁度お昼前になったので、旅行社へ行って切符を受け取り、ホテルへ戻って休憩しようと思ったけれど、やっぱり、はるばる漢中まできたんだから、劉邦が愛馬に水をやった池だと伝えられている≪飲馬池≫を見に行く事に。本当は、漢中博物館から拝将壇へいく時に立ち寄ろうと考えていたのだけれど、漢中博物館で会った女の子にその話をしたら『あそこは大した事無いし、周りの環境もよくないし、行かない方
がいいよ〜』と言われたので、『そっかぁ〜』と行かない事にしてたんです。何よりも、寒いし雨は降ってるしで、外を歩くのが辛かったので。古漢台(漢中博物館)へ戻る道を途中から路地に入っていくと…
おおっ、発見!結構広い池で回りもしっかり囲われているし、遺跡を示す石碑もある。でも、やっぱり汚い。水はモチロン濁っているし、ゴミがいっぱい投げ込まれている。周りもバリバリの住宅地なので、さっさと写真に収めて撤収。それにしても、考えれ
ば考えるほどすごいいわれの遺跡だな、ここは。“2200年も前に劉邦が乗馬に水を飲ませた池”だもん。事の真偽はともかくとして、そういうところを遺跡に指定してしまうあたりが、中国のすごい所だ。。。
徒歩で不必要に大回り(要はちょっとばかり迷った)をした後、旅行社へ行き、後日の西安行きの切符を受け取る。なにげにその切符を見て、少し驚いた。なんと、漢中に来た時と同じ車両の同じベッドだ! いや〜こんな事もあるんだな〜と思いながら、朝からまともに何も食べてないのを思い出し、近くで食事をする
事に。
焼茄子と野菜炒めとご飯で10元ほど。値段はともかく、何でこんなに唐辛子辛くて山椒辛いんだ、ここの料理は(T_T)
旅行中は体調維持のために、普段以上にしっかり食べるのが私の基本。なのに、これでは慣れない辛さでかえってお腹を壊しかねないじゃないか。。。
再び歩き出して、ようやくホテルに到着し、チェック・イン。するとフロントのお姐さんが何やらわけの分らないことを言い出した。『宿泊代を支払ってください』…はあぁ?!そんなもん、とっくに北京で旅行会社を通して支払っている。
そういうと『いや、旅行社からウチのホテルにまだ支払がされていないのでダメ。今払ってください』もー、話にならない。『それは私には関係の無いこと。あんた達のホテルと旅行社の問題だから、旅行社にきいて。私はほら(と言って北京での明細と領収書を見せる)払ってるから』と言い張り、とりあえずチェック・イン。その時に、朝食の有無を聞くと、何やら相談してから『無い、無い』うっわー、なんかさらに感じ悪ぅ( ̄□ ̄;
部屋はきれいでそこそこ広く、やたらと大きいテレビが置かれている。ふむふむ、まあまあだ、と思いバスルームを覗いてみると、( ̄□ ̄!バスタブが無い…シャワーが有るだけじゃないですか。これで280元も撮ってるのはどうも納得いかないなぁ、朝食もないし。
朝から歩きっぱなしだったので、部屋でまったりしようかとも考えたけど、いやいや、せっかく漢中にまで来たんだからこれは出かけなくては!と思い出発。目的は、諸葛亮亡き後、専横が目立ち始めた魏延が馬岱に斬られたとされる<虎頭橋>。地図で大体の目星をつけ、付近を歩き回る事2時間、ついに見つけることができなかった。付近の住人の人に聞くと、前までは在ったが、今は工事でなくなってしまったという話だった。
ああショック(>_<) もしかしたら、もっと知ってる人がいたかもしれないけど、私の中国語力ではそれ以上の情報を聞き出す事ができなかった。。。
とりあえず、1770年ほど前、今は見る影もなくなってしまったこの地で、そういう出来事があった。その場所に来た!という事で納得することに。充足感を得られないまま宿に戻り、いつものようにあちこちに手紙を書く。
それにしてもこの漢中市、この市街地自体が様々な歴史の重要な舞台となった地なのに、そこそこの規模の町という事で都市開発が進み、往時を思い偲ぶのが難しいのが残念。
さあ、明日はいよいよ武侯墓だ。
■2002年4月29日(月) 陝西省旅日記 5日目 前編
眠いと思いながらも、何とか7時半に起床。昨夜寝てても寒くて、あまりよく寝られなかったせいだろう。つ
くづく相性の悪いホテルだ。朝食は無いとの事だったので、あらかじめ買い込んでおいたカップラーメンとパ
ンで朝食をとる。天気はそれほど良くは無いものの、とりあえず昨日のような雨降りではなさそうだ。
例のごとく下見済みのバスターミナルに行き、念願の武侯墓に行くため勉県行きに乗り込む。ふと見ると
、通路を挟んだ隣に座ってるおばちゃんの手提げバッグの中の荷物は、なんとニワトリだった。窮屈なのだ
ろう、しきりにモソモソ動いている。
お願いやから暴れて飛び出したりしんといてや〜。1時間ほどで勉県に
到着。そこそこ賑わってる町じゃないかい。とりあえずトイレに行きたかったので、公共トイレを探す事しばし
。なかなか見つからずに時間をロスした挙句に、やっとの事で探し出して一息。それにしても、相変わらず
汚いトイレばかりだな、慣れない人には拷問のようなトイレだ、全く。さて、タクシーを拾って、いよいよ最大
の目的地である武侯墓へ向かう。
勉県の町から10分少々走ると到着。切符を買って入っていくと、池や花壇のあるきれいな庭園が広がっ
ていたけど、ま、こんなものは跡から取って付けたものだからさっさと通り抜ける。
園内を歩く事しばし、ついにお墓の入り口に。孔明さんたちの人形が祭ってある拝殿の後ろに回ると、、、
あった!!とうとうたどり着いた孔明さんのお墓。三国志を読んだ子供の頃から、ずっと訪れてみたいと思
っていた場所。
ここまで来るのに約10年かかりました。墓碑の向こうに見えるのは、今まで写真でしか見
たことが無かった、念願だった墳墓。初めから感慨に浸ってしまうと動けなくなってしまうので、まずは写真
を撮ることから始めた。
墳墓の周りから何枚か取った後、やはり墓碑を含めて正面から自分も写った撮りたいと思って、適当な
人の訪れを待つ。結構時間が経った後、雰囲気のよさそうな男性2人連れを発見。声をかけようとした時、
なんとした事か日本語が聞こえてきた( ̄□ ̄! さっきから数人の中国人に写真を撮るのを拒否されてい
て、いささか落ち込み気味だった私だったが、なんてラッキ〜☆ すかさず『日本人の方ですか?』とお尋
ねすると、まさしく日本人&ガイドさんだった。
早速私のカメラを渡して写真を撮ってもらい、そればかりかそ
の日本人の方の立派なデジカメでも1枚撮っていただいた。後で送るからと言ってくださったのでメールアドレスと名前を書いて渡す。するとその方も念のために、とメールアドレスとお名前を教えてくださった。ナオヒトさんとおっしゃる私よりいくらか年上の方だったのだが……
ん?ナオヒトさん? 確か、私がこの旅行に出る前に『日程が少し違うと思いますが、同じルートを回ります』というメールを下さった方が同じお名前だったはず。。。『失礼ですが・・・』ときり出すと、ビンゴ!!まさにそのナオヒトさんご本人だった。私とは逆ルートで同じような所を観光していて、確か中間点の漢中はほぼ同じ日に滞在しているはず、ということは知っていたものの、まさか実際に出会うことになろうとは思っていなかった。
こういう移動しながらの旅は、観光地にいる時間よりも移動時間のほうがはるかに長いわけだし、その僅かの時間にピッタリ合うというのは普通ではかなり可能性の低い事だから。その愉快な偶然に感謝し、ガイドさんも加えて3人でひとしきり立ち話をした後『また会う(その日のホテルが同じ)かもしれないけど…』といいながらお別れした。
それからは、お墓の周りを歩きながらぼんやりしていた。特に何もしないで、気のゆくまで眺めていたいと思った。しばらくすると、中国人団体さんがやってきて、お墓の周りも騒がしくなってきたので、時間つぶし
に売店へ。
むだづかいはしたくなかったし、まだ先のある旅行なので荷物もフタしたくなかったけど、やはり幾つかのお土産を買ってしまった。
ま、私にとってここはただの観光地ではないし、もう一度訪れる機会があるとは思えない場所のなで、多少の出費は目をつぶろう、、、なんて一体どれだけ買い物をしたのかという感じですが、実際に買ったのは40元(700円程度)ほどでした(^_^;
その後、団体さんも帰ったので、再び座って(←ちょっと疲れた)ぼんやりし始めた。お墓の後ろ正面で、1人の男の人がひっそりと祈っていた。彼が立ち去った後、私もその場所へ行った。後ろに木が生えているせいで、他の場所に比べると少しだけ人目につきにくく、なんとなく孔明さんと話し(?)易いと思った。
ずっと訪れたいと思ってきたこと、10年かかった事、来る事ができて本当に嬉しい事なんかを心の中で話しかけた。
又、再び来る事は無いかもしれないけど、今日のことは忘れないし、これからも孔明さんに対する尊敬の念は変わらないし、三国志がきっかけで興味を待った中国と今後も関わっていきたいという気持ちを報告した。
10年前三国志を読まなかったら今の私は無かったのだ。こんな風に中国に興味を持つこともなかったし、留学もしなかったし、こちらで出会ったかけがえの無い人達との出会いも無かっただろう。
すべてはあの本から始まり、今までの私の人生をこんなにも豊かなものにしてくれたのはあの本なのだ。そんな事を考えているうちに、涙がポロポロこぼれてきて仕方がなかった。
嬉しい涙、孔明さんの最期を思う切ない涙、いろいろな気持ちが混じって、感極まった涙だった。
ただお墓を前にして立っているだけだったけど、離れがたく帰りがたく、なかなか出発できなかった。でも、まだ今日中に行く所があるんだから、と後ろ髪を引かれる思いで名残惜しく思いながらも、武候墓を後に
した。
結局2時間近くいたと思うと、我ながらあきれたけど( ̄▽ ̄ゞ
■2002年4月29日(月) 陝西省旅日記 5日目 後編
1:40、武侯墓を出て次なる目的地武侯祠へ行くための交通手段を探す。…といっても、目の前にはバイ
タク2台だけ。値段を聞くと所要時間が10分ちょいで10元。ん〜もうちょっと安くなったらいいなーと思って
交渉したものの、向こうも私が行きたいと思ってることをよくよく知っているわけで、絶対にマケない。
ほかに
手段はないんだから、私には選択の余地はないのだな。。。仕方ないので言い値で乗り込み出発。意外に遠く、武侯祠に着いたのは25分後だった。ま、これじゃ10元は妥当だな( ̄− ̄)。
公道沿いにあるため、わかり易い事この上ない。武侯墓に比べると、明らかに観光客も多く、賑わいを見
せていた。武侯墓からは北西に当たり、この地に建てられている武侯祠が、全国数箇所にある武侯祠の
なかで一番早く造られたもの、つまり蜀の国がいまだ存在していた時に、皇帝劉禅(劉備の息子)の勅命で
造られた唯一の武侯祠である。
中には言って観光していたものの、やはりここでは自分も写っている写真もほしかったので、ちょうど目の前で写真を取っていたカップルに頼んだ。快く撮ってくれた男の人、その後参観中に出会ったときにも笑顔
で話しかけてくれた。
出身がそっちの方なのか、話の中にしきりと“蘭州・甘粛”という言葉が出てきた。甘
粛省はいいところだし、敦煌はとても素晴らしいと言っていたので、私も機会があれば行ってみたいと思っていると答えた。歴史好きの私にとって、やはりシルクロードというのはなんとも言えない響きをもっているものだ。
その後、私が中国語の勉強のために日本から北京に留学中だということを話すと、『それはいいことだ。中国と日本の関係にもいいことだし、お互い理解する事は重要だ』と言い、その後もことある毎に『それはいい事だ』を連発していた。
方言慣れしていない私には少し聞き取りづらい時もあったけど、聞きなおすと分かりやすい言葉に変えて言い直してくれた。いい人だった〜(^^)こんな時、もっともっと中国語ができればなぁ、、、と痛感する。
彼らと別れた後、再び参観を再開。本堂の中の孔明像に挨拶をし、周りを見るとやっぱり左右には関興と張包がいる。でもこの二人、孔明さんより早く死んでしまったんだよね。惜しい、惜しい。
3時過ぎに武侯祠をでて、思案したものもうひと頑張り“木牛流馬製作地”へ行くことに。漢中への帰り道沿いだし大回りにもならないのだから、せっかく漢中に来たのなら行くべきじゃないか、と。側にいたバイタクのお兄ちゃんに『黄沙鎮知ってますか?』と聞くと、『木牛流馬行きたいんだろ、知ってる知ってる。行く人けっこういるさ』とい
うので、彼に連れて行ってもらうことに。15元ということだった。まあ、けっこう遠いしこんなもんで仕方ないかぁ〜と思いながら乗り込んで出発。
意外と遠い黄沙鎮、30分以内にゃ着くかと思っていたけど、公道を40分強、村の中のデコボコ道を15分ほど、合計で1時間弱はかかった。このデコボコ道、車なら何てことないんだろうけど、バイタクだと激しく
揺れる。
足踏ん張って、手はどこかをしっかり掴んでいないとマジで振り落とされそうで怖かった(>_<)
歯も食いしばっておかないと、急な振動で舌かみそうになったし。もちろん、屋根にも頭を何度かぶつけたし、あまりの揺れに、内臓の場所というか位置が変わってしまうんじゃないかと思ったほど。
そんなこんなで到着した木牛流馬の制作地。畑の真ん中に東屋みたいなのがあって、その中にぽつんと碑が建てられている。木牛流馬というのは何ぞや?!という方がいらっしゃるかもしれませんので、ごくごく簡単にご説明します。木牛流馬というのはそれぞれ<木牛>と<流馬>という別々のもので、諸葛亮が北伐時に考え出したといわれている輸送道具の事です。
1年分の食料を積んで1日に20里進むことが出来る…なんということが記されていますが、残念ながら実際にどのような物だったかは図面なども残されていないので分からないのですが、当時の技術からすると驚くべき輸送マシーンだったようです。
その木牛流馬を造ったとされている場所を私は訪れたわけですが、回りは一面の畑なわけで、なんとも言いようがない。『そっか〜、ここがそうなんだ〜』と納得するのがいいところかな(^_^;
とりあえず、1800年ほど前にこの場所で孔明さん発案の木牛流馬が造られていたのだ。漢中が蜀にとって重要な地であり、北伐に際しての拠点となった地であり、孔明さんに縁の深い地だとあらためて感じた。
ひとしきり見学し、バイタクのお兄さんに写真も撮ってもらい、さてさてと帰ることに。『公道まで連れて行ってあげるから+5元の20元な!』とバイタクのお兄さん。んー、確かにそれは妥当なのかもしれないけど、お金は少しでもケチりたい私。お願いし倒して元のままの15元で承知してもらった(^^)v
帰りもまたまたボコボコの道を進むバイタク。本当に壊れちゃうんじゃないかと思うくらいだ。公道まででると、バイタクお兄
さんがちょうど走ってきた漢中行きのバスを止めてくれた。
彼に別れを告げ、バスに乗り込む。運が良かったのか、いい感じのお兄さんのバイタクを拾えてラッキーだったな☆ 帰りのバスはVCDも付いていて、席もきれいなバスだった。その分少しだけ高かったけど、なんといっても快適が一番♪
1時間かからずに漢中バスターミナルに到着。一度ホテルに戻ってから食事と買い物に行こうとしたら、今度はどうしたことか鍵が開かないカードを入れてもエラーになる。このホテル、ホンマにホンマに相性わるいわ(T-T)
買い物に出、その足で昨日も行った近くの食堂へ。やはり、1日に最低1回は“食事”らしい食
事をしなければね。
6時ごろにホテルに戻ると、ろびーにはいったところで、武侯墓で出会ったnaohitoさん&ガイドさんと再会。
なんという偶然、同じホテルなのは知ってたけどもう少し時間がずれてたらすれ違っていたもん。向こうも、ちょうど私の部屋をフロントに訪ねようと思っていた矢先の事だったとのこと。
実は北京まで戻る火車も同じなわけで、同じ頃に同じルートを回るだけでなく、武侯墓で会い、ホテルでもバッタリ会う。本当に縁のあることだ(^^)
7時半から食事に一緒にどうですか?と誘っていただいたので、実はさっき食べたところだったけど、せっかくの機会だしご好意に甘えご一緒させていただく事に。ガイドさん、運転手さんたちと会話を楽しみながら、naohitoさんが撮ったデジカメの写真を見せてもらった。やっぱりデジカメはいいなぁ〜。。。
ホテルに戻ったのは9時半ごろ。そんなに長い期間一人で旅してるわけじゃないけど、久しぶりに人といろいろ話せてやっぱり嬉しい1日でした(^^)
■2002年4月30日(火) 陝西省旅日記6日目 前編
漢中滞在最後のこの日、どこに行こうか前日から迷っていた。もう一度西へ向かっていくか、それとも違う
方向へ行こうか・・・ 結局比較的距離も近く、歴史的にも有名な張騫のお墓に行ってみる事にした。朝食を
naohitoさんたちと一緒にとり、宝鶏方面へ向かう彼らの出発を見送ってからいったん部屋に戻る。
時間は
9時になっていた。naohitoさんとは、奇遇にも西安から北京行きの火車同じなため、また車内での再会を
約束しての別れだった。
なんとなく疲れがたまって体がだるかったので、今日は無理をせずに、とりあえず朝からお風呂。というの
も、今日夜行で漢中から西安に向かい、翌日もまた夜行で北京に向かうため、2日間シャワーも出来なけ
れば頭も洗えないから。
10:30頃にチャックアウトをし、荷物をフロントに預けてバスターミナルに向かう。そ
こから動き出していた城固県行きに乗り込む。城固県までは3元らしい。人が少ないため、ノロノロ運転なう
えにすぐに止まってお客を呼び込むのでとっても遅い。
距離的には昨日の勉県よりも近いはずなのに、1時
間ちょいかかってようやく城固県の町に到着。
終点がどこか分からなかったので、とりあえずいくとこまで乗ろうかと思ったけど、ドデカイ張騫像のあるロータリーで思わず下車。やたら新しい張騫像だが、とりあえずはカメラに収める。
そっから張騫墓へのアク
セスがよくわからなかったので、側にいたタクシーの運ちゃんに聞くと『10元』だと言われる。即却下。通り
かかった女の子に行き方を尋ねると、3路のバスでいけるということ。ちょうど3路が来たので乗り込んで一
息。
ところが周りの人に聞くと『張騫墳(墓)?そりゃこれ行かへんよ。2路に乗らなきゃ』と言われる。慌てて降りようとすると、『このバスぐるっと回ってまたさっきのところに戻るから、このまま乗ってたらいいよ』と切
符売りのおじさん。
どんなけ“ぐるっと”回るのかと内心心配してたら、ものの15分ほどで戻ってきた(笑) そこで2路のバスに乗り込む。なるほど、終点が『張騫墓』になってるじゃないかい。バスはどうやら一律五角(1元の半分)のもよう。
しばらくすると町の中心部に差し掛かり、人々が続々と乗り込んできて中はギュウギュウ(>_<) なんとか
耐え忍びながら終点に到着。降りてびっくりしたのだけど、何やら周辺がやたらと賑やか。よく見ると、お墓
が賑やかなわけではなくて向かって右にある広場みたいな所に人が集まってて、音楽がなったり爆竹が
炸裂したりでうるさいくらいの盛り上がり。市場みたいにも見えたけど、鐘なんかの鳴り物があるので、お
祭りとかなのかもしれない。
さて、張騫のお墓はというと、正面の入り口の手前に何か工事中の建物があって、迂回して入り口まで
行く。おそらく中国式のゲートを造っているんだろう。周囲を見渡すと壁も建設されつつあるようで、、、多分
もうしばらくすると立派な塀と門に囲まれた張騫墓がお目見えするんだろう。今1元の門票(チケット)も、5
元くらいになるのかな。
お墓自体はけっこう大きくてかなり立派なものだった。厳かな雰囲気が漂っている
という感じ。今はガラスケースの中に入っているけど、おそらくは当時からあると思われるような石像(おそら
く虎)なんかもあり、はるばる来た甲斐があったというものだった。2000年も前に西域への道を開いた張騫
は、歴史上有名かつ重要な人物だ。なんていってもあんな昔、すごい苦労があったことだと思う。
博望侯に封じられた張騫は、故郷に近いこの場所で時々賑やかな音楽を耳にしながら(笑)静かに眠っているのだ。
13:15に張騫墓につき、14:00に帰途についた。張騫像前までまたまた2路のバスで戻り、そこで行動
を走ってきた漢中行きバスを手を上げて止め、乗り込んだのが14:20。居眠りしている間に漢中バスターミナルに到着15:15。
この手の旅行の移動中には、安全のためと道筋や距離感をとらえるために間に出
来るだで居眠りしないでおこうと思っている私。そのはずなのにバスの中で寝てしまったことでも分かるよう
に、やっぱり少し疲れているようだった。でもでももう1ヶ所行かなくちゃ行けない場所が。漢中初日に行っ
たところなんだけど、拝将台へもう一度!
昨日naohitoさんと話しているときに、あの公園内にあった土を焼いたようなレンガ色をした板、あれが唯
一当時からある(らしい)遺物ということを聞いたもので。目には入っていたものの、そんな物だとは思いもよ
らなかったのでノーチェックだった(>_<) 2200年も昔のものだし、劉邦や韓信縁のもの、これは是非見て
おかんと〜と思い、文字通り痛む足(漢中来てからの歩きすぎ)を引きずって、懲りずに歩いて拝将台へ向
かう。
おとといきた時は雨で人もまばらだったしあまりの寒さによく周りも見てなかったけど、遊具なんかもあっ
てどうやらここは市民の憩いの場のようだ。でも、それが災いして、例の石版の所には数人のおじいさんた
ちが陣取って、自慢の小鳥のさえずりを聞きながら談笑中だった。なんか、どいてくれと言うわけにも行か
ず、とりあえずそのまま写真を撮る。
もしかしてもしかしたら、この石版は韓信が劉邦から大将軍に任命された瞬間を見ていたのかもしれない
。
だとすると、この高さ1メートル程、幅数十センチのこの石版は、偉大な歴史の目撃者ということになるん
だな。。。
■2002年4月30日(火) 陝西省旅日記 6日目 後編
ホテルに戻って荷物を受け取りに行くべく帰り道についたものの、うっかり来た時と違う道を通ってしまい
、思わぬ回り道をするハメに。もともと歩きつかれてるのにさらに消耗してしまった〜(T-T)
途中初日にも
行ったレストランで夕食(13元)をとる。お昼はパンだったけど、今日も朝と夕方はしっかり食事を取れたの
で○。旅行のときは体調や体力維持のためにも普段にもましてしっかり食事を取るようにしています(^^)
そのご、またしても徒歩でホテルまで戻り荷物を受け取った後、今度はタクシーで駅に向かう。荷物を渡し
てくれたフロントのお姉さん、にっこり笑顔でとても感じが良かった。悪いばかりだったこのホテルの印象も
、最後にちょっとだけ良くなったかな。
西安行きの火車の発車時刻まで3時間弱、イス以外には見事に何もない待合室でひたすら時間が来る
のを待つ。あまりに待ち時間が長いので、トイレに行きたくなったら荷物どうしようかなぁ〜と考えていたけ
ど、運良く(?)杞憂に終わる。9時前に改札が始まった。とりあえずホームに出てみたけれどスゴイ風。ん
ー、なんか明日のお天気悪そうだ。。。
漢中が始発駅ではなく、安康というところから出発する火車なので
、時間通りにはやはりこない。そういえば子の西安行きの火車、時刻表には夜11:00頃漢中発となって
いたけど、切符を見ると21:10になっている。どうも直前にダイヤ改正があったらしく、私的にはその時間
に変わって本当に助かった。
さすがに、夜11:00まで何時間もボンヤリ一人で待っかないといけないのは
耐えられないから(^-^; でも、ということは西安には何時に着くんだろう??
定刻を10分遅れて到着した火車は、やはり定刻を10分遅れて発車。この火車けっこう揺れる。
もともと
眠りが浅い人間なのに、追い討ちをかけるようなこの揺れ。加えて、目が覚めるとたいがい停車中で、随
分のんびり西安に向かっているようだ(笑)
これで、孔明さん縁の宝鶏・漢中とはお別れ。んー、宝鶏にはもう1日2日いたかったな。宝鶏からいける
範囲の近郊都市に足を伸ばしてみたかった。秦の穆公のお墓(あるのかないのか)とか、大散関とかちょっ
と心残り。またの機会があれば、是非トライしてみたい! 漢中は、歴史的には申し分ないところなんだけ
ど、いかんせん街が好きになれない。
とりあえず町中うるさくて騒がしくて、疲れているときなんかキレそうになった。自転車もバイクもバスもタクシーも普通の車も、何もかもがクラクションを鳴らすもんだから、あー
たまらん(>_<)
あと、料理の味付けも、辛いものが多い。それもただ唐辛子辛いだけではなくて、山椒がかなり効いてる辛さだった。それもそのはず、漢中市内の市場を歩いていると、あちこちで唐辛子や山椒が山積みで売られている。
漢中市とピリカラ料理でおなじみの四川省はとても近いので、地理的に四川省の影響でも受けているのかな。ごく普通のレストランにはいって、ごく普通の料理を注文したけれど、味付けは北京なんかで食べていたのとは大きく異なり超辛いものだった。色も随分赤かったし。
最初は何も言わずに注文してたけど、次の時は『辛くないのを』、それで出てきた料理が超塩辛かったのでその次からは『甘いの』で注文するようになってしまった。
それから郊外にバスで出かけたときの印象だけれど、宝鶏も漢中も、麦畑と菜の花畑がひろがってういて、とてものどかな風景だった。菜の花が咲く4月の頃は、きっと一面の黄色いお花畑がとってもきれいだ
と思う。それに漢中は、水田も広がっているし、郊外には山も見えるし、かわらには牛が放されてのんびり
草を食んでるし、まるでひと昔前の日本の農村風景をみているようだった。この辺りは、なんだか殺風景の
北京周辺ではお目にかかれない風景だと思った。それにしても、私的に“田舎”と思う方面でも、携帯持っ
てる人はしっかりいるし、茶髪のお姉さんもたくさん見かけたのは少しオドロキだったかな(^-^;
さて、眠れぬ火車に揺られながら、
明日はいよいよ今回の旅の最後の訪問地・西安だ。
■2002年5月1日(水) 陝西省旅日記 7日目 前編
何度も目を覚ましながらもなんとか寝続け、ちゃんと起きたのは8:00頃だった。時間にしたら9〜10時間
寝たことになり、眠りは浅かったもののそれを時間の長さでカバーした感じになったかな。
さすがに若干の
疲れがあるようで、身体はそんなに軽くない感じ。ま、一人旅の緊張感なんかが疲れを増幅させてる可能
性もあるけど。
私が惰眠を貪っている間にも、火車は漢中から大散関を通り宝鶏を抜けて順調に西安へ向けて走ってい
る。今はこんなにたやすく秦嶺山脈を越えて蜀の地から西安に到達できるというのに、三国時代はあの山
々が壁となり諸葛亮が命を懸けて遂行した北伐を阻んでいたのだと思うと、本当に切ない気持ちになる。
三国時代、私が滞在していた漢中は蜀の領地であり、今目前に迫っている西安(当時は長安)は魏の重要
拠点なのである。
そして、旅の初め頃に行った諸葛亮が陣没した五丈原、彼の地はその西安からわずか1
30キロ程しか離れていないのである。広大な中国大陸において、130キロはまさに目の前、手の届く距
離であり、実際車で飛ばせは2時間もかからずに到着できるのだ。
この距離を実感できるからこそ、あと一歩、もう少しのところに西安を望みながら、志半ばに五丈原に倒
れた諸葛亮の無念を思うと、本当にやるせない気持ちに襲われる。漢中方面からいろんな路を切り開いて
長安をうかがったけれど、ついに長安に達することが出来ずに彼の命が先に尽きてしまったのだ。
彼は本当に無念の気持ちでいっぱいだっただろう。
その悲願の地へ、火車はほぼ定刻に到着した。4年振りだかの西安。9:40と、なかなか都合のいい時間だから夜出発の北京行きの火車の時間まで、そこそこの市内観光はできそうだと喜んでしたのだけれど・・・おーい、なぜに雨!?それも大雨(涙)
仕方ない、まずとりあえずは荷物を一時預かりに預け、旅行社へ。北京行きの切符を先に受け取ってお
こうと思ったのだけど、行ってみると『早すぎる!午後2時以降に来い』といわれた。今から市内散策に出
かけるので、仕方ないから夕方にもらいに行こうっと。どうせ火車の時間は夜の9:00頃、夕方でも問題な
いし。
比較的小雨だったので、とりあえず歩き出す。雨が降っている時点で綿密な観光計画は捨ててしまった
ので、特にあても無くぶらぶら歩き続けた。ファーストフードが有ったら休憩&食事にしようと思ったわけで、
西安なら間違いなくあるから(^^) そう思いながら適当に西南方向へ、足の向くまま気の向くまま進んでい
ったんだけど、そのうちに大降りになってきた。内心舌打ちしながら傘を差し、また歩き出す。途中人民政
府前で何やら壁のような盛り土を発見。興味がわいたので何か歴史的ないわれが書いてあったりしないか
辺りを探したけどどこにも見当たらず、また、折からの強風と大雨に打ち負けてしまい、正体不明のままと
りあえず写真にだけ収めて、またまた歩き出す。
しばらーくするとケンタッキー発見。さあゴハン、ゴハン♪ 旅の初日に宝鶏のケンタッキーでもらった5月から使えるクーポン外力を発揮し、10元ちょっとでお腹いっぱいに。いや〜、捨てずに残しておいてよかっ
た(^^)v
休憩を兼ねてちょっと日記を書き、12:00頃に碑林に向けて出発。
相変わらず雨はよく降っている。すぐ脇を走る車のしぶきをよけながら、注意深く歩く。なんていっても、明
日北京の学校に帰るまで、このズボンで過ごさなくてはならないのだから。足元が超悪く悪戦苦闘しなが
らも、何とか到着。
でも、ちょっと違和感。前回着た時とどこかしら入り口付近の様子が違っている気がして
ならない。池を挟んで反対側から入っていたような・・・と思いながら切符を買って入場。一般30元(学生15
元)か、、、いい値段するんやねぇ(^-^;
内部はそんなに変わった感じはしなかったけど、一個新しい石像
等の展示館が出来てたかな。碑林自体の印象も前に一度来ているので改めて感動させられるようなもの
は無かったけれど、ただひとつ“司馬懿の父親の墓誌”というのは興味深かったかな。晋の時代に造られ
たもののようだけど、こんなものにお目にかかるとは思っていなかった。
中国人団体客をよけながらの観光だったけど、大体所要時間は1時間半。さて、現在時刻は2:00だけど・・・と思ってふと前を見ると、ちょうど城壁へ登る入り口があった。せっかく来たんだからと、4年前に引き続き城壁上をぶらぶら散策。前に来たのは4年前の3月はじめ、友人と一緒に初めて中国に来たときだった
な。あれ以来中国に何度も旅行し、ついに留学までするとはさすがに当時は思っていなかった。
でも、思え
ばあの旅行が私と中国との結び付けを深めてくれたのには間違いない。しっかし、どよ〜んとした雲で埋め
尽くされた空はなんとも重い。。。
■2002年5月1日(水) 陝西省旅日記 7日目 後編
その後、南門で下に降り、そこから特に意味も無く目の前にあった全日空ホテルに向かう事に。その頃に
は雨も風も相当きつく、外を歩く事は厳しくなったきていた。さて到着した全日空ホテルだけれど、さすがに
五星級ホテルだけあってとてもキレイだった。薄汚れた格好をしているであろう自分が恥ずかしいくらいだ
(^-^;
とりあえず、ちょっとばかりロビーで休憩させてもらうことに。
それにしても、あまりにも日本人のお客さんが多くて感心。見かけた人の8割くらいが日本人旅行客だっ
た。その後、雨が小降りになるのを見計らって再び出発。再び城内を歩き、またまたファーストフードで食事
をする。
次に向かった先は某四星級ホテル。実は以前来た時に宿泊したホテルなのだが、ちょっと思うとこ
ろがあってそこに行く事にしたのだ。
ホテルに付くと早速向かったのはトイレ。べつに、トイレをガマンしてここまでやってきたのではないのです
よ(^-^;
このトイレ、奥まったとこにある事もあってか人も少なくていい感じ。洗面所はとっても広いし♪ と
いうことで、私はカバンからおもむろにヘアバンドと洗顔フォームを取り出し、顔を洗い出したわけです。だっ
て、今日の朝から洗ってないし、火車の中はお湯も出なくて洗いにくいし、水もなんかきれいそうじゃないし
・・・
それに対してここなら広い洗面台で周りに飛び散る心配は少ないし、お湯も豊富に出るしとっても快適♪
私もやはり身だしなみに気を使う若い娘なのですからね(でも、普通の人はこんな事しないだろう)。
ありがたいことに私以外の利用客は一人も来ない。しばらくして、私の顔もきれいに洗い上がったころ服務員のおばちゃん登場。でも、特に何もいわれないのでこちらも気にせずに身だしなみを整えていく。
途中
おばちゃんとの会話を開始し、おしゃべりしながら髪も整え、これでよしっ! 思わず『好了(オッケー)』とい
うと、オバちゃん私に『オッケーかい?』と笑って聞き返す。さて、そこからさっさと駅に向かわなければなら
ない私は、私を10代に見えると言ってくれた服務員のオバちゃんに別れを告げて出発。短い時間、それも
トイレ内(笑)での出来事だったけど、楽しいひとときだった。
5時過ぎとなり時間が押していたのでタクシーを拾い駅へ戻る。が、しかし、人の多さと悪天候と時間など
などの要因が重なった為か、道路は大渋滞!! 人のいい運転手さんで、何とか急ごうとしてくれている
のは伝わるものの、無常にも遅遅として進まない状態が続く。
ようやく駅前広場に差し掛かったのだけど、そこからはいろんな車が入り乱れてゴチャゴチャでもうお手上げ!! タクシーの運転手さんも降りて歩くこ
とを勧めてくれたので、雨の降る中切符の受け取り場所まで走っていった。
やれやれと思って切符を持っている人を呼んでもらうと、10分ほどしておっちゃん登場。しかし何やら様
子がおかしい。
私のもとへ来るなり彼が『火車、もうすぐ発車するで!!』と私に向かって叫ぶ。一瞬『へ?
』と思ったものの、そんなはずは無い。
だって私の乗る火車は夜の9時ごろ発車予定だもんね。怪訝に思い
ながらも彼が手にしている切符を見ると≪17:48発≫となっている。そんなバカな!と思って時計に目を
やると、( ̄□ ̄!
現在時刻17:43じゃないですか!! 宝鶏発で西安に21時位に来るはずだったの
に。切符をよく見ると特快42となっている。あれ?確か、もっと数の大きな火車だったはずだった…という
思いが頭をよぎったものの、差し出された現実は現実、北京への出発時刻まであと5分という非常事態に
直面し、すぐに行動を起こさなければならなかった。
おっちゃんに『荷物は?』ときかれ『まだ預けたままだよっ』と答えると同時に、私とおっちゃん、駅へ向か
って猛然と走り出した。
降りしきる冷たい雨も、水溜りだらけの足元も、もはや気にしていられない。駅前広
場をダッシュで突っ切り、駅入り口横の荷物預かり所でおばちゃんに向かって叫ぶ。『早く早く時間がない
の!!』おっちゃんも追いついてきて叫ぶ『急いで急いで!!』 その勢いに押されたのか、えらく迅速な
動きでおばちゃんが差し出してくれたカバンをひったくるようにして受け取ると、今度は人民が殺到している
駅入り口へ突入し、さしもの中国人といえども真似できない強引さで、人と人との間をグイグイ押し進む。
私が必死の努力を繰り広げているその間にも、時間は無常にも刻々と過ぎていく。やっとのことで中へ突入できたものの、そこは広い西安駅、火車はもう出てしまったのかまだなのか、まだなら一体どこへ行った
らいいものかさっぱりわからない。
と、一瞬立ち止まった私の目に飛び込んできたのは目の前にある≪軟席(1等席)待合室≫。おっしゃ、こりゃもうここしかない!!と思って駆け寄って、ドアを開こうと思っても、どうやら鍵がかかっていて開かない。
でも、ここで引くわけにはいかず、幸い人の気配がしてので、ドアをガンガン叩く。するとようやくお姉さんが出てきてくれた。手にした切符とパスポートを手に『どうしても時間がないからここから乗せて!!』とお願いする。
その頃ようやく追いついてきたおっちゃんも『この子日本人なんやけど、もう時間がないんだよ。
乗せてやってくれ!!』と必死で説得。
間もなくお姉さんも了解してくれて、待合室を突っ切りホームへ出た。すると目の前に止まっているのがその≪西安ー北京 特快42≫だった。ん?なんで≪西安≫なんだ?私が予約を頼んだのは≪宝鶏≫始発
のはずだけど… と一瞬考えたものの、そんな場合じゃないと思い直し、乗る場所を探す。すると、例のお
っちゃんも入ってきて、目の前の車両(軟席)の車掌さんに事情を話し、そこから乗せてもらうことができた。
おっちゃんに繰り返しお礼を言ってから、無事北京行きに乗り込む。やれやれ、何とか間に合った〜〜(*_*)
ちなみに、既に火車は発車体制にはいっていて、入り口なんかは締められていた(^-^; 乗り込んで窓の外を見ると、最後まで付き合ってくれたおっちゃんが『中で自分の車両まで移動したらいいから〜』と言いながら手を振っていた。私が自分の車両に向かって歩き始めた直後≪西安ー北京 特快42≫はゆっくりと
北京に向けて動き出しました。
自分の寝台にたどり着いて荷物を下ろし、横になってから改めて切符の予約時にもらった控えを見るとや
はり≪宝鶏ー北京 特快56≫となっていた。こらぁ旅行会社ーーー!! そっちのミスじゃないの!!
特快42でも特快56でも、どっちに乗ったって無事北京に帰れるんだから、そんなに怒らなくとも…と思われるかもしれませんが、これには大きな理由があるのです。
というのも、漢中でお会いしたnaohitoさん、なんという偶然か、彼も実は今日同じ日に特快56で北京に戻ることになっていたのです。
だから、漢中でお別れするときに、数日後の再会を約束して『帰りの火車の中でいろんなお話をしましょうね』と話していたのに、それが出来なくなってしまったわけです。その上、こうなってしまった経緯をnaohitoさんにお伝えするすべも無く…。楽しみにしていた再会を果たすことができなくなり、加えて不可抗力だったとはいえ迷惑をかけることになってしまって、心が暗澹としたままの私を乗せ
た≪特快42≫は、夜の闇の中を北京に向けて走っていきました。
■2002年5月2日(木) 陝西省旅日記 エピローグ
早朝、ほぼ定刻に北京西駅に到着。眠気も気分もスッキリしないまま、学校への帰途につく。
途中乗り換えの為にとあるバス停でぼんやり待っていると、突然携帯がなった。見ると全然知らない番号
からで、間違い電話かな?といぶかしく思いながらもとりあえず出てみる。すると電話の向こうで話している
のは、火車のミスで会えなかったnaohitoさんじゃないですか?! まだ火車の中で、そのうえ携帯電話を
持ってない彼からなんで電話がかかって来るんだろうと、不思議に思って尋ねてみると、近くにいた人に貸
してもらったとのこと。
電話番号のほうは、漢中のホテルでお別れするときに、万が一なにか有った時に連
絡を取れるようにと渡したもの。
今にして思うと”先見の明”があったとしか言いようがない(自分で言うたら
アカンよね)。
とりあえず、彼がさんが北京に到着してゆっくり落ち着いてから、もう一度お会いする事にして電話を切る。私は一度学校に戻り、時間になってから王府井に出発。。。
こうして、火車の切符のミスにより火車内で会えなかったnaohitoさんと、北京で無事再会。旅の余韻も冷めないうちに、お互いの漢中で別れた後の旅行話などで盛り上がり、とても楽しい時間を過ごす事がで
きた。
こうして、私の初めての遺跡探訪ひとり旅は“終わりよければ全てよし♪”というおめでたい終幕を迎える
ことができました。
written by YUKI
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